国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
北野天満宮
ふりがな
:
きたのてんまんぐう
棟名
:
本殿、石の間、拝殿及び楽の間
棟名ふりがな
:
ほんでん、いしのま、はいでんおよびがくのま
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
桃山
年代
:
慶長12
西暦
:
1607
構造及び形式等
:
本殿 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、右側面三間庇付、檜皮葺
石の間 桁行三間、梁間一間、一重、両下造、檜皮葺
拝殿 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝七間、
軒唐破風付、檜皮葺
楽の間 東西各桁行正面二間、背面三間、梁間二間、一重、一端入母屋造、
他端拝殿に接続、檜皮葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00201
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1897.12.28(明治30.12.28)
国宝指定年月日
:
1959.06.27(昭和34.06.27)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府京都市上京区馬喰町
保管施設の名称
:
所有者名
:
北野天満宮
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
北野天満宮の今の建物は慶長十二年(一六〇六)豊臣秀賴が造営したもので、拝殿と本殿を石の間で連絡した権現造になる。 拝殿の東西に楽の間を、本殿の西に脇殿を附属している。 内部石の間の構架は雄大な手法をあらわし屋根も変化に富んでいて、所謂八棟造の形式になる。 近世初期神社建築の代表的な遺構である。
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解説文
北野天満宮の今の建物は慶長十二年(一六〇六)豊臣秀賴が造営したもので、拝殿と本殿を石の間で連絡した権現造になる。 拝殿の東西に楽の間を、本殿の西に脇殿を附属している。 内部石の間の構架は雄大な手法をあらわし屋根も変化に富んでいて、所謂八棟造の形式になる。 近世初期神社建築の代表的な遺構である。
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詳細解説
北野天満宮社殿 一棟 北野天満宮は天暦元年(九四七)に創立され、天徳三年(九五九)藤原師輔が増築したと伝える。その後数度の火災を繰り返し、現在の社殿は絵様彫刻などについては多少の疑問もあるが、慶長十二年(一六〇七)豊臣秀頼が造営したものとみるべきであろう。 社殿は本殿の前に拝殿を置き、両者を床の低い石の間で連絡し、本殿の西側に脇殿、拝殿の両側に楽の間を付属している。このように平面が複雑であるため、屋根も変化に富み、いわゆる八棟造をなす。すなわち本殿、拝殿は入母屋造りで、両者間に石の間上の両下造の屋根をかけ、正面には千鳥破風、向拝に軒唐破風をつける。内部では石の間上の長大な梁間に大虹梁をわたして、大瓶束、蟇股で高い化粧棟木を支えて化粧屋根裏とし、最も見るべき部分を形づくっている。この社殿は平安時代以来の古風な平面の伝統を有するとともに、近世初期神社建築の代表的な遺構として貴重である。 【引用文献】 『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)
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棟札
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附名称
:
棟札
附員数
:
6枚