国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧網走監獄
ふりがな
:
きゅうあばしりかんごく
棟名
:
庁舎
棟名ふりがな
:
ちょうしゃ
旧網走監獄 舎房及び中央見張所 全景(航空写真)(西から見る)
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員数
:
1棟
種別
:
近代/官公庁舎
時代
:
明治
年代
:
明治45
西暦
:
1912
構造及び形式等
:
木造、建築面積499.99㎡、鉄板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02634
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2016.02.09(平成28.02.09)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
北海道
所在地
:
北海道網走市呼人一番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
公益財団法人網走監獄保存財団
所有者種別
:
法人
管理団体・管理責任者名
:
旧網走監獄 舎房及び中央見張所 全景(航空写真)(西から見る)
解説文:
詳細解説
網走監獄は明治23年に網走囚徒外役所を設置したことに始まり,明治36年監獄官制発布に伴い網走監獄となった。明治42年に火災により建物の大半を焼失し,現在の建物は明治45年に再建されたものである。設計は司法省で,収容者の手により施工された。その後刑務所の改築計画に伴い昭和56年以降建造物が順次現位置に移築され,博物館網走監獄として公開活用がはかられている。
旧網走監獄の庁舎ほか2棟は,監獄における主要施設であり,明治期の木造監獄建築の数少ない遺例として歴史的価値が高い。とりわけ舎房及び中央見張所は,木造の放射状舎房が完全な形で残る唯一のもので,当時の標準的な獄舎の特徴を備えており重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
旧網走監獄 舎房及び中央見張所 全景(航空写真)(西から見る)
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旧網走監獄 舎房及び中央見張所 全景(航空写真)(西から見る)
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解説文
網走監獄は明治23年に網走囚徒外役所を設置したことに始まり,明治36年監獄官制発布に伴い網走監獄となった。明治42年に火災により建物の大半を焼失し,現在の建物は明治45年に再建されたものである。設計は司法省で,収容者の手により施工された。その後刑務所の改築計画に伴い昭和56年以降建造物が順次現位置に移築され,博物館網走監獄として公開活用がはかられている。 旧網走監獄の庁舎ほか2棟は,監獄における主要施設であり,明治期の木造監獄建築の数少ない遺例として歴史的価値が高い。とりわけ舎房及び中央見張所は,木造の放射状舎房が完全な形で残る唯一のもので,当時の標準的な獄舎の特徴を備えており重要である。
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詳細解説
旧網走監獄 三棟 庁舎、舎房及び中央見張所、教誨堂 北海道網走市 公益財団法人 網走監獄保存財団 旧網走監獄の庁舎ほか二棟は、現網走刑務所の南方の高台に所在する博物館網走監獄の中心施設として博物館内正門奥の斜面地に建つ。 網走監獄は、明治二三年に旭川から網走への中央道路開削のため、釧路監獄署網走囚徒外役所を設置したことに始まり、同三六年監獄官制発布に伴い網走監獄となった。同四二年火災により建物の大半を焼失したが、同四二年八月二六日から復旧工事を開始し、同四五年三月三一日に竣工した。設計は司法省により、工手として金子馨と佐藤源之丞が派遣され、実際の施工は全て収容者の手で実施された。舎房は中央監視方式の扇形の放射状配置が採用され、構造は木造平屋建とされた。 建物は明治四五年のものが長らく使用されてきたが、昭和四八年に始まった刑務所施設の全面改築に伴い主要建物の移築保存が図られることとなった。教誨堂が昭和五六年、舎房及び中央見張所が同六〇年、庁舎が同六三年に順次現位置に解体移築され、博物館網走監獄として公開活用されている。 博物館の敷地は東に山を背負う高台の造成地で西に緩やかに傾斜しており、西に出入口を開く。西を正面に東西に軸線を通し、現存する煉瓦造正門を模した正門の奥に庁舎が、背後に舎房及び中央見張所が建つ。教誨堂は正門の南に北面して建つ。舎房及び中央見張所、教誨堂が平成一七年七月一二日付けで、庁舎が平成二四年八月一三日付けで登録有形文化財となっており、同様に移築された独居房、裏門、哨舎四棟も庁舎と同日付で登録有形文化財となっている。 庁舎は、木造、平屋建で、桁行三九・九メートル、梁間一〇・〇メートルの本体の左右両端後方に両翼を延ばしコの字形の平面とし、正面中央に玄関を張り出す。屋根は寄棟造でもと桟瓦葺であったが現在は桟瓦形鉄板葺で、要所にドーマー窓、棟端部に尖塔飾りを付す。小屋組はキングポストトラスである。外壁は下見板張ペンキ塗で、腰を竪板張とし、上下窓を並べる。軒廻りには持ち送りを並べる。正面の切妻破風に半円アーチを付しガラス窓を設け、入母屋造の玄関は柱頭飾り付の角柱で支持し妻壁に旭日章を飾る。内壁は漆喰風仕上で腰壁を竪板張とし、要所に装飾を施しためがね石と呼ばれるストーブ煙突用の穴をあけた石を嵌める。天井も漆喰風仕上で要所に丸形の中心飾りを付す。要所に意匠的な工夫がなされた庁舎建築である。 舎房及び中央見張所は、木造、平屋建で、中央見張所とそれを中心として側面から後方に放射状に建つ五つの舎房からなり、間を渡廊下で接続する。外壁は下見板張で、屋根はもと桟瓦葺だが現在は鉄板葺である。 舎房は北から順に第一舎から第五舎と称し、桁行は第一、三、五舎が五八・二メートル、斜め方向に伸びる第二、四舎が七二・七メートルで、梁間は九・一メートルである。内部は中央を通路とする向い房とし、第四舎八〇房と第五舎奥の二〇房を一・五坪の広さの独居房とする他は、各棟三二房若しくは四〇房の三坪の雑居房とする。屋根は切妻造で、明かり取りの天窓が第一、三、五舎は各二所、第二、四舎は各三所ずつ付く。 構造は布基礎上に土台を置き、柱を桁で固めるが、壁を破られないよう壁内の柱は雑居房で約三〇センチメートル間隔、独居房は約二一センチメートル間隔で密に立てる。小屋組は下弦材を鉄筋で繋いだクイーンポストトラスに似た形の小屋組とし、中央部分は逆Yの字の鉄筋の開き止めを露出させて中央通路の棹縁天井を五・三メートルと高くとる。タイバーの取り付く位置の小屋梁端部には繰形を施す。床は、中央通路は煉瓦敷の土間、房は板敷で各房の隅に便所用の枠を設け、房内壁は木摺漆喰塗とし、房天井は厚さ一五ミリメートルの板を張った鏡天井とする。 通路と房を隔てる壁は中央を木製扉、両脇を竪格子とし、上部に鉄格子付の窓を付す。木製扉は片開の框戸で、上部に鉄格子付の視察孔、下部に食器口を開け、大型の鉄錠を付す。竪格子は平行四辺形断面若しくはくの字形断面の格子とし、換気に配慮しつつ向い房同士が見通せない工夫がなされている。房内外壁側は床から一・五メートルの高さに欄間付引違ガラス窓を開け、外に鉄格子が付く。 中央見張所は正面一二・七メートル、奥行一三・六メートルの変形六角形平面で、屋根は正面を切妻造、背面を寄棟造とする。内部を煉瓦敷の土間とし、入口両脇に部屋を設け、中央に八角形の哨舎を置き各舎房の渡廊下を見通す。壁は漆喰塗腰壁竪板張で、天井は鏡天井で中央に八角形の中心飾りを付す。外部正面は切妻面をせり出し、ハンマービームトラス形の装飾を見せる。渡廊下は各桁行一二・七メートル、梁間三・七メートルで、屋根は切妻造とし、内部仕上げは中央見張所に倣う。 教誨堂は、収容者に対する教化指導を行う場所である。木造、平屋建、桁行三一・八メートル、梁間一二・七メートルの大規模な建物で、屋根は入母屋造、釉薬瓦の桟瓦葺である。軸部は布基礎上に土台を置き柱を立て、筋交いと桁で固め、小屋組は二重梁より上にキングポストトラスを組み込んだ大スパンのクイーンポストトラスとし、柱と陸梁を方杖で固め、無柱の大空間を実現する。平面は北面に出入口を開き、内部は板張の一室で、南奥を間仕切り、舞台と左右に脇室を置く。内部の壁は漆喰風仕上で腰壁を竪板張とし、天井は蛇腹を二重に廻して折上げた漆喰風仕上の天井で、丸形の中心飾りを三箇所付す。外壁は隅のみ柱形を付した下見板張で、腰を竪板張、櫛形ペディメント付の上下窓を開く。軒は一軒繁垂木で隅を扇に配り、軒反りを付け、妻飾りの破風には植物の葉をあしらった独特な鰭付懸魚を吊る。和洋の意匠や技法を組み合わせた教誨堂である。 旧網走監獄の庁舎、舎房及び中央見張所、教誨堂は、監獄における主要施設であり、トラス架構の技術や細やかな細部意匠に司法省の設計水準や収容者の施工技術を良く示し、明治期の木造監獄建築の数少ない遺例として歴史的価値が高い。とりわけ舎房及び中央見張所は、木造の放射状舎房が完全な形で残る唯一のものであり、中央監視方式の配置や舎房の構造など、当時の標準的な獄舎の特徴を備えており重要である。 【参考文献】 『博物館網走監獄五翼放射状平屋舎房移築復原・改築工事調査報告書』特定非営利活動法人歴史的地域資産研究機構、二〇一三年 『博物館網走監獄登録有形文化財移築・改築工事調査報告書』特定非営利活動法人歴史的地域資産研究機構、二〇一四年