国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
旧角海家住宅
ふりがな
:
きゅうかどみけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
おもや
旧角海家住宅 全景(南東から見る)
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員数
:
1棟
種別
:
近代/住居
時代
:
明治
年代
:
明治前期
西暦
:
1868-1882
構造及び形式等
:
木造、建築面積330.84㎡、一部二階建、一部地下一階、桟瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02647
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2016.07.25(平成28.07.25)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
石川県
所在地
:
石川県輪島市門前町黒島町ロ94番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
輪島市
所有者種別
:
市区町村
管理団体・管理責任者名
:
旧角海家住宅 全景(南東から見る)
解説文:
詳細解説
旧角海家住宅は,北前船の船主や船員の集落として栄えた輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区の北寄りに所在する。角海家は近世末期から北前船主として隆盛し,明治後期からは漁業,金融業などを生業とした。
主屋は明治前期の建築と考えられ,中庭を囲むように居室を配置するミツボガコイと呼ばれる平面形式などに当地区の船主住宅の典型を良く示しており,また当地区最古級の遺構でもある。明治期の土蔵群を擁する屋敷構えも良好に保存されており,保存地区の核となる住宅として重要であり,土地と併せて保存を図る。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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旧角海家住宅 全景(南東から見る)
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旧角海家住宅 全景(南東から見る)
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解説文
旧角海家住宅は,北前船の船主や船員の集落として栄えた輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区の北寄りに所在する。角海家は近世末期から北前船主として隆盛し,明治後期からは漁業,金融業などを生業とした。 主屋は明治前期の建築と考えられ,中庭を囲むように居室を配置するミツボガコイと呼ばれる平面形式などに当地区の船主住宅の典型を良く示しており,また当地区最古級の遺構でもある。明治期の土蔵群を擁する屋敷構えも良好に保存されており,保存地区の核となる住宅として重要であり,土地と併せて保存を図る。
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詳細解説
旧角海家住宅 五棟 主屋、家財蔵、塩物蔵、小豆蔵、米蔵、土地 石川県輪島市 輪 島 市 旧角海家住宅は、北前船の船主や船員が居住する集落として栄えた輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区の中心やや北寄りに所在する。角海家の初代孫左衛門は、元は同地区の船主中屋藤五郎の船頭であったと伝え、嘉永年間(一八四八~五四)までには船主として独立して角屋を名乗り、隆盛したとみられる。現在の屋敷構えは明治四年の大火後に順次整えられたと伝わる。明治中期には北前船による取引が低迷し、明治後期からは土地経営や漁業、金融業などを生業とした。平成一九年能登半島地震により大きな被害を受けたが、平成二三年災害復旧工事を完了し、現在に至る。 敷地は、集落を貫く通りに東面し、南側に海へ向かう路地を通す角地に所在し、東西に長く西に向かって傾斜する。西端は現在国道に面するが、かつては海岸であった。主屋は敷地東端に東面し、裏側は石垣で一段下がり、海岸に至る通路を通す。通路の北側に家財蔵が建ち、南側には東から塩物蔵、小豆蔵、米蔵が、東西棟で南の路地沿いに並ぶ。 建築年代は、主屋が伝承や技法から明治前期の建築と考えられ、家財蔵、小豆蔵が明治中期の建築、塩物蔵、米蔵が明治後期の建築とみられる。旧角海家住宅は、昭和四七年九月五日付けで石川県指定有形文化財となっており、輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区は、平成二一年六月三〇日付けで重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。 主屋は、桁行九・一メートル、梁間一三・八メートル、一部二階建、切妻造、桟瓦葺で、平入の主体部を中心に、北面東寄りに北座敷、西寄りに離れを突出させ、南面に南下屋を張り出す。離れの地下には炭蔵を設け、石垣側に出入口を付す。 平面は、主体部は南の土間部と北に一列の床上部からなり、土間部は東からゲンカン、トオリニワ、カッテグチとし、床上部は東からミセノマとチョウバ、チャノマ、カッテを並べる。北座敷はナカノマとザシキを南北に並べる客座敷で、東の通り側には開口を設けず、ザシキ北面に床と仏壇、西面に付書院、東面に床脇を設け、天袋内に神棚を作る。北座敷と離れの間に中庭を築き、離れには六畳と八畳を東西に並べ、中庭周りから離れにかけて板縁と土縁を廻らす。八畳の西には海を望む三畳のボウロウを張り出す。このように中庭をコの字形に囲むように居室を配置する形式はミツボガコイと呼ばれ、当地区に多く見られる形式である。二階はつし二階で、チョウバから上がる正面側とカッテから上がる背面側に各一室設け、男衆や女中の部屋として用いられた。南下屋は土間の台所で、竈や流しを置く。天井はゲンカン、ミセノマ、カッテ、チョウバは根太天井、ナカノマ、ザシキや離れの部屋は棹縁天井とし、トオリニワやチャノマは天井を設けず、縦横に組む豪壮な梁組を現しとする。北座敷は、ザシキの長押を素木とする他は木部を弁柄塗とする。 外観は、正面の庇を絵様付の持送で支え、庇下にサガリと呼ばれる風除けの幕板を付す。一階正面には大戸口と簾虫籠、格子を並べる。つし二階は軒廻りまで漆喰を塗込めて虫籠窓を付し、側背面は海風除けのため全面を下見板張とする。北座敷や南下屋も下見板張だが、壁上部には漆喰壁を見せる。 家財蔵は、桁行一一・八メートル、梁間七・三メートル、三階建の土蔵で、屋根は南北棟の切妻造、桟瓦葺とし、一階南面と二階東面に附属する下屋に戸口を開く。主屋との段差により二階が主屋一階と接続する。柱は石積布基礎上に土台を据え、一階と二階は一尺毎、三階は三尺毎に柱を立てる。小屋組は、牛梁に太い垂木を架ける形式とする。外観は一階は石張で、他は下見板張である。内部は一階は物置として使用され、床は砂土間の上に直接板を敷き並べる。二階は漆器等を収め、床は板敷の他、北東を間仕切り一〇畳の座敷とし、かつては北に仏壇置場を構え仏壇を置いていた。三階は掛軸や衣類を収め、床は板敷である。 塩物蔵は、塩漬けした魚を保存した蔵で、桁行八・一メートル、梁間四・五メートル、土蔵造、二階建で、建物を大きくサヤで覆い、屋根は切妻造、桟瓦葺である。サヤ外壁は下見板張で、本体外壁は大壁漆喰塗である。一階は東妻に戸口を開き、床は砂土間で、西半は砂上に板を敷き並べる。二階は階高が床から桁上まで一・五メートルと低く、床は板敷である。 小豆蔵は、桁行七・三メートル、梁間五・五メートル、土蔵造、二階建で、全体をサヤで覆い、屋根は切妻造、桟瓦葺で一階北側を戸前とする。サヤ外壁は下見板張、本体外壁は大壁漆喰塗である。内部は一階二階とも板敷で、一階の東西に小豆箱を据える。 米蔵は、桁行六・六メートル、梁間三・九メートル、土蔵造で全体をサヤで覆い、屋根は切妻造、桟瓦葺で、北側を戸前とする。サヤ外壁は下見板張、本体外壁は大壁漆喰塗である。内部は土間で壁は真壁漆喰塗とし、二階床位置に大引のみ架け渡す。 旧角海家住宅の主屋は、黒島地区最古級の遺構で、ミツボガコイの平面形式、格子窓やサガリなどの正面構え、外壁の下見板張などに当地区の典型的な住宅形式を良く示している。海と関連する生業にまつわるサヤで覆われた土蔵群や屋敷構えも良好に保存され、輪島市黒島地区伝統的建造物群保存地区の核となる住宅として高い価値を有しており、土地と併せて保存を図る。 【参考文献】 『能登・黒島の町並み―輪島市黒島地区伝統的建造物群保存対策調査報告書―』(輪島市教育委員会 二〇〇八年) 『石川県指定有形文化財角海家住宅及び土蔵修理工事報告書』(輪島市教育委員会文化課 二〇一二年) 『角海家文書調査報告書』(輪島市教育委員会 二〇一四年)