国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
本願寺阿弥陀堂
ふりがな
:
ほんがんじあみだどう
棟名
:
棟名ふりがな
:
本願寺阿弥陀堂 外観
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸後期
年代
:
宝暦10
西暦
:
1760
構造及び形式等
:
桁行45.2メートル、梁間42.1メートル、一重、入母屋造、背面すがる破風付葺きおろし、向拝三間、本瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00231
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1913.04.14(大正2.04.14)
国宝指定年月日
:
2014.09.18(平成26.09.18)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府京都市下京区堀川通花屋町下る門前町
保管施設の名称
:
所有者名
:
本願寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
本願寺阿弥陀堂 外観
解説文:
詳細解説
本願寺阿弥陀堂は,本願寺の境内中央,御影堂の北に並んで建つ。御影堂と阿弥陀堂の間は,門徒用の渡廊下と僧侶用の喚鐘廊下で接続されている。
本願寺阿弥陀堂は阿弥陀如来像を安置する堂で現在の建物は宝暦10年(1760)に建て替えられたものである。元和4年(1618)建立の旧堂に比較してはるかに大規模となった。
桁行45.2メートル,梁間42.1メートルの平面は,御影堂よりひとまわり小さいが,真宗寺院の阿弥陀堂及び本堂としては我が国最大級の規模であり,各地に数多く建てられた大規模真宗本堂の範となった。
畳敷の広い外陣や金箔や彫刻,彩色等で荘厳された内陣など,御影堂と良く似た姿を持つが,左右対称の平面,柱位置の調整や架構の工夫,禅宗様をふんだんに摂取した造形など,より発展した技法を具備している。技術と意匠において優れた独創性を示しており,真宗本堂の完成形として極めて高い価値がある。
本願寺阿弥陀堂の建立により,御影堂と阿弥陀堂の壮大な両堂を並立させる本願寺の構えが完成し,渡廊下を介して両堂を多数の門徒が参拝する信仰形態が完成した。近世を通じて厚い信仰を受け続け,50年ごとの大遠忌の度に伽藍を発展させてきた真宗寺院の様態をよく表しており,極めて深い文化史的意義を有している。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
本願寺阿弥陀堂 外観
本願寺阿弥陀堂 外観
本願寺阿弥陀堂 外陣
本願寺阿弥陀堂 内陣
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本願寺阿弥陀堂 外観
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本願寺阿弥陀堂 外観
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本願寺阿弥陀堂 外陣
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本願寺阿弥陀堂 内陣
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解説文
本願寺阿弥陀堂は,本願寺の境内中央,御影堂の北に並んで建つ。御影堂と阿弥陀堂の間は,門徒用の渡廊下と僧侶用の喚鐘廊下で接続されている。 本願寺阿弥陀堂は阿弥陀如来像を安置する堂で現在の建物は宝暦10年(1760)に建て替えられたものである。元和4年(1618)建立の旧堂に比較してはるかに大規模となった。 桁行45.2メートル,梁間42.1メートルの平面は,御影堂よりひとまわり小さいが,真宗寺院の阿弥陀堂及び本堂としては我が国最大級の規模であり,各地に数多く建てられた大規模真宗本堂の範となった。 畳敷の広い外陣や金箔や彫刻,彩色等で荘厳された内陣など,御影堂と良く似た姿を持つが,左右対称の平面,柱位置の調整や架構の工夫,禅宗様をふんだんに摂取した造形など,より発展した技法を具備している。技術と意匠において優れた独創性を示しており,真宗本堂の完成形として極めて高い価値がある。 本願寺阿弥陀堂の建立により,御影堂と阿弥陀堂の壮大な両堂を並立させる本願寺の構えが完成し,渡廊下を介して両堂を多数の門徒が参拝する信仰形態が完成した。近世を通じて厚い信仰を受け続け,50年ごとの大遠忌の度に伽藍を発展させてきた真宗寺院の様態をよく表しており,極めて深い文化史的意義を有している。
詳細解説▶
詳細解説
本願寺阿弥陀堂 一棟 京都府京都市下京区 宗教法人 本願寺 本願寺は、龍谷山と号する浄土真宗本願寺派の本山寺院であり、下京区堀川通に面して位置する。文永九年(一二七二)、親鸞の末娘覚信尼が東山大谷の地に親鸞の遺骨を改葬し、廟堂を建立したことに始まり、室町時代の八世蓮如の頃には多数の門徒を抱える仏教集団に発展した。天正十九年(一五九一)に現在地に寺地を与えられ、伽藍を整えた。敷地のほぼ中央、南に御影堂、北に阿弥陀堂がいずれも東面して建ち並ぶ。両堂の間は東側を渡廊下、西側を喚鐘廊下で繋ぐ。 元和三年(一六一七)の火災により全ての堂舎を焼失したが、直ちに再建に着手、翌四年に阿弥陀堂を上棟し、続いて寛永十三年(一六三六)に御影堂が完成した。この時の阿弥陀堂は現状より小規模であったが、建物の老朽化と親鸞五〇〇回大遠忌に向けて大勢の門徒を受け入れるため、寛延元年(一七四八)阿弥陀堂の再建願を京都所司代へ提出した。造営に当たっては全国の末寺や講に協力を募り、寛延三年に釿始め、九年後の宝暦九年(一七五九)に上棟、翌十年に竣工した。造営に当たっては匠職を水口若狭守宗貞、棟梁を水口伊豆守宗為が務めた。御影堂と阿弥陀堂を繋ぐ渡廊下、喚鐘廊下も続いて一八世紀後期に造営されたとみられる。阿弥陀堂は「本願寺本堂(阿弥陀堂)」として大正二年(一九一三)四月十四日付けで特別保護建造物となった。 阿弥陀堂は桁行四五・二メートル、梁間四二・一メートルで真宗寺院の阿弥陀堂および本堂では最大級の規模をもつ。亀腹基壇に東面して建ち、屋根は入母屋造、本瓦葺で、軒は二軒繁垂木で支輪を廻らし、妻飾は壁面より出組で持ち出した二重虹梁大瓶束架構とし、中央に蟇股を据え壁面を菊や波をあしらった彫刻で埋めつくし、大柄の鰭付三花懸魚をつける。主体部は桁行九間、梁間九間で前六間を外陣部、後三間を内陣部と大別し、外陣部の内陣側二間を矢来間、ほかを外陣とする。外陣正側面には広縁と擬宝珠高欄付の落縁を廻し、正面に木階六級を設け三間の向拝を付す。内陣部背面には後堂が取り付き背面軒を縋破風付葺きおろしとして張り出し、後堂から内陣部側面にかけての外壁を大壁とし軒裏まで漆喰で塗り込める。 軸部は主体部を粽付丸柱、広縁入側柱を粽付唐戸面取角柱とし、落縁外に唐戸面取角柱の軒支柱を石製礎盤上に立て軒を支えるなど、基本的な構成は御影堂と類似する。ただし、御影堂がほぼ等間で柱を配するのに対し、阿弥陀堂は部屋の大きさや支割による柱間の調整がみられ、軒支柱や向拝柱を主体部の柱筋と位置を変え、正面広縁上部の海老虹梁も部屋境柱筋のみに架けるなど、近世に進展した巧妙な架構をみることができる。主体部は長押、頭貫、台輪、広縁側柱は切目長押、虹梁形頭貫、台輪、軒支柱は足固貫、飛貫、頭貫でそれぞれ固める。主体部の組物は外を拳鼻実肘木および二重尾垂木付の三手先、内を拳鼻実肘木付出組とし、広縁側柱の二手先組物は外に拳鼻と絵様の付いた尾垂木、内に拳鼻を付ける。中備にはそれぞれ蟇股を用いる。軒支柱の組物は絵様肘木を用いた平三斗で前後に大柄な拳鼻を付ける。軸部や海老虹梁、組物に至るまで全体に禅宗様を濃くみせ、虹梁や木鼻、尾垂木や拳鼻に施された絵様繰型は多彩な形状だけでなくそれぞれに技巧が凝らされている。 外陣部は桁行方向で三分割とし、矢来間境及び梁間柱筋には虹梁を通し、全面に小組格天井を張る。畳敷で、広さは二八五畳に及ぶ。外廻りの柱間装置は外陣側面の正面より一間は幣軸付き両折板唐戸とするが他は両折桟唐戸とし、矢来間側面は舞良戸引違い、三ノ間前は蔀、狭屋ノ間前は両折板唐戸とする。 内陣部は中央に方三間の内陣を置き、左右三間を余間とし、その外に三ノ間、狭屋ノ間が左右対称で取り付く。内陣中央には来迎壁と須弥壇を置き、宮殿内に阿弥陀如来像を安置する。床は内陣を漆塗の板床とするほかは畳敷で、天井は内陣を折上格天井、余間を格天井、三ノ間を小組格天井、狭屋ノ間を棹縁天井とする。後堂は床を板敷、天井を猿頬天井とし、内陣来迎壁背面に後門を開く。そのほか内陣背面両脇の仏壇、両余間の仏壇など、完成された真宗本堂の左右対称の構成を持つ。 内外陣境は両端間を襖とするほかは巻障子を建て、欄間には牡丹彫刻を嵌め、上部に飛天彫刻を持つ蟇股を置く。内陣部の軸部や壁は金箔押しとし柱上部には金襴巻、組物には繧繝彩色が施され、襖には絵画が描かれるなど華やかに飾る。 渡廊下は、御影堂と阿弥陀堂の落縁東寄りを結ぶ門徒のための廊下で、桁行八間が二四・二メートル、梁間一間が五・四メートルの規模となる。唐破風造、本瓦葺で、軒は二軒繁垂木とし、両端の唐破風に兎毛通を飾る。柱は面取角柱で頭貫を通し、板床は両側面を柱筋より外へ広げて逆蓮形宝珠高欄を据え、挿肘木による二手先組物で支える。柱上には大斗雲形絵様肘木を置いて桁と虹梁を支え、虹梁上には蟇股を置き化粧棟木を受ける。 喚鐘廊下は、両堂の内外陣境手前を結ぶ僧侶のための廊下で、桁行一一間が二六・四メートル、梁間一間が二・八メートルの規模で、東面中央の一間を張り出し、挿肘木で桁を持ち出し喚鐘を吊る。屋根は招造、本瓦葺で、軒は木舞打の二軒疎垂木である。東柱筋は面取角柱を立て腰貫と頭貫で固め、大斗絵様肘木で桁と虹梁を受け、西柱筋は虹梁を柱に挿し頂部の舟肘木で化粧棟木を受ける。西面は土壁、東面は腰を土壁として上部を開放にする。 本願寺阿弥陀堂は、数多く建てられた真宗寺院の阿弥陀堂および本堂の中で、わが国最大級の規模を誇り、各地に建てられた大規模真宗本堂の範となった。左右対称の平面、支割による柱位置の調整や架構の工夫、禅宗様をふんだんに摂取した闊達な造形など、真宗本堂の完成形というべき姿を呈し、技術と意匠において優れた独創性を示しており、高い価値がある。阿弥陀堂の建立により壮大な両堂を並立させる本願寺の伽藍が完成し、渡廊下を介して両堂を多数の門徒が参拝する信仰形態が完成した。近世を通じて厚い信仰を受け続け、五〇年ごとの大遠忌の度に伽藍を発展させてきた真宗寺院の様態を顕現しており、極めて深い文化史的意義を有している。 【参考文献】 『本願寺史 第二巻』(本願寺史料研究所 一九六八年) 『重要文化財本願寺本堂(阿弥陀堂)修理工事報告書』(京都府教育委員会 一九八四年) 櫻井敏雄『浄土真宗寺院の建築史的研究』(財団法人法政大学出版局 一九九七年)
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渡廊下
喚鐘廊下
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附名称
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渡廊下
附員数
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1棟
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喚鐘廊下
附員数
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1棟