国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
三尾神社本殿
ふりがな
:
みおじんじゃほんでん
棟名
:
棟名ふりがな
:
三尾神社本殿 外観
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
室町中期
年代
:
応永33
西暦
:
1426
構造及び形式等
:
三間社流造、檜皮葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02621
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2014.12.10(平成26.12.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
所在都道府県
:
滋賀県
所在地
:
滋賀県大津市園城寺町
保管施設の名称
:
所有者名
:
三尾神社
所有者種別
:
神社
管理団体・管理責任者名
:
三尾神社本殿 外観
解説文:
詳細解説
三尾神社は,古くは園城寺南院の鎮守社で,同寺境内の南西側に所在していた。明治初期の神仏分離に伴い,境内の外側に移転し,三尾神社として独立した。
本殿は応永33年(1426)に建立された。三間社流造の形式で,屋根は檜皮葺とする。全体に装飾を抑えた簡素な意匠であるが,木太い軸部構成,舟肘木の曲線形状,反りの強い垂木などに,中世建築の特徴がよくあらわれている。
三尾神社本殿は,室町中期に遡る年代が明らかな三間社流造本殿である。木太い軸部や簡素な意匠による古風かつ雄大な形態であり,我が国の神社建築の展開を理解する上で,高い価値を有している。同じ鎮守社の新羅善神堂と親近性が強く,園城寺の室町再興期の様相を示す建築としても重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
三尾神社本殿 外観
三尾神社本殿 正面
三尾神社本殿 外陣
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三尾神社本殿 外観
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三尾神社本殿 正面
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三尾神社本殿 外陣
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解説文
三尾神社は,古くは園城寺南院の鎮守社で,同寺境内の南西側に所在していた。明治初期の神仏分離に伴い,境内の外側に移転し,三尾神社として独立した。 本殿は応永33年(1426)に建立された。三間社流造の形式で,屋根は檜皮葺とする。全体に装飾を抑えた簡素な意匠であるが,木太い軸部構成,舟肘木の曲線形状,反りの強い垂木などに,中世建築の特徴がよくあらわれている。 三尾神社本殿は,室町中期に遡る年代が明らかな三間社流造本殿である。木太い軸部や簡素な意匠による古風かつ雄大な形態であり,我が国の神社建築の展開を理解する上で,高い価値を有している。同じ鎮守社の新羅善神堂と親近性が強く,園城寺の室町再興期の様相を示す建築としても重要である。
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詳細解説
三尾神社本殿 一棟 三尾神社は、園城寺の南東方に隣接し、西流する琵琶湖疏水をその南辺として、東向きの境内を構える。本殿は境内西奥に東面して建ち、正面に拝所を設け、周囲に玉垣を廻らし、南に稲荷神社、北に日御前神社などの境内社を配し、拝所前面に唐門、さらに東方の前庭に拝殿がある。三尾神社本殿は、平成二十一年十一月二十五日付で滋賀県指定有形文化財となった。 明治初年まで、三尾神社は園城寺南西側の子院群の中に所在し、三尾社、三尾大明神などと称され、園城寺北院の新羅社、中院の護法社などと並ぶ南院の鎮守社であった。 園城寺は、建武三年(一三三六)に新田義貞らの兵火で焼亡した後、足利氏によって復興が図られたが、三尾社も貞和三年(一三四七)に再興された。現存する本殿は応永三十三年(一四二六)の建立になり、その後慶長十四年(一六〇九)に全体的な修理が行われた。明治十年(一八七七)には神仏分離により約二五〇メートル東方の現在地に移転して本殿も移築され、現在は伊弉諾尊を祭神とする。 本殿は、大型の三間社流造形式で檜皮葺である。身舎は桁行三間に梁間二間の規模で、正側面に縁を廻らして背面柱筋に脇障子を立てる。内部は梁間中央の柱筋で二分し、前方を外陣とし、後方の内陣はさらに三室に区画している。庇は吹放しとして中央間に木階五級をつけ、浜床を設ける。 身舎は、亀腹上の礎石に円柱を立て、側廻りを腰貫と地長押、切目長押、腰長押、半長押、内法長押で固め、内部の柱は内法長押を付ける。正背面の側柱上には桁行方向に舟肘木を置くが、両端の舟肘木は外側を一支分長く作り、けらばに反りのある丸桁を受ける。梁行方向は、各間の中央柱に載せた大斗で梁を受ける。庇柱は面取角柱として舟肘木で丸桁を受け、両端の柱位置で庇の丸桁と身舎正面柱を繋虹梁で緊結する。いずれの部材も木柄が大きく、丸桁や繋虹梁、舟肘木には大面取を施すが、全体的に極めて簡素な構成となっている。なお園城寺新羅社の遺構である新羅善神堂は前室の彫刻装飾が特徴であるが、前室以外は三尾神社本殿と同様の簡素な意匠になり、柱間装置や縁廻りの構成も併せて高い親近性が認められる。 軒廻りは二軒繁垂木で、正面は地垂木、打越垂木、飛檐垂木とする。地垂木と打越垂木に反りや増し、飛檐垂木には鼻こきをつけ、また正面側の打越垂木と飛檐垂木は下角に面取を施している。妻飾は虹梁に叉首束の太い豕叉首を組み、叉首の頂部で舟肘木と化粧棟木を受ける。小屋組は、身舎の棟通りで梁に棟束を立てて一筋の貫を通して固め、引き通しの化粧棟木を渡し、さらに化粧棟木に束立で野棟木を受ける。また棟束の前後には小束を立てて垂木掛を通し、地垂木尻を受ける。棟は箱棟で、両端に鬼板を飾る。 柱間装置は、外陣正側面の各間を幣軸構えの板唐戸両開とし、正面中央間は両折板唐戸とするが、痕跡によれば当初の正面三間は内開きの半蔀であった。内陣正面の各間は当初の形式で、幣軸構えの板唐戸両開、中央間が両折板唐戸である。内陣内部の間仕切りは板壁とし、外壁は漆喰壁とする。内陣と外陣は同高の拭板敷とし、天井は格天井である。 縁は円形の柱座をもつ礎石上に円柱の縁束を立て、縁板を切目張として刎高欄を廻らし、木階の高欄下部には擬宝珠付の親柱と袖高欄を設ける。脇障子は鏡板張で、欄間や腰下も無地の板張とする。浜床は正側面に框を廻らせて板敷とし、後方の縁束側面に鳥居枠を付ける。 三尾神社本殿は、室町中期に遡る年代が明らかな三間社流造本殿で、木太い軸部や簡素な意匠による古風かつ雄大な形態を保守しており、わが国の中世神社建築の展開を理解する上で高い価値を有している。また、各部に滋賀県内の中世神社建築と共通する顕著な特色を具備しており、とりわけ同じ園城寺鎮守社の新羅善神堂と親近性が強く、園城寺の室町再興期の様相を示す稀少な建築としても重要である。 【参考文献】 『三尾神社の古建築』(三尾神社 二〇〇八年)
関連情報
附指定
棟札
古材
文書
関連情報
附指定
附名称
:
棟札
附員数
:
一枚
関連情報
附指定
附名称
:
古材
附員数
:
三点
関連情報
附指定
附名称
:
文書
附員数
:
三冊