国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
浅草寺伝法院
ふりがな
:
せんそうじでんぼういん
棟名
:
客殿
棟名ふりがな
:
きゃくでん
浅草寺伝法院 全景
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸後期
年代
:
安永5
西暦
:
1776
構造及び形式等
:
桁行22.0m、梁間15.3m、一重、寄棟造、西面葺きおろし下屋、北面物置、廊下及び庇附属、鉄板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
2627
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2015.07.08(平成27.07.08)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都台東区浅草二丁目四九番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
浅草寺
所有者種別
:
寺院
管理団体・管理責任者名
:
浅草寺伝法院 全景
解説文:
詳細解説
浅草寺は古来より観音霊場として多くの信仰を集めた寺院である。伝法院はその本坊にあたり,中心伽藍の南西に位置している。客殿は安永5年(1776),玄関は翌6年の建築である。客殿は大規模な方丈形式の本堂で,仏壇を広く構える内陣三室を並べた平面構成に特徴があり,南には豪壮な玄関を設けている。書院群や台所は,明治後期から大正期に復興された建造物である。大書院は,室内の華麗な装飾,庭園の眺望に配慮した柱配置などに近代的な技巧を凝らしている。浅草寺伝法院の客殿と玄関は規模雄大で,江戸府内で近世に遡る希少な大寺院本坊の中心的な建築として,高い歴史的価値を有している。近代に整えられた書院群と台所も優れた意匠と形式になり,庭園と融合した後方空間を構成する建築群として重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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浅草寺伝法院 全景
浅草寺伝法院 客殿 正面全景
浅草寺伝法院-客殿内観
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浅草寺伝法院 客殿 正面全景
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浅草寺伝法院-客殿内観
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解説文
浅草寺は古来より観音霊場として多くの信仰を集めた寺院である。伝法院はその本坊にあたり,中心伽藍の南西に位置している。客殿は安永5年(1776),玄関は翌6年の建築である。客殿は大規模な方丈形式の本堂で,仏壇を広く構える内陣三室を並べた平面構成に特徴があり,南には豪壮な玄関を設けている。書院群や台所は,明治後期から大正期に復興された建造物である。大書院は,室内の華麗な装飾,庭園の眺望に配慮した柱配置などに近代的な技巧を凝らしている。浅草寺伝法院の客殿と玄関は規模雄大で,江戸府内で近世に遡る希少な大寺院本坊の中心的な建築として,高い歴史的価値を有している。近代に整えられた書院群と台所も優れた意匠と形式になり,庭園と融合した後方空間を構成する建築群として重要である。
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詳細解説
浅草寺伝法院 6棟 客殿、玄関、大書院、小書院、新書院、台所 浅草寺は金龍山と号し、隅田川西畔に寺地を構える。寺伝によれば推古天皇三十六年(六二八)の創建とされる古刹で、現在は聖観音宗の本山であるが、昭和二十四年までは天台宗に属した。昭和二〇年三月の戦災で堂塔を焼失し、現在の本堂は昭和三三年の再建である。慶安二年(一六四九)頃の二天門は昭和二一年一一月二九日付けで重要文化財に指定された。 徳川家康の江戸入府以降は、江戸幕府と良好な関係を築き、寛永八年(一六三一)と同一九年には本堂等を焼失したが、その都度再建されてきた。江戸時代を通じて、数多くの将軍家の御成があり、大名家や旗本御家人、さらに一般庶民などの参詣も盛んで、江戸府内を代表する大寺院として興隆した。近代に入って明治初期の境内公有地化や、関東大震災、戦災に見舞われながらも復興を遂げ、今なお観音霊場として篤く信仰され、現在に至っている。 浅草寺の本坊は、別当を務めた宣存僧正の院号に因んで、元禄期(一六八八~一七〇四)に伝法院と称されるようになった。元文五年(一七四〇)には輪王寺宮門跡が浅草寺別当を兼帯するようになり、将軍家の御成も頻繁に行われ、独自の地位を築いた。明和九年(一七七二)の江戸大火で主要部を焼失したが、その後に建てられた客殿と玄関が現存する。書院群は安政大地震で甚大な被害を受け、『浅草寺日記』には「自坊向、七分通潰」とある。書院群はほとんど倒壊したようで、明治初期に規模を縮小して仮設的に復旧されたが、現在の書院群と台所は明治後期から大正期に整えられたものである。 伝法院は雷門から仲見世を抜けて、宝蔵門に至る参道西側の北方、主要伽藍の南西に境内を構えている。参道に面して表門を東に開き、北に客殿、南に玄関が東面して建ち並ぶ。客殿の西には渡廊下を介して小書院と台所、さらに西方には大書院と新書院があり、これらの書院群の西から北にかけて大規模な池泉庭園が築かれている。平成二三年九月二一日に面積16,402.52㎡が名勝に指定された。 客殿は、公遵法親王の代、安永五年(一七七六)の建築で桁行22.0m、梁間15.1m、寄棟造、瓦棒鉄板葺で背面に庇を葺きおろし、一軒疎垂木とする。平面は整形六間取の方丈型とし、奥中央の内陣は奥行一間の仏壇を構え、三区分した中央に阿弥陀三尊像、左右に徳川将軍家と歴代住職の位牌を祀る。この両脇も内陣として、それぞれ奥行半間の仏壇を構え、背後を物置とする。正面と側面には広縁を廻らし、背面は庇部分を廊下とし、東と北に切目縁を付す。軸部は礎石建の面取角柱とし、基本的に組物を用いず、中央内陣の仏壇前面に内法虹梁を入れるほかは、長押と貫で固め、各室とも棹縁天井を張る。間仕切りには腰高障子と襖を用い、内法より上は、奥三室が小壁、前と奥の室境が筬欄間、前の三室が側まわりを障子戸、室境には縦桟を上下交互に配した欄間を入れる。三方広縁付の大規模な方丈形式でありながら、接客用の座敷を設けず、仏壇を広く構えた内陣三室を奥に並べた独特な平面構成に特徴がある。 玄関は、客殿と同時期、安永六年頃の完成である。桁行20.2m、梁間11.6m、入母屋造、桟瓦葺で、北面で客殿と接続し、西、南面には半間幅の下屋を付ける。正面には間口5.7m、奥行4.2mの式台を張り出し、唐破風造屋根を突出する。軒は一軒疎垂木で、主体部は組物を用いないが、式台は頭貫で固めた柱の上部に皿斗付平三斗を組む。式台から北は東に一間半幅の広縁を設け、西に一二畳の座敷四室を田の字に配するが、南東室の西面には三間幅の大床を設け、その背面の南西室は六畳と三畳に仕切る。式台の南側は、東から六畳大の板敷脇玄関、八畳大の板間、八畳とし、さらに南には東から押入付の九畳と一二畳を設ける。軸部は礎石建の面取角柱とし、式台から北では長押を廻すが、南側では八畳大の板間を除いて長押を用いない。二つの玄関や大床付の室を具備するなど、大寺院本坊の玄関に相応しい格式を有している。 大書院は、小屋内の棟札から明治三五年の建築で、書院群の北西端に位置し、池に面している。南北棟の寄棟造、桟瓦葺で、一軒疎垂木とする。平面は南北に三室の座敷を並べ、南、西、北の三面を一間幅の畳廊下とし、周囲に四尺幅の切目縁を廻らして雨戸を通し、その外側に柱列を設けて桁を受ける。軸部は面取角柱とし、長押と貫で固めるが、庭園側へは開放的なつくりとする。北室に北面東寄りに花頭型の枠取を施した明かり窓付の付書院を備え、東面には一間幅の床と、天袋、地袋を備えた違棚を設ける。天井は、鳳凰の浮彫を施した板で折り上げた格天井で、内法上には中央に桐を象った欄間彫刻を嵌める。中央室と南室は北室より低い位置に格天井を張り、中央室は牡丹、南室は波に水鳥を図案とする欄間彫刻を嵌める。三方を廻る畳廊下には棹縁天井を張り、縁では化粧軒裏とする。室内の華麗な装飾、庭園の眺望に配慮した柱配置など、各所に近代的な技巧を凝らしている。なお、大書院の三室の間には、本来、川辺御楯の筆になる襖絵を持つ襖が入るが、計八本の襖は境内の収蔵庫に保管されている。旧下地桟を含めて大書院の附指定とする。 小書院は、明治三五年の建築で、東西棟の切妻造、桟瓦葺、一軒疎垂木である。中央に八畳間二室を東西に並べ、南に縁側、北及び西に廊下を付ける。西側室の西面には床と天袋及び地袋を設けた棚を設える。寺務用の座敷や室と各建物を連絡する廊下を一体化した建築である。 新書院は大正七年の建築で、小書院に東側の渡廊下で接続する。南北棟の入母屋造、桟瓦葺、一軒疎垂木で、小屋組をキングポストトラスとし、一段切り下げて鉄板葺の下屋を四周に廻らす。平面は、南に畳床と違棚及び付書院を備えた一〇畳、西北に八畳、東北に六畳の三室を矩折に配して、一〇畳の東背面を物置とする。西、南、北の三方に縁を廻らし、東に小書院への渡廊下を通す。面皮付の床柱、繊細な筬欄間、地袋天板を組み込んだ違棚など、瀟洒な数寄屋風に仕上げる。 台所は、明治三五年の建築で、客殿と玄関の西側に建つ。南北棟の桟瓦葺で、南半が妻入の入母屋造として東側に下屋を付し、北半が切妻造で東西に大屋根から一段切り下げた下屋を設け、軒は一軒疎垂木とする。平面は、南半の南寄りを矩折の土間、北西寄りを板敷とし、南に出入口を設け、北半は南から一一畳、六畳、八畳を一列に並べる。当初、南半は台所、北半は寺務所や会計所として使用された。太い大黒柱や梁組を見せる土間部は、大規模庫裏の特色がよく表れている。 浅草寺伝法院は、規模雄大で独特な内陣構成を持つ方丈型本堂の客殿と、これに連続する豪壮で格式のある玄関が江戸後期の建立で、江戸府内において希少な大寺院本坊の中心的な建築として歴史的価値が高い。近代に整えられた書院群と台所も充実した意匠と形式で、庭園と融合した後方空間を構成しており、客殿及び玄関と一体となった本坊建築群として優れた趣向を見せ、重要である。 【参考文献】 『国指定名勝「伝法院庭園」内の歴史的建造物に関す る調査研究報告書』(金龍山浅草寺 二〇一三年)
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扁額
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扁額
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1面