国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
龍光院
ふりがな
:
りょうこういん
棟名
:
寮及び小庫裏
棟名ふりがな
:
りょうおよびこぐり
龍光院 寮及び小庫裏(南東から見る)
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸前期
年代
:
慶安2頃
西暦
:
1649
構造及び形式等
:
桁行23.0m、梁間8.1m、一重、南面寄棟造、庇及び唐破風付、西面庇付、こけら葺及び桟瓦葺、東面玄関附属、入母屋造、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
01503
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2016.02.09(平成28.02.09)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府京都市北区紫野大徳寺町
保管施設の名称
:
所有者名
:
龍光院
所有者種別
:
寺院
管理団体・管理責任者名
:
龍光院 寮及び小庫裏(南東から見る)
解説文:
詳細解説
龍光院は大徳寺塔頭のひとつで,書院が国宝に,昭堂,盤桓廊,兜門が重要文化財に指定されている。
書院の東にある寮及び小庫裏,禹門は,書院や昭堂と同時期の慶安2年(1650)頃の建築である。既指定の書院や昭堂などとともに江戸時代前期に建てられたもので,意匠的にも優れ,禅宗寺院塔頭の構成を知るうえで貴重な存在であり,追加指定して保存を図る。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
龍光院 寮及び小庫裏(南東から見る)
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龍光院 寮及び小庫裏(南東から見る)
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解説文
龍光院は大徳寺塔頭のひとつで,書院が国宝に,昭堂,盤桓廊,兜門が重要文化財に指定されている。 書院の東にある寮及び小庫裏,禹門は,書院や昭堂と同時期の慶安2年(1650)頃の建築である。既指定の書院や昭堂などとともに江戸時代前期に建てられたもので,意匠的にも優れ,禅宗寺院塔頭の構成を知るうえで貴重な存在であり,追加指定して保存を図る。
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詳細解説
龍光院 二棟 寮及び小庫裏、禹門 京都府京都市北区 宗教法人 龍光院 龍光院は、臨済宗大徳寺派大本山である大徳寺の塔頭の一つで、本山の南西側に境内を構える。慶長一一年(一六〇六)、黒田長政が父孝高(如水)の菩提のため、春屋宗園を開祖とし、江月宗玩を迎えて創建したもので、造営は同一三年に完了したとみられる。また有栖川宮家祖の高松宮好仁親王(一六〇三~一六三八)が宗玩に帰依したことから、有栖川宮家の菩提所ともなった。降って慶安二年(一六四九)頃に院内の再整備が行われ、現在の境内を構成する堂舎の多くがこの頃までに建てられた。その後、明治五年に境内が縮小され、南半部にあった客殿や大庫裏などが失われた。 南面する境内の中央に、遠州好みとされる茶室「密庵席」をもつ書院を建て、西隣の昭堂との間を盤桓廊で連結する。書院の東側には南北棟の寮及び小庫裏を接続する。昭堂正面に禹門を開き、禹門の南西に祀る黒田家霊屋との間に土塀を廻らせる。また境内北東隅に正門である兜門を構える。これらのうち、書院、昭堂(指定名称は「本堂」)、盤桓廊、兜門が明治四一年八月一日付けで特別保護建造物となり、その後、昭和三六年四月二七日付けで書院が国宝に指定され、本堂及び盤桓廊と兜門は重要文化財となっている。寮と小庫裏は、黒田家霊屋、禹門とともに平成一六年三月一九日付けで京都府指定有形文化財となっている。 寮及び小庫裏は、慶安二年頃の院内整備の際に建てられたものとみられる。寮と小庫裏は構造的に一体であるが、その形式と用途により、南半を寮、北半を小庫裏と区分している。 寮は、桁行四間、梁間二間半、一重、南面寄棟造、こけら葺で、西面から南面にかけて矩折れの廊下を、南面に突出部を、東面南寄りに庇を付け、南端を唐破風につくり、妻壁に板蟇股をおく。また東面北寄りに入母屋造で桟瓦葺の式台玄関を構える。平面は東西二列構成とし、東列は北から、式台玄関に続く三畳、四畳半、物置、二畳台目茶室形式の物見を配す。西列は六畳二室を並べて南室東面に半間床を構え、南西面に廊下を矩折れに廻らせて書院側と連絡する。軸部は面取角柱を一間ないし一間半ごとに立てて長押を廻らせる。物置と廊下を板敷とするほかは畳敷きとし、天井は、内部は棹縁天井、廊下は化粧屋根裏とする。軸部や広縁、緩やかな屋根などの構成に西に連なる書院との調和が認められ、また南端突出部に飾る唐破風は、西側の盤桓廊南端の唐破風と対となり、意匠的要所をなしている。 小庫裏は、桁行五間半、梁間三間、一重、桟瓦葺で、北寄りに煙出しをあげる。平面は、寮に接続する南側二間を食堂として上部につしをつくり、西面南寄りの仏壇に韋駄天像を祀る。中ほどの桁行二間半分は台所として、床上に五口の竈を築き、北端に一間廊下を通す。軸部は台所北面中央柱以外の内部柱を省き、差物と梁組により食堂と台所を一体化した広い空間を確保し、庫裏としての使用の便を図る。 禹門は細部意匠などから江戸時代前期の建築とみられ、一間一戸の向唐門、檜皮葺である。 石製礎盤上に、本柱は丸柱、控柱は几帳面取角柱を立て、いずれも上下に粽を付ける。本柱間に繰形付の頭貫を渡して固め、桟唐戸を開く。柱上に大斗実肘木をおいて虹梁や側面の桁を受け、正背面の蟇股上の巻斗に化粧棟木を組み、軒は一軒疎垂木とする。禅宗様を基調としたケヤキ造で、軸部比例や細部意匠に繊細さを備える。 土塀は、折曲がり延長六一・四メートルの築地塀で、黒田家霊屋の北東位置に坅門を開き、板扉を吊る。軒は一軒疎垂木で、屋根は本瓦葺とする。 龍光院の寮及び小庫裏、禹門は、既指定の書院などとともに江戸時代前期に建てられたもので、意匠的にも優れ、禅宗寺院塔頭の構成を知るうえでも貴重な存在であり、追加指定して保存を図る。 【参考文献】 『国宝竜光院書院ほか二棟並びに京都府指定有形文化財(建造物)龍光院寮及び小庫裏修理工事報告書』龍光院、二〇一五年
関連情報
附指定
築地塀
関連情報
附指定
附名称
:
築地塀
附員数
:
1棟