国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
築地本願寺本堂
ふりがな
:
つきじほんがんじほんどう
棟名
:
棟名ふりがな
:
築地本願寺本堂 外観
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員数
:
1棟
種別
:
近代/宗教
時代
:
昭和
年代
:
昭和9
西暦
:
1934
構造及び形式等
:
鉄筋コンクリート造一部鉄骨鉄筋コンクリート造、建築面積3,149.40㎡、二階建、一部地下一階、塔屋二所付
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02617
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2014.12.10(平成26.12.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都中央区築地三丁目一五〇一番
保管施設の名称
:
所有者名
:
築地本願寺
所有者種別
:
寺院
管理団体・管理責任者名
:
築地本願寺本堂 外観
解説文:
詳細解説
築地本願寺は,浄土真宗本願寺派の関東における拠点である。現在の本堂は,関東大震災の後昭和9年に再建されたもので,設計は東京帝国大学名誉教授で建築史家の伊東忠太による。
鉄筋コンクリート造であるが,石造風の外観は,インドの古代仏教建築に学んだ細部や要素を巧みに組み合わせている。中央部二階の大本堂は伝統的な真宗本堂の形式を踏襲し,両翼部や一階には議場や説教所,事務室や納骨堂などの諸室を配している。
築地本願寺本堂は,インドの古代仏教建築を主たる素材として外観を構成し,内部は日本の伝統的意匠要素を中心に濃密で均整のとれた意匠を達成している。必要な諸機能をひとつにまとめ,最新式の設備を備えるなど近代の設計技術を集合しており,独自の建築様式を追求した伊東忠太による寺院建築の傑作として,価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
築地本願寺本堂 外観
築地本願寺本堂 外観
築地本願寺本堂 大本堂
築地本願寺本堂 説教所
築地本願寺本堂 議場
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築地本願寺本堂 外観
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築地本願寺本堂 外観
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築地本願寺本堂 大本堂
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築地本願寺本堂 説教所
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築地本願寺本堂 議場
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解説文
築地本願寺は,浄土真宗本願寺派の関東における拠点である。現在の本堂は,関東大震災の後昭和9年に再建されたもので,設計は東京帝国大学名誉教授で建築史家の伊東忠太による。 鉄筋コンクリート造であるが,石造風の外観は,インドの古代仏教建築に学んだ細部や要素を巧みに組み合わせている。中央部二階の大本堂は伝統的な真宗本堂の形式を踏襲し,両翼部や一階には議場や説教所,事務室や納骨堂などの諸室を配している。 築地本願寺本堂は,インドの古代仏教建築を主たる素材として外観を構成し,内部は日本の伝統的意匠要素を中心に濃密で均整のとれた意匠を達成している。必要な諸機能をひとつにまとめ,最新式の設備を備えるなど近代の設計技術を集合しており,独自の建築様式を追求した伊東忠太による寺院建築の傑作として,価値が高い。
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詳細解説
築地本願寺本堂 一棟 築地本願寺は、本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派の関東における拠点寺院で、中央区築地の中心に位置する。元和三年(一六一七)、本願寺一二世准如が浅草横山町に御堂を建立したことに始まるが、明暦三年(一六五七)の大火により伽藍を焼失し、幕府の区画整理に伴って現在地に移転した。その後たびたび火災や災害に見舞われ、現在の本堂は大正十二年の関東大震災で焼失した後に再建されたものである。昭和六年四月十五日に着工、同年七月二十九日に地鎮式、同年十月二十一日に起工式を行い、同九年六月二十五日に竣工した。設計は東京帝国大学名誉教授の伊東忠太(一八六七~一九五四)、施工は松井組による。三所の門と石塀は本堂にやや遅れて建てられたとみられる。伊東忠太は、建築史家として日本建築の源流を探るべく明治三十五年(一九〇二)から明治三十八年にかけて中国、インド、ギリシャ等への調査旅行を敢行した。本願寺とは二二世宗主大谷光瑞率いる大谷探検隊と調査旅行の途中で出会った縁で関係が生まれ、さまざまな様式を取り込んだ建築の実作として旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)(明治四十四年 重要文化財)や築地本願寺本堂が建てられた。 本堂は敷地東寄りに西面して建ち、本堂前広場を囲むように石塀が廻り、正面に正門、北方に北門、南方に南門を開いている。築地本願寺本堂および石塀は、平成二十三年七月二十五日付で登録有形文化財となっている。 本堂は、鉄筋コンクリート造一部鉄骨鉄筋コンクリート造、二階建一部地下一階で、本堂である中央部と議場や説教所を有する北翼部、おもに事務室の南翼部からなり、建築面積三一四九・四〇平方メートルである。屋根は陸屋根で中央部に瓦棒銅板葺のヴォールト屋根を載せ、正面に大階段とインドの石窟寺院風の向拝を付け、両翼上部にはストゥーパ形の塔屋を据えた構成となる。 外観は一階を基壇に見立てた石張とし、二階はモルタルに目地を切り丸柱形を表した石造風に見せる。柱形の上にはインド石窟寺院に見られる組物形装飾を載せて軒廻りを蛇腹で迫り出し、石造高欄風のパラペットを廻し、全体を三層構成の立面とする。窓は鉄製サッシュとするが、二階窓は花頭窓を変形させた意匠とする。中央のヴォールト屋根はほぼ半円筒形の切妻で正面に蓮華文と唐草文を施し、両端と大棟に尖塔飾りを五基載せる。正面向拝や両翼部の玄関入口は石窟寺院風の意匠とする。大階段の高欄も独特な曲線で構成され、隅部に羽根をもつ獅子彫刻を四基据える。総体として西洋建築に倣う三層構成の立面に、インドの古代仏教寺院等から着想を得た細部意匠を自由に加工して配し、独特の外観を生み出している。 平面は中央部二階を大本堂とし、正面に大階段と向拝を付し、廣間を介して大本堂へ入る。廣間南北隅には階段を設ける。大本堂は正面側を広い外陣部、奥中央を内陣とし中央に佛壇を据え宮殿内に阿弥陀如来立像を安置する。内陣両脇を餘間とし北餘間の北に香房、南餘間南を御簾の間とする。内陣餘間部後方には後堂を設け、後堂南の一部を香房とし、後堂背面を張出し階段室とする。一階は正面側を階段室を兼ねた廣間とし、奥は中廊下を挟んで部屋に区画される。大本堂内陣直下は納骨堂とし、廊下を挟んで南のリフト室には棺を大本堂内陣正面へ上げる手動の昇降設備を備える。納骨堂北は図書閲覧室、南は地方僧侶宿泊所と佛飯所、花賣所を置く。図書閲覧室の西は日曜学校、花賣所の西は地方青年宿泊所とし、そのほかは倉庫、納戸とする。 大本堂の内部はおおむね伝統的な真宗本堂の形式を踏襲するが、外陣を椅子座とし、内陣を外陣へ凸字状に張り出すなどの特徴がある。柱および虹梁は鉄筋コンクリート造であるが、組物や蟇股、欄間彫刻や天井などの造作は木造で、彫刻や彩色文様は密度の濃い意匠とする。また柱廻りにグリルを廻らし暖房設備を備え、照明器具や棺の昇降設備を備えるなど最新式の設備を備えている。 大本堂正面の廣間は、柱列が立ち並び、入口は背の高い扉と上部のステンドグラスで飾るなど、教会堂前室を思わせる。両脇の階段廻りも大理石により高密度に飾り、高欄はインドでストゥーパなどの聖域の周りを囲む欄楯に似せ、親柱上部には牛、鳥、馬、象などの石像で飾る。後堂および階段室は柱上の大斗や虹梁形に装飾した梁、虹梁を受ける実肘木、柱間の板蟇股、擬宝珠親柱をもつ高欄など日本風の意匠を表している。一階の部屋は総じて簡素であるが、日曜学校では虹梁下に渦のある実肘木形の飾りを付す。 北翼部は一階中央は説教所とし、北面中央を佛壇間、北を控室、廊下を挟んで小會議室を置く。説教所南を廊下とし西に玄関を開き、廊下北端に階段を据える。説教所は丸柱と梁を見せ、床は元は畳敷、天井は格天井とするが、柱頂部に柱頭巻と虹梁端部を包む八双形の飾りと実肘木を模した照明装飾を付し、頭貫と虹梁の間には濃密な装飾の蟇股を置くなど日本風の意匠でまとめる。控室も畳敷で柱形や長押など日本風である。 二階中央は議場とし、議場東に詰所と議長室、廊下を挟んで南から第二貴賓室、第二控室、第一控室を置く。議場は曲線形の梁型を見せ、柱頭はインドの石窟寺院の意匠だが、開口部上部にはイスラム風の曲線も加え、腰板壁と左官仕上げ壁などの多様な要素からなる。第二貴賓室、控室は天井蛇腹、壁の布張もしくは左官仕上げ壁、腰板壁、照明器具で重厚にまとめ、廊下には待合のソファを備える。 南翼部はおもに事務室で、一階西に玄関を開く。北東隅一階に重役室、二階に第一貴賓室および次ノ間、北西隅一階に第一應接室、第二應接室、二階に第三應接室、中庭に面して予備室を置く。貴賓室や予備室、應接室は天井蛇腹や腰板壁などで品格ある意匠を示す。広間廻りは梁をアーチ形とし、梁下にも彫刻を付ける。 北塔屋は鐘楼、南塔屋は鼓楼とする。鐘楼上層には梵鐘を吊り撞木を窓から突出させ、鼓楼内部には太鼓の吊り金具を付す。地下は南翼部直下に位置し、機械室や物置である。 門は石造柱門で三所あり、正門は、間口六・四メートルで、左右に脇門を附属し、北門は間口四・二メートル、南門は間口四・二メートルで左右に脇門を附属する。門柱は几帳面取の角柱の上部にストゥーパ形の装飾を置く。 石塀は、高さ約二・四メートルの石造の塀で、門などで五基に区分され、総延長は二二〇メートルである。基壇は割肌仕上げ大谷石の切石を積み、四〇センチメートル間隔で角柱を立て、上部に蒲鉾断面の笠木を置き、柱間には葉形断面の横材を三段に通すなど、欄楯を模した意匠とする。 築地本願寺本堂は、インドの古代仏教建築を主たる素材として外観を構成し、内部は日本の伝統的な要素に多彩な仏教建築の細部を加え、総体として極めて特異であり、濃密で均整のとれた意匠を達成している。耐震耐火のため鉄筋コンクリート造を採用し、必要な諸機能を合理的に一つの建築にまとめ、最新式の設備を具備するなど近代の設計技術を集合し、また細部の造形技術も極めて精緻で、高い技術的価値が認められる。独自の建築様式を追い求め、近代における新しい寺院建築の有り様を示した伊東忠太による寺院建築の傑作であり、価値が高い。 【参考文献】 『築地本願寺』(北尾春道 一九三四年) 『築地別院史』(本願寺築地別院 一九三七年) 『築地本願寺本堂修復工事報告書』(宗教法人築地本願寺 二〇一三年)
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附指定
正門
北門
南門
石塀
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附指定
附名称
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正門
附員数
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一所
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附指定
附名称
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北門
附員数
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一所
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附指定
附名称
:
南門
附員数
:
一所
関連情報
附指定
附名称
:
石塀
附員数
:
五基