国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
神戸女学院
ふりがな
:
こうべじょがくいん
棟名
:
総務館、講堂及び礼拝堂
棟名ふりがな
:
そうむかん、こうどうおよびれいはいどう
神戸女学院総務館 外観
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員数
:
1棟
種別
:
近代/学校
時代
:
昭和
年代
:
昭和8
西暦
:
1933
構造及び形式等
:
鉄筋コンクリート造、建築面積1,159.05㎡、二階建、地下一階、塔屋付、桟瓦葺、文学館間渡廊下附属、木造、建築面積48.38㎡、桟瓦葺、通用門付、理学館、体育館及び社交館間渡廊下附属、木造及び鉄骨造、建築面積246.10㎡、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02612
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2014.09.18(平成26.09.18)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
兵庫県
所在地
:
兵庫県西宮市岡田山13番
保管施設の名称
:
所有者名
:
学校法人神戸女学院
所有者種別
:
法人
管理団体・管理責任者名
:
神戸女学院総務館 外観
解説文:
詳細解説
神戸女学院は,明治初期にアメリカ婦人宣教師により開かれた私塾に始まるが,昭和8年に現在地に移転し,校舎を新築した。設計はヴォーリズ建築事務所による。各建物は,スクラッチ・タイルやS字瓦などで外観をスパニッシュ・ミッション風に統一しながらも,機能的に求められた空間の独創的な構成や,微妙に変化に富む細部の造形で個性を持たせるなど,美的均整の追求と実用への配慮が十全に達成されており,意匠的に優れている。神戸女学院は,女子高等教育の理念の具現を目指して,台地の地勢や豊かな自然との調和をふまえた合理的なキャンパス計画に基づき,平面計画も含めて完成度の高い統一感のある建物群で構成されており,昭和初期の学校建築として価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
神戸女学院総務館 外観
神戸女学院総務館 内観
神戸女学院講堂 外観
神戸女学院講堂 内観
神戸女学院礼拝堂 内観
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神戸女学院総務館 外観
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神戸女学院総務館 内観
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神戸女学院講堂 外観
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神戸女学院講堂 内観
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神戸女学院礼拝堂 内観
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解説文
神戸女学院は,明治初期にアメリカ婦人宣教師により開かれた私塾に始まるが,昭和8年に現在地に移転し,校舎を新築した。設計はヴォーリズ建築事務所による。各建物は,スクラッチ・タイルやS字瓦などで外観をスパニッシュ・ミッション風に統一しながらも,機能的に求められた空間の独創的な構成や,微妙に変化に富む細部の造形で個性を持たせるなど,美的均整の追求と実用への配慮が十全に達成されており,意匠的に優れている。神戸女学院は,女子高等教育の理念の具現を目指して,台地の地勢や豊かな自然との調和をふまえた合理的なキャンパス計画に基づき,平面計画も含めて完成度の高い統一感のある建物群で構成されており,昭和初期の学校建築として価値が高い。
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詳細解説
神戸女学院 一二棟 総務館、講堂及び礼拝堂、図書館、文学館、理学館、音楽館、体育館、葆光館、社交館、ケンウッド館、エッジウッド館、汽罐室、正門及び門衛舎 兵庫県西宮市 学校法人 神戸女学院 神戸女学院は、西宮市街の北方、岡田山に位置し、中学部、高等学部を有する大学である。アメリカン・ボードから派遣された米国会衆派教会婦人宣教師のタルカットとダッドレーが、明治六年(一八七三)十月に神戸に開いた私塾に始まり、同八年十月に山本通に寄宿学校を創設して女学校と称した。同十二年に英和女学校、同二十七年に神戸女学院と改称し、同三十二年に私立学校令により学院の設立が認可された。校地の狭隘化のため、学院同窓会と米国の神戸女学院財団の募金により、昭和五年三月に西宮岡田山に校地を取得、同六年十月十二日に定礎式が行われ、同八年四月に移転した。社交館は遅れて昭和十年に竣工した。設計はヴォーリズ建築事務所、施工は竹中工務店である。 その後、昭和十二年に葆光館の北面西端に教室を増築、同十七年には金属回収令により照明器具などの金属材を供出、同二十年の西宮空襲では文学館が被災した。昭和三十四年には図書館書庫を増築、同五十年には葆光館渡廊下の購買部を増築したほか、順次、校舎等を増築、新築してきた。平成七年の阪神・淡路大震災による被害も復旧され、移転当時の建物群が良好に維持されている。総務館、講堂及び礼拝堂、図書館、文学館、理学館、音楽館は、平成二十一年十一月二日付けで登録有形文化財(建造物)となっている。 校地は、岡田山の山頂を中核として、北の総務館、講堂及び礼拝堂、南の図書館、東の文学館、西の理学館が中庭を囲み、楽音の生ずる音楽館は図書館から南へ一段下がった地に建つ。講堂の北東には葆光館(中・高部校舎、旧高等女学部)、北西には体育館、理学館の西には社交館があり、これらは渡廊下で接続されている。講堂北には運動場に面してパーゴラがある。校地東北部には、教師住宅のケンウッド館とエッジウッド館があり、教師住宅と寄宿舎の暖房用の汽罐室も設けられた。音楽館から南東へ下ると正門および門衛舎がある。敷地中央の平坦地では、南北に総務館と図書館という全学生が使う建物を配し、東西に文学館と理学館が相対するよう南北軸と東西軸を想定している。これらは左右対称の平面で威厳を表現するとともに、自然の採光と通風に配慮したプランニングとなっている。全体として米国リベラルアーツ・カレッジを範とした分棟型の配置をとり、岡田山の自然地形と緑豊かな環境を活かしたキャンパス計画になっている。 各建物は、外壁を淡黄色のモルタル塗、施釉スクラッチ・タイル(泰山タイル)と擬石仕上げ、屋根材をS字瓦とする。要所にアラベスク風の装飾を配してスパニッシュ・ミッション風に統一しつつ、形態と細部意匠で変化をつけて独自性を持たせている。床はホールや洗面室が人造石研出し仕上げ、講堂や廊下および階段がゴムタイル、教室は板張である。内壁は、上部がプラスター塗に白ペンキ塗装、腰部が麻布貼にペンキ塗装である。天井は、プラスター塗に白ペンキ塗装とするが、吸音に配慮して木質のテックス材を用いるところもある。教師館のような住宅施設を除き、構造は鉄筋コンクリート造としているが、当時の女学校で校舎の全てを鉄筋コンクリート造とするのは珍しく、耐震性や耐久性が考慮されている。 総務館、講堂及び礼拝堂は、建築面積一一五九・〇五平方メートルである。南の総務館が二階建、陸屋根でパラペット上にもS字瓦を葺き、屋上に宝形屋根の塔屋を設ける。北の講堂と西の礼拝堂は妻壁を高く立ち上げた切妻屋根で、講堂はステージ下に地階がある。 中庭側の総務館は、南面中央に入口を設け、上部に塔屋が立ち上がったかたちとする。二階部分は擬石仕上げのアーチ内に重ねて小アーチ窓を開き、コリント式円柱を添えて脇窓を設け、窓前は擬石仕上げの手摺と飾壺形装飾で飾る。内部は、入口ホールに主階段を設け、一階は東西に事務室を配し、二階は西が理事会室、東が院長室、屋上に塔屋がある。総務館と講堂の間は中廊下とするが、上部は吹き抜けでトップライトを設ける。講堂は東面の入口上にブロンズ仕上げの鋼製庇を釣って上部をバルコニーとし、妻壁はスクラッチ・タイルの三連アーチ内に各二連のアーチ窓を開く。内部は東を入口ホールとして左右に二階席への階段を設ける。堂内は緩勾配の床に座席を据え、扁平なヴォールト天井の両側には、側面アーチ窓上のヴォールトが切り込む。西のステージは半円形のプロセニアム・アーチをつくり、両側にアラベスク風の円窓を飾る。礼拝堂は、南面のアーチ入口にコリント式柱頭の円柱を立て、上部に円窓を設ける。総務館北の中廊下を前室に扱い、内部は北面のアーチ内に講壇を設け、身廊と西の側廊との間はロマネスク風柱頭の円柱でアーチ列を受け、上部にアーチ窓を開く。南側の二階は聖歌隊席である。内壁は、目地切りの擬石スタッコ仕上げ、天井は装飾金具をつけた木造トラスをみせて、ロマネスク風の空間に整える。中廊下の東端からは文学館へ折曲り渡廊下が延び、西端からは十文字形の渡廊下で理学館、体育館、社交館へ至る。渡廊下は招屋根とするが、内部は三角トラスをあらわし、天井裏に設備配管を通している。アーチ形の開口部は両引込戸を吊り込む。文学館間および社交館間には切妻屋根を架けた門口を設ける。 図書館は、三階建、一部四階建(書庫)、地下一階で、書庫を南へ増築した。建築面積四六五・九五平方メートルで、寄棟屋根とする。中庭側北面は中央にコリント式柱頭の円柱を並べ、二、三階通しの縦長アーチ窓が並ぶ。内部は、入口ホールの南に主階段を設け、一階は東西に中廊下が通る。西側中二階を館長室、二階を吹抜けの閲覧室とし、南に三階ギャラリーを設ける。ホールと主階段の壁は目地切の擬石スタッコ仕上げである。東西に細長い閲覧室は、中庭側の北壁に採光のための縦長アーチ窓を入れ、東壁下に暖炉を設け、西壁下は彫刻で飾る。壁と天井はプラスター塗に白ペンキ塗装とし、天井の大梁と小梁には彩色文様を施す。ギャラリーは南壁を縦長窓、北の閲覧室側をアーケードとし、中央部は屋上に至る鉄製の螺旋階段を設ける。中廊下の東端からは文学館へ、西端からは理学館へ、それぞれ折曲りの渡廊下が延びる。 文学館は、二階建で、建築面積一二三〇・二六平方メートルである。長大な南北棟の寄棟屋根で、中央の正背面の突出を切妻屋根、南北両端も翼屋状に突出させて一段低い寄棟屋根を直交させる。中庭側の西面中央は色タイルで飾ったアーチ入口を設け、迫り出した二階部分には五連のアーチ窓を並べ、切妻破風に円形飾をつけて、正面性と中心性を強調する。東面中央にも入口があるが、二階部分は二連三組のアーチ窓とする。内部は、入口ホールから南北に中廊下を通し、左右に教室を配している。二階の南端は階段教室とし、この下に中二階をつくる。東側の南北両端寄りには階段を設け、図書館側の渡廊下東には旧生徒昇降口を突出する。 理学館は、二階建で、建築面積一二五五・一八平方メートルである。南北棟の寄棟屋根で、南北両端を翼屋状に突出させて寄棟屋根を直交させる。中庭側の東面中央は立ち上げて寄棟屋根とし、西面中央は半円形に突出して陸屋根とし、屋上パラペットには半円形の開口をつくる。中庭側の東面中央はアーチ入口を設けて小庇を付け、左右のアーチ内に各二連の縦長アーチ窓を開き、二階部分は中央を突出して三連のアーチ窓を設け、左右には二連のアーチ窓の前を手摺と隅部の賞杯形置物で飾り、上部中央には円形飾をつけ、内部は南北に中廊下を通し、左右に教室を配している。南北両端寄りの西側に階段室を設け、背面突出部は一階が実験室、二階が階段教室である。 音楽館は、四階建で、東に階段室、西に三階建翼部を突出し、建築面積三一一・四一平方メートルである。南面中央の入口上部は二、三階を突出させ、三階に三連アーチ窓を開く。四階は正面側デッキに二箇所のベイ・ウインドウを設け、切妻屋根の上に四角、八角の二段の塔屋を掲げる。デッキのパラペットには擬石仕上げの手摺を付け、隅部を飾壺形装飾で飾る。高低差がある立地のため、北背面階段の中二階踊場に渡廊下を取り付ける。内部は東西に中廊下を通し、研究室、講義室、練習室を配す。四階北側の旧図書室は木造化粧小屋組をみせる。 体育館は、二階建、地下一階で、建築面積五〇八・六六平方メートルの切妻屋根である。東の運動場から一段低く、アーチ橋が東面二階の入口前に架かる。入口上部はスクラッチ・タイルのアーチ内を擬石仕上げのアラベスク模様で飾り、切妻壁を立ち上げ、北妻には円窓を開く。一階が屋内体操場で、南面二階に観覧席を設ける。内壁腰部は煉瓦タイル張で、鉄骨トラス小屋組をあらわす。南側地下は汽罐室で、西に立つ断面円形の煙突は上部に点検用デッキを廻らす。総務館から通じる渡廊下は、鉄骨柱で支持されて二階南面に接続する。 葆光館は、二階建、一部三階建、地下一階、建築面積一九九二・三九平方メートルである。屋上には宝形造の塔屋を掲げる。南面中央をわずかに突出させてアーチ入口を設け、周囲をスクラッチ・タイルと擬石仕上げのパネルで飾る。上部には三連、二連のアーチ窓を開く。東西両端を翼屋状に突出させ、パラペットの各隅を賞杯形置物で飾る。内部は東西に中廊下を通し、東西両端寄り北側に階段を設ける。西端は吹抜けの体育教室、二階東端には階段教室を設ける。中廊下に沿って一階から一直線に上る階段があり、三階塔屋の音楽教室に通じている。高等女子部としてこの建物だけで完結する設計であった。西端の体育教室地下から渡廊下が講堂東端へ接続し、中間に八角平面、宝形造の溜りを設け、西側に屋根を葺きおろして購買部を附設している。 社交館は、三階建、建築面積三三九・三三平方メートルである。陸屋根のパラペットにS字瓦を葺き、南面中央に入口を設け、総務館西から通じる渡廊下は東面二階に取り付く。当初は一階が厨房と倉庫、二階が学生食堂、三階が職員食堂と社交室であったが、職員食堂は集会室となった。社交室は神戸女学院財団記念室となっており、化粧タイル張の暖炉や可動間仕切壁など、内装をよく残している。 ケンウッド館は、主教師館で、木造二階建、地下一階の寄棟造、南正面の東西両端に妻壁を立ち上げる。五連アーチのポーチ中央に入口を設け、上部はオープン・ベランダとする。一階は、ポーチに面して入口ホールの西が院長応接室、東が応接室で、ホールの奥に東西に通した中廊下の東を居間と食堂、北を厨房、西を客室と六畳二室とする。二階は中廊下の南を洋室四室、北を和室三室とする。現在はゲストハウスや集会室として用いられている。 エッジウッド館は、木造二階建の寄棟造で、西面北寄りにアーチ形の入口を設け、北面に突出部をつける。一階、二階とも南側に各二室の個室を配し、北側は階段室とする。短期赴任の教師用住居で、食事や団欒にはケンウッド館が用いられた。現在は教員の研究室である。 汽罐室は、木造平屋建、鉄筋コンクリート造地下一階の寄棟造で、北に附属屋が付き、その西に煙突を立てる。東面当初は一階が機関員住居と職員住居、地下がボイラー室と石炭庫、焼却炉であった。南面外階段を上がると機関員住居で、その北に地下への階段がある。煙突は断面方形で頂部に点検用デッキを廻らせ、小さな三廊式教会堂形の煙出口を掲げる。 正門及び門衛舎は、中央の正門と東の平屋建の待合が鉄筋コンクリート造、西の門衛舎が木造平屋建である。寄棟屋根をかけ、正門の軒には下面を曲線状に削った装飾的な垂木を用いている。正門は、イオニア式柱頭の円柱を前後に二本ずつ立てて主門と両脇門を構え、脇門上にはエンタブラチュアを廻し、主門上はエンタブラチュアから扁平なアーチを立ち上げる。 パーゴラは、桁行一八・一メートル、梁間六・八メートルである。鉄筋コンクリート造のトスカナ式柱頭の円柱を桁行五間、梁間二間に配置して、内部の柱筋には鉄管柱を立てる。鉄骨の桁、梁の上に格子状の棚を組んでいる。 神戸女学院は、女子高等教育の理念の具現をめざして、台地の地勢や豊かな自然との調和を踏まえた合理的なキャンパス計画に基づき、平面計画も含めて完成度の高い統一感のある建物群で構成されており、昭和初期の学校建築として価値が高い。おのおのの建物は、様式、意匠、仕様などを基本的に共通させながら、機能的に求められた空間の独創的な構成や微妙な変化に富む細部の造形で個性をもたせるなど、美的均整の追求と実用への配慮が十全に達成されており、意匠的に優れているといえる。 【参考文献】 『岡田山の五十年』(神戸女学院 一九八四年) 『兵庫県の近代化遺産』(兵庫県教育委員会 二〇〇六年) 『神戸女学院岡田山学舎の建築歴史調査報告書』(神戸女学院 二〇一三年)
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附指定
パーゴラ
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附名称
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パーゴラ
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一所