国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
諏訪大社上社本宮
ふりがな
:
すわたいしゃかみしゃほんみや
棟名
:
布橋
棟名ふりがな
:
ぬのばし
諏訪大社上社本宮 布橋
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
江戸後期
年代
:
安永6
西暦
:
1777
構造及び形式等
:
桁行三八間、梁間一間、切妻造、銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02151
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2016.02.09(平成28.02.09)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(三)歴史的価値の高いもの
重文指定基準2
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
所在都道府県
:
長野県
所在地
:
長野県諏訪市大字中州
保管施設の名称
:
所有者名
:
諏訪大社
所有者種別
:
神社
管理団体・管理責任者名
:
諏訪大社上社本宮 布橋
解説文:
詳細解説
諏訪大社は信濃国一宮として崇敬を集めた古社で,上社と下社に分かれ,上社は前宮と本宮よりなる。本宮は幣殿,拝殿など6棟が重要文化財に指定されている。境内には,安永6年(1777)の布橋,文政10年(1827)の神楽殿,弘化4年(1852)の勅願殿など,江戸後期から末期にかけて建てられた社殿群がよく残る。これらは,各々が独自性のある建築形態を有しており,幣殿,拝殿とともに上社本宮独自の境内空間の構成に欠かせない存在として高い価値を有している。また,各社殿はそれぞれの建築年代に応じた意匠をもち,近世における上社本宮の変遷と建築意匠の展開を如実に反映した社殿として,歴史的価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
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添付ファイル
なし
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諏訪大社上社本宮 布橋
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諏訪大社上社本宮 布橋
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解説文
諏訪大社は信濃国一宮として崇敬を集めた古社で,上社と下社に分かれ,上社は前宮と本宮よりなる。本宮は幣殿,拝殿など6棟が重要文化財に指定されている。境内には,安永6年(1777)の布橋,文政10年(1827)の神楽殿,弘化4年(1852)の勅願殿など,江戸後期から末期にかけて建てられた社殿群がよく残る。これらは,各々が独自性のある建築形態を有しており,幣殿,拝殿とともに上社本宮独自の境内空間の構成に欠かせない存在として高い価値を有している。また,各社殿はそれぞれの建築年代に応じた意匠をもち,近世における上社本宮の変遷と建築意匠の展開を如実に反映した社殿として,歴史的価値が高い。
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詳細解説
諏訪大社上社本宮 一〇棟 布橋、勅願殿、文庫、勅使殿、五間廊、摂末社遥拝所、神楽殿、天流水舎、神馬舎、入口御門 長野県諏訪市 宗教法人 諏訪大社 諏訪大社は建御名方神、八坂刀賣神の二柱を祭神とする古社である。上社と下社に分かれ、上社は彦神を、下社は姫神を主祭神とし、古くから信濃国一宮として崇敬を集めた。このうち上社は約二キロメートル離れて建つ前宮と本宮よりなり、本宮は建御名方神を祀っている。 中世における本宮の造替は詳らかでないが、天正一〇年(一五八二)の焼失後、諏訪頼忠、頼水は本宮の復興につとめ、元和三年(一六一七)に幣殿、拝殿が完成した。現在の幣殿、拝殿は天保六年(一八三五)に上棟したもので、工事には地元諏訪の工匠立川流二代目和四郎冨昌が携わった。 本宮は守屋山山麓にあり、磐座(硯石)が信仰の対象であったという。現在は東に神居が定められてその西前面に幣殿・拝殿が建ち、拝殿左右に片拝殿が並ぶ。左片拝殿からは山裾に脇片拝殿が連なり、これに対した北に四脚門が建つ。これらの建つ場所は上壇または御正面と呼ばれ、四脚門は守屋山に向かう入口にあたる。 上社本宮の中枢は、特色ある形式の幣殿・拝殿を中心とした社殿構成とともに、彫刻を主体とした装飾がきわめて優れており、和四郎冨昌の代表的建築として高く評価され、昭和五八年一二月二六日付けで重要文化財に指定された。また、古来の配置を踏襲して独特の社頭景観がよく保たれている点も意義が深く、北方にある四脚門もともに指定された。 境内は、石垣を築いて階段状に形成され、古くから山側より上壇、中壇、下壇と呼ばれていた。磐座の一段下に広がる上壇は、前掲の拝殿などが斎庭を包むように東側区画に並び、その西に文庫と勅願殿が並び、北向かいに塀重門などがある。さらに西側区画に参集殿などの近代施設が建つ。上壇から一段下の中壇には、四脚門の両脇に現在でも式年造替の続く東宝殿と西宝殿が建つ。さらに東西に長大な布橋を軸として、その東寄りの山側に摂末社遙拝所と額堂が並立し、北側には勅使殿と五間廊が並ぶ。布橋東端に入口御門を構え、四脚門へは神橋を架ける。下壇には、上壇の磐座へ向かう位置に神楽殿、その南面に天流水舎があり、神馬舎が境内北東隅に位置する。境内の東辺には銅鳥居、北辺のほぼ中央に注連掛鳥居がある。 建築年代は、神楽殿が文政一〇年(一八二七)、入口御門と天流水舎が同一二年と関連文書から判明する。勅願殿は擬宝珠銘の弘化四年(一八四七)と判断され、神馬舎は資料から弘化三年とみられる。社伝からは、五間廊が安永二年(一七七三)、布橋が同六年、文庫が同七年、摂末社遥拝所が文政一一年(一八二八)、塀重門が同一二年で、額堂は明治二九年と考えられる。勅使殿は五間廊より古いとされるが、装飾細部からみて江戸時代末期と思われ、後世の改変もある。銅鳥居と注連掛鳥居は、それぞれ刻銘より、明治二五年、明治三一年とわかる。これらの社殿群は、江戸時代後期から末期の絵図類から、江戸時代初期の位置を変えていないことがわかる。 上壇をみると、勅願殿は、正面三間、側面三間、背面五間、正面及び両側面切目縁付で、屋根は切妻造銅板葺である。正面と両側面は円柱に実肘木付三斗、対して背面は面取角柱に舟肘木とする。内部は広い一室で、間仕切りはなく、床はもと拭板敷、天井は当初の棹縁天井が残る。 文庫は、桁行一間、梁間二間、東西棟の切妻造、銅板葺で、一軒疎垂木である。周囲は板壁で、正面中央間に板扉を開く。内部は板敷、棹縁天井の一室で、両側面と背面には棚板を設け、正面中央間に両開き板扉をつける。 中壇で東参道入口となる入口御門は、四脚門形式で、南北棟の切妻造、銅板葺、二軒繁垂木とする。妻飾りは前後の側桁を繋ぐ虹梁を架け、笈形付大瓶束で化粧棟木を受ける。禅宗様を基本とし、実肘木・拳鼻付の三斗組で、前後とも格天井とする。木割も太く雄大で、江戸時代後期らしい精緻な彫物を多用している。 布橋は、桁行三八間、梁間一間、東西棟の切妻造、銅板葺である。長大な規模で、土台に立てた円柱で桁を受け、梁を架けて化粧屋根裏とした形式である。桁行は基本的に一間六尺を基準として整然と柱を立てるが、各面で柱を省略したところは拝礼や儀式における伝統的なあり方を示すと思われる。なお、入口御門の造営に際し、東端の一間分が切り縮められている。 摂末社遙拝所は、桁行一三間、梁間二間、招屋根風の切妻造、銅板葺で、正面二軒、背面一軒の半繁垂木である。三九柱の神を遙拝する施設で、棟通りと背面は一三間とし、各間に三神ずつを祀る。柱は面取角柱、正面は虹梁形の頭貫で繋ぎ、正面だけに実肘木付三斗を組み、中備に蟇股を入れる。 勅使殿は、西を正面とし、桁行一間、梁間一間、東西棟の唐破風造の妻入で、こけら葺である。軒廻りは二軒繁垂木、妻飾りは虹梁大瓶束である。柱は几帳面取角柱、台輪を廻して実肘木付三斗を組み、中備に蟇股を入れる。 五間廊は、勅使殿の正面西側に渡廊下で接続される。正面三間、側面五間、東西棟の切妻造、銅板葺、一軒疎垂木で木舞打とする。内部は板敷の一室で、勅使殿側の二間分を上段とする。角柱を貫で固め、梁位置は折置組とするが、他は柱で側桁を受ける。一部に後世の改造があるものの、江戸時代後期の形式を保持している。 下壇中央の神楽殿は、上壇の社殿群と向き合い南面して建つ。上諏訪の有力商人が講により資金を集め、上桑原村の大隅流の伊藤安衛と伊藤伝蔵が大工棟梁を務めた。正面三間、側面四間、背面五間、南北棟の入母屋造、妻入、銅板葺である。内部は一室で、広い梁間をもつ中央部の床を高め、背面と西側面北端間は縦板壁、他は吹放しとし、三方に高欄付の縁を廻らせる。正面と両側面及び内部は円柱に拳鼻・実肘木付三斗、背面の中柱四本は面取角柱で大斗・絵様肘木と簡略化する。境内の近世建築で最大規模を誇り、妻飾りの大振りな雲紋の笈形や蟇股彫刻などは江戸時代後期の流行が反映され、大隅流の技量が発揮されている。 天流水舎は、桁行一間、梁間一間、切妻造、妻入、西面板塀・玄関附属、銅板葺である。ほぼ正方形の本屋などからなり、内部は床を張らず、地盤を深く掘り下げる。柱は面取角柱で、実肘木付三斗とし、中備に蟇股を配する。精緻な彫刻細部は神楽殿や入口御門と共通している。 神馬舎は、正面三間、側面三間、切妻造、妻入で、銅板葺屋根は当初こけら葺であった。正面一間通りは吹放しの土間、内部は低い床張として中央に神馬を祀る壇を設け、内外とも棹縁天井とする。正面通りは礎石建の円柱として実肘木付三斗を組むが、ほかは角柱で桁を受ける。 神橋は、四脚門と布橋を繋ぐ石造桁橋で、長四・五メートル、幅三・五メートルである。塀重門は、間口一間の腕木門で、切妻造、銅板葺である。額堂は、正面三間、側面三間、背面八間で、東西棟の切妻造、瓦棒銅板葺である。正面三間は吹放し、正面が丸柱、他は面取角柱で、大斗・絵様肘木で桁等を受ける。銅鳥居は、柱間六・三メートル、柱径〇・八メートル、銅製の明神鳥居である。注連掛鳥居は、角柱で柱間四・一メートル、石造の釘貫門である。 諏訪大社上社本宮の長大な布橋をはじめとした社殿群は、各々が独自性のある建築形態を有しており、意匠的に優秀な重要文化財の幣殿・拝殿等とともに、上壇・中壇・下壇という上社本宮独自の境内空間の構成に欠かせない存在として高い価値を有している。建築年代も大きく安永期、文政期、天保期、弘化期に区分され、それぞれの時期に応じた意匠となっており、近世における上社本宮の変遷と建築意匠の展開を如実に反映した歴史的価値が認められる。これらの社殿群について既指定の社殿と一体的な保存を図るとともに、指定名称を諏訪大社上社本宮と改める。 【参考文献】 『長野県の近世社寺建築―長野県近世社寺建築緊急調査報告書』長野県教育委員会、一九八二年 『長野県史 美術建築資料編 建築』長野県史刊行会、一九九一年 『諏訪大社本宮勅使殿及び五間廊保存修理工事報告書』諏訪大社、一九九八年 『諏訪大社上社本宮建造物調査報告書』諏訪大社、二〇一二年
関連情報
附指定
神橋
塀重門
額堂
銅鳥居
注連掛鳥居
関連情報
附指定
附名称
:
神橋
附員数
:
1基
関連情報
附指定
附名称
:
塀重門
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
額堂
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
銅鳥居
附員数
:
1基
関連情報
附指定
附名称
:
注連掛鳥居
附員数
:
1基