国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
大徳寺
ふりがな
:
だいとくじ
棟名
:
方丈及び玄関(方丈)
棟名ふりがな
:
ほうじょうおよびげんかん
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸前期
年代
:
寛永12
西暦
:
1635
構造及び形式等
:
桁行29.8m、梁間17.0m、一重、入母屋造、桟瓦葺、背面雲門庵附属
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00189
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1909.04.05(明治42.04.05)
国宝指定年月日
:
1957.06.18(昭和32.06.18)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府京都市北区紫野大徳寺町
保管施設の名称
:
所有者名
:
大徳寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
方丈は寬永十三年再建したもので、八室からなる特殊な規模をもち、これに雲門庵が附属している。 各部の意匠手法は簡素明快で、よくまとまっており近世初期における禅宗方丈の一例ということが出來る。
関連情報
(情報の有無)
附指定
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解説文
方丈は寬永十三年再建したもので、八室からなる特殊な規模をもち、これに雲門庵が附属している。 各部の意匠手法は簡素明快で、よくまとまっており近世初期における禅宗方丈の一例ということが出來る。
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詳細解説
大徳寺方丈及び玄関 二棟 大徳寺方丈は玄慧が初めて建て、のち言外が再興したが、享徳年間(一四五二~五五)火災にあい、養叟は大用庵を移して、これを方丈とした。その後応仁の乱にまた焼失したので、文明十年(一四七八)泰叟が再建した。寛永十三年(一六三六)方丈が狭隘となったので後藤縫殿助益勝が新築した。これが現在の方丈である。 桁行二九・七メートル余りの大規模な方丈で、通常六室からなる方丈平面にさらに二室を加えた八室からなっていることは異例に属するが、各部の様式手法はよく方丈建築の基準にのっとって簡素明快であり、近世初期における大規模な禅宗方丈の好例ということができる。 雲門庵は開山像を安置するところで、方丈の背面に突出している。貼付壁の絵に寛永十八年(一六四一)の墨書があって、方丈よりやや後れて造られたことがわかる。玄関は方丈西南部から前方に長く突出した桁行六間の土間廊で、方丈と同時のものと思われる。 【引用文献】 『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)
関連情報
附指定
棟札
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附指定
附名称
:
棟札
附員数
:
2枚