国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
聖衆来迎寺
ふりがな
:
しょうじゅらいこうじ
棟名
:
本堂
棟名ふりがな
:
ほんどう
聖衆来迎寺本堂 外観
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸中期
年代
:
寛文5
西暦
:
1665
構造及び形式等
:
桁行五間、梁間七間、寄棟造、背面庇葺きおろし、向拝一間、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00762
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2014.09.18(平成26.09.18)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
滋賀県
所在地
:
滋賀県大津市比叡辻二丁目
保管施設の名称
:
所有者名
:
聖衆来迎寺
所有者種別
:
寺院
管理団体・管理責任者名
:
聖衆来迎寺本堂 外観
解説文:
詳細解説
聖衆来迎寺は比叡山の東麓に所在する天台宗寺院である。中央に本堂が南面し,本堂西に既指定の客殿,南西に開山堂を配し,東に表門を開く。いずれも質の高い近世建築で,近世前期に実現された建築群構成をよく保持しており,既指定の客殿とともに保存を図る。特に本堂は寛文5年(1665)の建立で,伝統的な構成を継承しながらも,凸字形の内陣を基軸とした空間が技巧を凝らした架構で達成され,彫刻や彩色などによって濃密な意匠にまとめられており,天台宗本堂における近世的変容の萌芽を示している点で価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
聖衆来迎寺本堂 外観
聖衆来迎寺本堂 内部
聖衆来迎寺本堂 内部
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聖衆来迎寺本堂 外観
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聖衆来迎寺本堂 内部
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聖衆来迎寺本堂 内部
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解説文
聖衆来迎寺は比叡山の東麓に所在する天台宗寺院である。中央に本堂が南面し,本堂西に既指定の客殿,南西に開山堂を配し,東に表門を開く。いずれも質の高い近世建築で,近世前期に実現された建築群構成をよく保持しており,既指定の客殿とともに保存を図る。特に本堂は寛文5年(1665)の建立で,伝統的な構成を継承しながらも,凸字形の内陣を基軸とした空間が技巧を凝らした架構で達成され,彫刻や彩色などによって濃密な意匠にまとめられており,天台宗本堂における近世的変容の萌芽を示している点で価値が高い。
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詳細解説
聖衆来迎寺 三棟 本堂、開山堂、表門 滋賀県大津市 宗教法人 聖衆来迎寺 聖衆来迎寺は、比叡山の東麓、坂本の琵琶湖畔に所在する天台宗寺院である。寺伝によれば、最澄が延暦九年(七九〇)に建立した地蔵教院を前身とし、源信が長保三年(一〇〇一)に念仏修行の道場として紫雲山来迎寺に改めたという。中世の推移は詳らかでないが、大永七年(一五二七)に真玄が入寺して再興、その後、明智光秀や豊臣秀吉らの庇護を受けた。天正十七年(一五八九)には京都岡崎の元応国清寺を相承し、円頓受戒の道場として寺勢が高まった。東辺と南辺を土塀で囲んだ境内は、東側を通る西近江路に向けて表門を開く。本堂は南面して建ち、その西に客殿、南西に東面して開山堂が建ち並んでいる。客殿が大正十一年四月十三日付で古社寺保存法による特別保護建造物となり、開山堂が昭和四十八年六月二十七日付で、本堂と表門が平成六年三月三十一日付で滋賀県指定有形文化財(建造物)となっている。 本堂は、寛文五年(一六六五)の建立で、阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来を本尊とする。桁行五間、梁間七間の規模で、正面に向拝一間を設け、背面は庇で縁を取り込み、屋根は寄棟造桟瓦葺とする。平面は、中央の内陣が前方三間、後方五間とした凸形で、後方中央に四天柱を立て、須弥壇を構える。前面に外陣、突出部の左右に脇陣、内陣の来迎壁後方一間通りに脇壇を設ける構成になる。正面と両側面の三方は石製切目縁を廻し、背面には木製の縁を付ける。側廻りの軸部は丸柱を長押と頭貫で固め、組物は出三斗で、中備に蓑束を入れる。内陣まわりの正側面と須弥壇廻りは柱上に台輪を載せて出組とし、中備は桁行方向を三斗、梁間方向を双斗とする。向拝は石製礎盤に立てた面取角柱を虹梁型頭貫で結び、組物を連三斗、中備を蟇股、さらに雲をかたどった彫刻手挟を入れる。正面と両側面の軒は二軒繁垂木、向拝は打越垂木一軒とし、背面庇は後端柱筋の桁を延ばして縋破風で処理し、疎垂木を掛ける。 柱間装置は、正面中央間が両折桟唐戸、正面両脇各二間と両側面の前寄り二間が蔀で、内側に腰高障子引違いを入れる。両側面とも奥三間が舞良戸引違いで内側腰高障子片引き、次の間は花頭窓で内側明障子引分け、後端間は板壁である。内外陣境の中央三間は中敷居を入れた格子戸引違い、両端間は舞良戸引違い、各間内法上には彫刻欄間を入れる。内陣の背面は中央間出入口を障子引違い、脇壇は板壁で、地袋を設ける。内陣と脇陣境には中敷居の結界、須弥壇後方は来迎壁を設ける。 外陣は梁間方向に虹梁を架け、虹梁中央に蟇股を置いて桁を受け、両端の虹梁から側廻りの組物に海老虹梁を架け、化粧隅木を掛ける。側廻りの一間通りが化粧屋根裏、内側が組入天井で、床は畳敷とする。内陣は来迎柱と側柱に虹梁を架け、入側柱を略して大瓶束を置き、海老虹梁と頭貫および台輪を受ける。中央部を格天井、入側を化粧屋根裏、後方一間通りを鏡天井とし、床は拭板敷の一部に畳を敷きまわしている。脇陣の奥行は須弥壇の前面柱までで、天井は内陣寄りの通肘木間を軒天井とするほかは化粧屋根裏、床は畳敷である。 本堂の内部は、内外陣境に入れられた極彩色の彫刻欄間、天井格間や内法小壁の多様な彩画、さらに内陣脇陣境にまで及ぶ柱の金襴巻や組物の繧繝彩色、虹梁の下面や側面の彩色文様など、各所に手の込んだ装飾が施されており、大胆な架構と一体となって、華やかな空間を演出している。 開山堂は、寺蔵文書より、寛永十六年(一六三九)の建立とされ、様式的にもその時の建立とみてよい。御影堂とも呼ばれ、源信のほか、天海と徳川家康を祀る。方三間の入母屋造で、向拝一間を設け、桟瓦葺とする。平面は、前一間を外陣、奥二間を内陣とし、奥中央に一間幅の須弥壇を構えるが、宮殿等は背面の幅三間奥行一間の張出し部に安置する。正面と両側面に擬宝珠高欄付の切目縁を廻す。軸部は丸柱で、切目長押、内法長押、頭貫で固める。組物は外部を出組、内部を出三斗とし、中備は外側のみに蟇股を入れる。向拝は面取角柱を虹梁型頭貫で繋ぎ、組物が連三斗、中備は蟇股で、彫刻手挟を入れる。軒は二軒繁垂木で、向拝は打越垂木一軒である。 柱間装置は、外陣では、正面中央間を両折桟唐戸、そのほかを蔀で内側腰高障子引違い、内外陣境を格子戸とし、中央間を引違い、両脇間を嵌殺しとする。内陣は両側面前寄り一間を板戸引違いとするほか板壁である。外陣は、雲龍を描いた彩色のある鏡天井に拭板敷とする。内陣は小組格天井とし、須弥壇上部を一段折り上げ、拭板敷として一部に畳を敷きまわす。 開山堂は、小規模な三間堂ながら内外陣に分け、内法上の彩画や彩色文様、柱の金襴巻などで荘厳するとともに、仏壇廻りを漆塗とするなど、内外ともに充実した装飾で良くまとめられる。 表門は、坂本城から移築したものと伝え、部材に残る痕跡や、表面加工などから一六世紀後期に建てられた櫓門の材を用いてこの地に建立されたものと推定される。切妻造本瓦葺の一間薬医門で、親柱、脇柱間に冠木を載せ、親柱上に二丁の男梁を架けて桁を受ける。親柱間には両開板扉を吊り、北方に潜戸を設ける。 聖衆来迎寺の本堂、開山堂および表門は、いずれも質の高い近世建築で、既指定の客殿とともに近世前期に実現された建築群の構成をよく保持しており、一体的な保存を図る。とりわけ本堂は、内陣、外陣、脇陣という伝統的な構成を継承しながらも、凸字型の内陣を基軸とした空間が技巧を凝らした架構で達成され、彫刻や彩色などによって濃密な意匠にまとめられており、天台宗本堂における近世的変容の萌芽を示している点でも価値が高い。 【参考文献】 『古寺巡礼 近江 一 聖衆来迎寺』(株式会社淡交社 一九八〇年) 『滋賀県の近世社寺建築』(滋賀県教育委員会文化部文化財保護課 一九八六年) 「中世仏堂の近世的変容 百済寺本堂を中心として」『佛教藝術 二六一号』(二〇〇二年) 『滋賀県指定有形文化財聖衆来迎寺表門保存修理工事報告書』(滋賀県教育委員会事務局文化財保護課 二〇一二年)
関連情報
附指定
鬼瓦
関連情報
附指定
附名称
:
鬼瓦
附員数
:
四個