国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
石清水八幡宮本社
ふりがな
:
いわしみずはちまんぐうほんしゃ
棟名
:
本殿
棟名ふりがな
:
ほんでん
石清水八幡宮本社 南正面 上方からの俯瞰
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
江戸前期
年代
:
寛永11
西暦
:
1634
構造及び形式等
:
本殿 桁行十一間、梁間二間、一重、切妻造、檜皮葺
外殿 桁行十一間、梁間二間、向拝三所、一重、流造、檜皮葺
相の間を含む
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00234
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1897.12.28(明治30.12.28)
国宝指定年月日
:
2016.02.09(平成28.02.09)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府八幡市八幡高坊
保管施設の名称
:
所有者名
:
石清水八幡宮
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
石清水八幡宮本社 南正面 上方からの俯瞰
解説文:
詳細解説
石清水八幡宮は,桂川,宇治川,木津川の三川の合流点にある男山に所在し、貞観2年(860)の創建以来,公家や武家をはじめとして,広く崇敬を集めた。創建後はたびたび社殿を焼失等したものの,その都度復興し,近世初頭には,天正8年(1580)の織田信長による社殿修復に続き,慶長3年(1598)から豊臣秀頼(とよとみひでより)による境内再興が行われた。現在の本社社殿群は,寛永11年(1634)に江戸幕府により造替されたものである。
本殿は,桁行12間の内殿と外殿を前後に並べて複合させた,壮大な規模をもつ八幡造本殿で内の同形式の本殿の中では現存最古で最大規模である。
石清水八幡宮本社の社殿群は,長大な八幡造本殿と,独特な空間構成を持つ幣殿(及び舞殿等を瑞籬や廻廊で囲み,緊密に一体化した比類(ひるい)ない構成になり,古代に成立した荘厳(そうごん)な社殿形式を保持しつつ,近世的な装飾を兼備した完成度の高い近世神社建築として,極めて高い価値を有している。また,創建以来,公武をはじめ社会に広く浸透した八幡信仰の象徴となる社殿として,深い文化史的意義を有している。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
石清水八幡宮本社 南正面 上方からの俯瞰
写真一覧
石清水八幡宮本社 南正面 上方からの俯瞰
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
石清水八幡宮は,桂川,宇治川,木津川の三川の合流点にある男山に所在し、貞観2年(860)の創建以来,公家や武家をはじめとして,広く崇敬を集めた。創建後はたびたび社殿を焼失等したものの,その都度復興し,近世初頭には,天正8年(1580)の織田信長による社殿修復に続き,慶長3年(1598)から豊臣秀頼(とよとみひでより)による境内再興が行われた。現在の本社社殿群は,寛永11年(1634)に江戸幕府により造替されたものである。 本殿は,桁行12間の内殿と外殿を前後に並べて複合させた,壮大な規模をもつ八幡造本殿で内の同形式の本殿の中では現存最古で最大規模である。 石清水八幡宮本社の社殿群は,長大な八幡造本殿と,独特な空間構成を持つ幣殿(及び舞殿等を瑞籬や廻廊で囲み,緊密に一体化した比類(ひるい)ない構成になり,古代に成立した荘厳(そうごん)な社殿形式を保持しつつ,近世的な装飾を兼備した完成度の高い近世神社建築として,極めて高い価値を有している。また,創建以来,公武をはじめ社会に広く浸透した八幡信仰の象徴となる社殿として,深い文化史的意義を有している。
詳細解説▶
詳細解説
石清水八幡宮本社 一〇棟 本殿、摂社武内社本殿、瑞籬、弊殿及び舞殿、楼門、東門、西門、廻廊(三棟) 京都府八幡市 宗教法人 石清水八幡宮 石清水八幡宮は、桂川、宇治川、木津川の合流点にある男山に所在する。境内は、本殿を廻廊で囲む本社などからなる山上の上院、男山北麓の頓宮を中心とした下院、西方の飛地境内に鎮座する摂社狩尾社よりなる。創建は貞観二年(八六〇)に遡り、当初より神仏習合の八幡宮寺を構成していたとみられる。創建以来、皇室による行幸啓や社殿修理が繰り返され、平安時代中期以降は、源氏が八幡神を氏神としたことなどにより、武家の崇敬も集めた。 創建後は、保延六年(一一四〇)の火災などで回禄したがその都度再興され、近世初頭には、天正八年(一五八〇)の織田信長による社殿修復を経て、慶長三年(一五九八)から豊臣秀頼により再興された。続いて、上院の本社社殿群が寛永一一年(一六三四)に江戸幕府により造替され、その後も近世を通じて摂末社などの社殿が整えられた。 本社社殿は高い石積基壇上に建ち、南面する本殿と北西側の摂社武内社本殿を瑞籬で囲み、本殿中央の前面に幣殿及び舞殿、楼門を一直線に配して中軸とする。楼門から東西に廻廊を廻らせて本殿域を囲み、東西両面の中央に東門と西門を開く。また本社の周囲には、楼門前方の南総門の両翼に廊を折れ曲がりに延ばし、その両端から築地塀を廻らし、若宮社本殿などの摂末社を配する。本殿、幣殿及び舞殿、楼門、東門、西門、廻廊三棟が明治三〇年一二月二八日付けで特別保護建造物(現重要文化財)、五輪塔が昭和三二年二月一九日付で重要文化財、摂社武内社本殿と瑞籬が昭和四二年六月一五日付けで本殿及び外殿の附指定となり、また境内が平成二四年一月二四日付けで史跡に指定されている。 本殿は、桁行一一間、梁間二間ずつの内殿と外殿からなる八幡造社殿で、両殿の間を相の間とする。本殿は切妻造、外殿は流造で、総檜皮葺で、八幡造社殿の遺構としては最古かつ最大規模である。 平面は、両殿とも桁行三間の内室三室を並べて各室間のけらばを造合いとする構成で、各室の床を、相の間より〇・七メートル高める。内殿各室の前面に木階三級、外殿造合い部には、相の間から昇殿するための木階三級を設ける。四周に刎高欄付の縁を廻らし、外殿各室の中央間前面に木階五級を付け、東、北、西面の縁では高欄の内側に吹寄菱格子の障壁をたてる(閼伽棚の南側では高欄の外側にたてる)。また相の間両側面は縁を切り下げて段差部に木階二級を付す。 軸部は、組土台に丸柱を立てて長押で固め、舟肘木で桁を受ける。庇柱は面取角柱で、柱上に三斗を組み、中備蟇股で、外殿正面両端の身舎柱と庇の桁を海老虹梁で繋ぐ。 内殿の柱間装置は、各室の正面中央間で幣軸構に板唐戸を開く他は板壁とし、外面漆喰塗とする。外殿は、正面に蔀をたて、各室の背面を開放して御簾を吊る。本殿側面では、相の間の両側面で幣軸構に板唐戸を開く他は板壁で外面漆喰塗である。天井は両殿とも各室に二重折上小組格天井を張り、相の間と造合い部は化粧屋根裏とする。 軒は二軒繁垂木で、内殿造合い部では隣り合う両室のけらばに破風板を付して、三殿を連接した名残を示すが、軒先は正背面とも桁行全長を一連に通す。妻飾りは豕扠首で、外部破風板に猪の目懸魚を飾る。木部は主に朱漆塗とするが、内殿各室内と外殿各室の天井は素木とし、蟇股などの彫刻に極彩色を施し、蔀は黒漆塗とする。 摂社武内社本殿は、一間社、切妻造、檜皮葺で、南正面に束立の棚を設け、前面の低い床で本殿と接続する。組土台に丸柱を立てて貫と長押で固め、絵様肘木で桁を受け、中備蟇股である。正面の小脇柱間に板唐戸を開く他は全て板壁で、外面漆喰塗とする。軒は二軒繁垂木、妻飾りは豕扠首で、破風板に猪の目懸魚を飾る。 瑞籬は、幣殿北端柱列間に設けて外殿との結界をなす五間分と、幣殿外方に折れ曲がりにのびて本殿を囲む四二間分からなる。東西両面の中ほどにとち葺の中門、西面北寄りの摂社武内社本殿の西脇に潜りを開き、西中門南側に檜皮葺の閼伽棚を設ける。柱間装置は、正面中央の五間分などは内法間を菱格子として上部に竹の節をつくり、雨がかり部では腰を吹寄襷付の板壁とし、屋根銅板葺とする。いずれも小壁に天人や様々な動植物などを主題とした秀麗な彫刻欄間を飾り、極彩色を施す。 幣殿及び舞殿は、桁行正面一間、背面三間、梁間一間で東西棟の幣殿と、桁行三間、梁間一間で南北棟の舞殿を接続し、内部を一連の四半石敷として周囲を吹き放す独特な形式で、両殿とも切妻造、檜皮葺である。石製礎盤上に面取角柱を立てて長押を廻らせ、舟肘木を置いて桁を受ける。梁行に虹梁を架け、皿斗付大斗で舟肘木と母屋を受ける。東西面では幣殿の長押位置を舞殿より一段高め、北面では両脇間の長押をさらに一段高く納め、中央間は最上段に虹梁を架けて、外殿との結界部に向けて格式を高め、象徴性を強調する。また周囲の小壁に花鳥の透彫欄間を飾る。軒は二軒繁垂木で、内部は化粧屋根裏とし、幣殿は破風板に猪の目懸魚、舞殿は梅鉢懸魚を飾る。木部は朱漆塗を主とし、透彫欄間に極彩色を施す。 楼門は、一間一戸楼門、入母屋造で、前面に桁行二間、梁間一間、向唐破風造の拝所を張出して木階七級と石階六級を付し、総檜皮葺とする。楼門下層は、丸柱を虹梁と貫で固め、頭貫上に蟇股を置いて組入天井を受ける。側面は内法貫上の皿斗付大斗で廻廊の化粧棟木を受ける。上層は桁行三間、梁間二間で、三手先の腰組上の土台に丸柱を立てて長押と台輪で固め、内部に八角柱二本を立てる。台輪上に三手先組物を置き、正面中央間と側面は中備間斗束、軒は二軒繁垂木、妻飾りは豕扠首である。拝所は、面取角柱を虹梁で繋ぎ、三斗で妻虹梁と菖蒲桁を受けて中備蟇股とし、虹梁上の大瓶束両側に龍虎の彫刻を飾り、唐破風に兎ノ毛通を吊る。軒は二軒繁垂木である。 東門は、一間一戸、切妻造、本瓦葺で、四脚門の東面に梁間二間の庇を葺き下ろした形式をもち、木階七級を付す。主体部では丸柱を虹梁や頭貫で固め、庇部は面取角柱間に絵様虹梁を架ける。軒は二軒繁垂木で庇部は打越垂木を加える。天井は組入天井を張る。棟通りに板唐戸を開き、門の両側面を漆喰壁とする。 西門は東門と同規模同形式で、木階を五級とすることや、天井を化粧屋根裏とする点が異なる。 廻廊は、楼門の左右から東門と西門まで各々桁行一三間を折れ曲がりに建て、両門から北は桁行二八間をコ字形に廻らせる。いずれも梁間二間の二棟廊の外面に一間通りの庇を付けて低く床を張り、さらに外側に刎高欄付の切目縁を廻らせた特異な形式で、一重、入母屋造、本瓦葺である。平面は東西両門を境に南北で異なり、南半は棟通りに結界を設けてその内外廊を吹放しとし、北半は庇柱通りを外壁として、内側を吹放しとする。また東門の北寄りに神庫を配し、同門の南側や西門の南北側を間仕切り、東門南側に東ノ経所、西門南側に神饌所、北側に摂末社神饌所と西ノ経所を配する。廻廊南半部は、かつて貴人の参詣時に着座所となるなど礼拝施設としての性格ももち、北半部は祭典時の楽人控所などに使われた。軸部は、南半では棟通りの丸柱を腰長押と内法長押で固めて柱上に舟肘木を組み、桁と虹梁を受ける。虹梁上に皿斗付大斗と実肘木を介して棟木を受ける。庇は面取角柱に舟肘木を置いて桁を受ける。北半では庇の面取角柱に長押を廻らして固める。柱間装置は、南半は棟通りの腰壁と小壁を漆喰塗とし、内法に蔀を吊る。北半は庇柱通りの腰壁と小壁を漆喰塗とし、内法に連子窓をたてる。軒は二軒繁垂木で、南半では外周に打越垂木を加える。東西廻廊の南北端を入母屋屋根とし、妻飾りは木連格子、破風拝みに猪の目懸魚を飾る。神庫は、廻廊外寄りの東西二間、南北三間を間仕切る。各柱を建て登らせて、廻廊屋根上に東西棟で桁行三間の高屋根を架け、入母屋造、本瓦葺とする。西面中央間の入口に桟唐戸を開き、内部は廻廊より一段床を高め、中央奥寄りに来迎壁と壇を設ける。天井は格天井と、壇上部に折上小組格天井を張る。妻飾りは虹梁蟇股形式である。神庫、摂末社神饌所と西ノ経所は、ともに内部を素木とし、塗装を基本とする本社社殿内で異色な趣を備える。 石清水八幡宮本社の社殿群は、現存最古で最大規模の八幡造本殿と、その前面に連なる独特な空間秩序をもつ幣殿及び舞殿等を瑞籬や廻廊で重囲し、緊密に一体化するという比類ない構成になり、古代に成立した荘厳な社殿形式を保持しつつ、近世的な装飾を兼備した完成度の高い近世神社建築として、極めて高い価値を有している。また廻廊内に仏教施設をもつなど、神仏習合の信仰を示す複雑な空間構成を具現しており、創建以来公武の崇敬を集め、社会に広く敷衍した八幡信仰の中枢となる社殿として、深い文化史的意義を有している。 【参考文献】 『石清水八幡宮諸建造物群調査報告書』八幡市教育委員会・石清水八幡宮、二〇〇七年 『石清水八幡宮本社調査報告書』石清水八幡宮、二〇一四年
関連情報
附指定
棟札
関連情報
附指定
附名称
:
棟札
附員数
:
三枚