国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧弘前藩諸士住宅
ふりがな
:
きゅうひろさきはんしょしじゅうたく
棟名
:
棟名ふりがな
:
旧弘前藩諸士住宅 西面(正面)
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/住宅
時代
:
江戸中期
年代
:
宝暦年間以前
西暦
:
1751~1763
構造及び形式等
:
桁行11.5m、梁間5.7m、西面突出部 桁行4.8m、梁間3.8m、東面及び北面葺きおろし下屋、南面、東面及び西面下屋附属、切妻造、銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
2636
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2016.02.09(平成28.02.09)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
所在都道府県
:
青森県
所在地
:
青森県弘前市若党町七二番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
弘前市
所有者種別
:
法人
管理団体・管理責任者名
:
旧弘前藩諸士住宅 西面(正面)
解説文:
詳細解説
旧弘前藩諸士住宅は,弘前城北側の仲町伝統的建造物群保存地区の西南部に所在する。宝暦(1751~63)頃作成の「御家中屋鋪建家図」に掲載された中下級武士(諸士)の住宅で,地区の東北部から現在地に移築し,復原された。
旧弘前藩諸士住宅は,18世紀前半に弘前藩が城下に建設した一連の中下級武士住宅のひとつであり,平面構成などにその標準的な姿を示すとともに,全国的に例が少ない同時期の遺構として価値が高い。また武家町として保存されている仲町伝統的建造物群保存地区における中下級武士住宅の特徴を理解する上でも重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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旧弘前藩諸士住宅 西面(正面)
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旧弘前藩諸士住宅 西面(正面)
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解説文
旧弘前藩諸士住宅は,弘前城北側の仲町伝統的建造物群保存地区の西南部に所在する。宝暦(1751~63)頃作成の「御家中屋鋪建家図」に掲載された中下級武士(諸士)の住宅で,地区の東北部から現在地に移築し,復原された。 旧弘前藩諸士住宅は,18世紀前半に弘前藩が城下に建設した一連の中下級武士住宅のひとつであり,平面構成などにその標準的な姿を示すとともに,全国的に例が少ない同時期の遺構として価値が高い。また武家町として保存されている仲町伝統的建造物群保存地区における中下級武士住宅の特徴を理解する上でも重要である。
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詳細解説
旧弘前藩諸士住宅 一棟 青森県弘前市 弘前市 弘前市は、日本海に面して北に開けた津軽平野南部の一帯を占める。市の中心部は、白神山地から津軽平野に流れ出た岩木川によって形成された河岸段丘上に立地した弘前城の周囲に展開する。 弘前城下は、慶長一六年(一六一一)の築城当初に城の四方を囲む町割がなされ、城の南西には領内の寺院を集めた長勝寺構と呼ばれる寺町を設け、その南方には溜池が築かれた。当初の大手門である北門(亀甲門)の門前に位置する一帯は、碁盤目状の町割を基調としつつ、武家町の様相を伝える主屋や門、塀や生垣の伝統的建造物等が良好に残ることから、その一部が弘前市仲町伝統的建造物群保存地区として保存が図られている。 旧弘前藩諸士住宅は、保存地区の西南部、弘前城北門前に広がる亀甲町(町人町)の裏手に並行する若党町に所在する。もとは保存地区の東北部の小人町に所在したが、平成七年度に弘前市が行った調査により、宝暦年間(一七五一~一七六三)作成の『御家中屋鋪建家図』に記載された武士住宅のひとつと判明し、平成二四年度に現在地に移築、復原された。復原工事の完了後、平成二五年二月二〇日付けで「旧笹森家住宅」として弘前市指定有形文化財となっている。当住宅は、元禄八年(一六九五)の飢饉に端を発する家臣の召放ちと城下の再編が一段落した宝永年間(一七〇四~一七一〇)以降、宝暦までの間に、武家町の再整備に伴って藩が建設したもので、諸士用の住宅と考えられる。 敷地は、東西通りに南面する、升目状に整然と配された宅地の一区画で、敷地の中央やや前寄りに主屋を建て、正面西寄りに表門を開く。敷地の四周はサワラ垣で区切り、正面境と主屋の間にツボ(前庭)、主屋と背面境の間にカグチ(裏庭)を整備する。 主屋は、南北棟の切妻造、銅板葺、桁行六間、梁間三間の本屋を、西を正面として建て、その西面北端に桁行二間半、梁間二間の角屋が突出する。西の全面、南及び東の一部に下屋を設け、さらに本屋東面の中央部及び角屋北面の中央部を葺き下ろして下屋を設ける。 主屋主体部の居室は三列構成で、上手となる南列に接客用のザシキとヒロマを並べてゲンカンを構え、ザシキに床を備える。中列にジョイ(居間)とネマ、下手の北列にダイドコロと物置を配し、下手に作業用の土間を矩の手に張り出す。これは、当地方で広く見られた近世農家平面形式に、接客のためのザシキや玄関を付加して格式を備えた構成とみなせる。 軸部は、四寸角の柱を土台又は礎石に立て、貫で固める。小屋組は、柱をのばして直接母屋や桁を受ける構造で、柱間では梁に立てる短い小屋束で母屋を受け、束は互いに貫を通して固める。用材は全てヒバを用い、柱や梁、桁の見掛りを台鉋仕上げとするほかは、釿仕上げとする。内部は天井を張らずに小屋組を現す。屋根はもと板葺であるが、銅板葺で整備している。 表門は、主屋の表座敷及び前庭と一体となって、武士住宅の表構えを構成する。一間薬医門、切妻造、銅板葺、門口二・〇メートルの規模で、全てヒバを用いる。 旧弘前藩諸士住宅は、一八世紀前半に弘前藩が城下に建設した一連の武士住宅のひとつであり、平面構成などにその標準的な姿を示すとともに、全国的に遺例が少ない同時期の遺構として、価値が高い。また、武家町として保存されている仲町伝統的建造物群保存地区における武士住宅の特徴を理解するうえでも重要である。 【参考文献】 『弘前の町並』弘前市教育委員会、一九七七年 『新編弘前市史 通史編 近世2』弘前市、二〇〇二年 『旧笹森家住宅保存修理工事報告書』弘前市教育委員会、二〇一五年
関連情報
附指定
表門
関連情報
附指定
附名称
:
表門
附員数
:
1棟