国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧成清家日出別邸
ふりがな
:
きゅうなりきよけひじべってい
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
おもや
旧成清家日出別邸主屋 外観
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員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
大正
年代
:
大正4
西暦
:
1915
構造及び形式等
:
木造、建築面積650.89㎡、一部二階建、桟瓦及び鉄板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02615
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2014.09.18(平成26.09.18)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
大分県
所在地
:
大分県速見郡日出町三ノ丸2663番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
日出町
所有者種別
:
市区町村
管理団体・管理責任者名
:
旧成清家日出別邸主屋 外観
解説文:
詳細解説
旧成清家日出別邸は,馬上金山の経営で財をなした実業家成清博愛が,経営の拠点として別府湾を望む景勝地に建築した別邸である。主屋は大正4年頃の竣工で,大正5年には現在の屋敷構えがおおむね整えられた。主屋は大勢の来客を接待するための大型の広間を持ち,生活のための書斎部と家政部それぞれを海に向けて配し,景観を活かした配置とする。全体を堅実な和風の意匠でまとめているが,外観には入母屋造を多用して巧妙な階調をつくり,内部は良材による精緻な造作で格調の高い空間を達成するなど,意匠的に優れている。土蔵や正門などの附属施設や大規模な庭園も,近代における雄大な別邸の有り様を示すものとして高い価値を有している。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
旧成清家日出別邸主屋 外観
旧成清家日出別邸主屋 外観
旧成清家日出別邸主屋 内部
旧成清家日出別邸主屋 内部
旧成清家日出別邸主屋 内部
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旧成清家日出別邸主屋 外観
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旧成清家日出別邸主屋 外観
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旧成清家日出別邸主屋 内部
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旧成清家日出別邸主屋 内部
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旧成清家日出別邸主屋 内部
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解説文
旧成清家日出別邸は,馬上金山の経営で財をなした実業家成清博愛が,経営の拠点として別府湾を望む景勝地に建築した別邸である。主屋は大正4年頃の竣工で,大正5年には現在の屋敷構えがおおむね整えられた。主屋は大勢の来客を接待するための大型の広間を持ち,生活のための書斎部と家政部それぞれを海に向けて配し,景観を活かした配置とする。全体を堅実な和風の意匠でまとめているが,外観には入母屋造を多用して巧妙な階調をつくり,内部は良材による精緻な造作で格調の高い空間を達成するなど,意匠的に優れている。土蔵や正門などの附属施設や大規模な庭園も,近代における雄大な別邸の有り様を示すものとして高い価値を有している。
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詳細解説
旧成清家日出別邸 五棟 主屋、東離れ、北離れ、土蔵、正門、土地 大分県速見郡日出町 日出町 旧成清家日出別邸は、国東半島の南端部、南に別府湾を望む旧日出城三ノ丸の高台に位置する。馬上金山の経営で財をなした実業家成清博愛が、鉱石を積み出す日出港に隣接し、金山にも近い景勝地に構えた別邸で、大正三年三月に着工、翌四年夏ころに主屋が竣工し、同年末ころには庭園を含む主たる構えが完成した。普請は博多の大工薄千次郎が請け負った。翌五年一月に博愛の後を継いだ子信愛が当地を生活および経営の拠点とし、北離れや土蔵を建設し、現在の屋敷構えを整えた。昭和三十九年からは料亭「的山荘」となり、平成二十二年三月には日出町が土地および建物を取得した。旧成清家日出別邸は平成三年十二月二十五日付で日出町有形文化財となっている。 別府湾に面した敷地は東西に長く、その西寄りに主屋が玄関を北に向けて建つ。主屋の南東に東離れ、北面西寄りに北離れが建ち、北に土蔵が並ぶ。主屋の玄関前は石敷の車まわしがあり、これより西に石敷を延ばして正門を構える。主屋の南は傾斜地で階段状の石垣と植栽で整え、敷地東半には芝生と池を中心とする回遊式の庭園が広がる。敷地は正門の両脇と北面は板塀で囲み、そのほかは煉瓦塀で囲む。 主屋は木造平屋建一部二階建で、建築面積は六五〇・八九平方メートルである。南北棟で東から客室部、書斎部、台所部を並べ、北寄り東西棟の玄関部で接続する。屋根は各部とも入母屋造、桟瓦葺で、北面、南面とも入母屋造の妻面が並ぶ意匠となる。客室部と書斎部には桟瓦葺の庇を設け、客室部庇は軒先を鉄板葺とする。客室部東には便所、台所部南には湯殿と二階建の座敷が付く。 玄関部は南を一間幅の畳廊下若しくは板廊下とし、北には四室の板縁付き畳間を並べ、北面西端に内玄関を設ける。北面中央に突出した玄関は、式台前の床を大理石の四半敷、天井を格天井とし、繊細な筬欄間を付ける。 客室部は南から一八畳と一五畳二室の広間を並べ、襖を外すと四八畳の大広間となる。四周に縁、廊下を廻らし、南東は縁を介して海を望む。書院造を基調として、一八畳と南の一五畳にはトコ、違棚、附書院を設ける。蟻壁長押を廻して天井を高くつくり、一八畳の天井板は桐の板、トコ柱にはタガヤサン、床板はクスやケヤキの一枚板を用い、部屋境には筬欄間を嵌め、附書院や外廻り欄間の障子は精緻な組子を用い、和風の照明器具を吊るなど趣向を凝らす。客室部東面の便所は客用便所で、廊下は広く便所は網代天井でトコ付とする。 書斎部は住居空間で四室よりなり、南側の三方に縁を廻し、庭園や海を望む。南東は八畳の書斎とし、西面にトコ、違棚、附書院を設ける。南西は内向きの四畳半で、東面にトコ、違棚、附書院を設ける。部屋境の欄間や附書院の建具は精緻な組子とするが、客室部より落ち着いた瀟洒な意匠とする。台所部は土間と板間、八畳などよりなる大型の台所である。 東離れは大正四年ころの建築で、当初は斜面下の海に面して建てられていたが、昭和初期に現在地へ移された。木造二階建、桁行五・五メートル、梁間西面四・三メートル、東面五・五メートルの台形平面で一階東を一間突出させ、西に矩折れの廊下および階段を付している。屋根は入母屋造、桟瓦葺で鉄板葺の庇を廻す。柱や鴨居にツガ材を用いた建物で、一階は西から四畳半と七畳半を並べ、七畳半北にトコと違棚を置き、北半は手洗いおよび物入とする。二階は六畳の北にトコを置き、北を除く三方に高欄付きの縁を設けるなど、海や庭を眺める望楼のような機能を持っている。 北離れは棟札より大正六年建築で、使用人のための建築とみられる。木造二階建、桁行九・八メートル、梁間五・一メートルで東面と北面に下屋を付す。屋根は入母屋造、桟瓦葺で、出桁で軒を支える。外観は東面に一階二階とも出窓の格子窓を付し、外壁は下見板張とする。一階は西面南寄りに入口と踏込土間を設けるほかは板間とし、北下屋部は土間とする。二階は南西隅を階段とし、南から四畳半の板間と八畳を並べ、北面にトコと押入を置く。 土蔵は家財道具を収納した蔵で、大正期の建築とみられる。土蔵造、二階建、桁行七・二メートル、梁間五・四メートル、切妻造、桟瓦葺である。一階東面中央に入口を設け石階と鉄板葺庇を付し、二階は東面と北面にそれぞれ二箇所ずつ窓を設け両開鉄扉を吊る。内部は一室で南に階段を設け、内壁は横板張とする。 正門は大正五年ころに建てられた一間薬医門で、南側に潜戸、北側に袖塀が付く。五平の親柱上に冠木を載せ、舟肘木形女梁と男梁を四通り据え軒桁を受ける。棟木は扠首付きの棟束で支える。屋根は切妻造、桟瓦葺でわずかに起らせ、破風拝みには懸魚を下げる。中央間の両開板扉はケヤキの一枚板を用いるなど、大型の上質な門である。 板塀は正門と同時期の建築とみられる。正門の両袖より南方は折曲り延長八・二メートル、北方は敷地北面から土蔵裏まで延び、折曲り延長八五・二メートルである。桟瓦葺屋根をかけた真壁造の塀で、切石布基礎の上に立て、おおむね二間おきに控柱を付す。壁面中間に細やかな格子窓を付し、北面外面は下見板張とする。 旧成清家日出別邸は、金山を経営する鉱山主が経営の拠点として別府湾を一望する景勝地に建設した別邸であり、景観を活かした配置や、大勢の接客のための大型の広間などを主とした空間構成に特徴がある。全体を堅実な和風の意匠でまとめ、外観には入母屋造を多用して巧妙な階調をつくり、内部は良材による精緻な造作で格調の高い空間を達成するなど、意匠的に優れている。土蔵や正門などの附属施設や大規模な庭園も近代鉱山主別邸の有り様を示すものとして価値が高く、土地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『大分県の近代和風建築』(大分県教育委員会 二〇一三年) 『日出町有形文化財 的山荘附日本庭園調査報告書』(日出町教育委員会 二〇一三年)
関連情報
附指定
板塀
関連情報
附指定
附名称
:
板塀
附員数
:
二棟