国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
豊平館
ふりがな
:
ほうへいかん
棟名
:
棟名ふりがな
:
豊平館
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員数
:
1棟
種別
:
近代/官公庁舎
時代
:
明治
年代
:
明治13
西暦
:
1880
構造及び形式等
:
木造、建築面積528.8m2、二階建、亜鉛銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
01580
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1964.05.26(昭和39.05.26)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
北海道
所在地
:
北海道札幌市中央区南一一条西四丁目中島公園内
保管施設の名称
:
所有者名
:
札幌市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
豊平館
解説文:
詳細解説
豊平館は設計を開拓使工業局営繕課が担当し、明治12年(1879)に起工、翌13年(1880)竣工した。昭和32年中島公園内に移築し、周囲の環境も整備されて保存活用されている。
建物は、木造総二階建で、翼屋の両端を前後にわずかに突出され正背面に切妻をみせる。内部は一、二階とも中央部にホールをとり、その西側を広間や食堂とし、東側は中廊下をはさんで客室とする。
豊平館は、開拓使の手になる本格的洋風建築の遺構であり、北海道における明治時代洋風建築の代表作である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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豊平館
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豊平館
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解説文
豊平館は設計を開拓使工業局営繕課が担当し、明治12年(1879)に起工、翌13年(1880)竣工した。昭和32年中島公園内に移築し、周囲の環境も整備されて保存活用されている。 建物は、木造総二階建で、翼屋の両端を前後にわずかに突出され正背面に切妻をみせる。内部は一、二階とも中央部にホールをとり、その西側を広間や食堂とし、東側は中廊下をはさんで客室とする。 豊平館は、開拓使の手になる本格的洋風建築の遺構であり、北海道における明治時代洋風建築の代表作である。
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詳細解説
豊平館 一棟 豊平館は開拓使官営のホテルとしてコンドルの意見も求めながら設計を開拓使工業局営繕課が担当し、大岡助右衛門の工事請負によって明治一二年(一八七九)初春に起工、翌一三年(一八八〇)一一月竣工した。豊平館は当初札幌市北一条一丁目にあって、明治14年8月に明治天皇の行幸後、宮内省の接待所として、あるいは札幌市市の公会堂として使用され、明治八年明治天皇聖蹟に指定されて保存されてきた。昭和二三年聖蹟は解除され、札幌市公民館として社会教育のセンターとなったが、新たに市民会館が建設された機会に、昭和三二年中島公園内に移築し、周囲の環境も整備されて保存活用されている。 建物は南面し、木造総二階建で、翼屋の両端を前後にわずかに突出され正背面に切妻をみせる。外観は基礎腰石積、壁下見板張りで隅定規柱付、二階床高に胴蛇腹を回らす。前面ペンキ塗仕上げ、上げ下げ窓、屋根は柾葺の上に鉄板葺とする。正面中央にはコリント式オーダーの柱を吹寄せに立てた半円形の車寄せを設け、その上を手摺付のバルコニーとし、両側面中央にも長方形のバルコニーが設けられている。正面中央の屋根には櫛形のペジメント頂部には開拓使の徽章である星の飾りが取りつく。 内部は一、二階とも中央部にホールをとり、その西側を広間や食堂とし、東側は中廊下をはさんで客室とする。各室とも漆喰塗壁とし天井も漆喰塗天井とする。小屋組は洋小屋である。昭和32年の移築に際しては活用のため間仕切りを一部変更し、暖炉を撤去、または改造し、また便所を新設、総地下であったのを縮小して中央部分のみ鉄筋コンクリートで設けるなどの模様替えを受けているが、なお建具や天井中心飾、照明器具、階段等は当初のものをよく残している。 北海道では明治初期に米国の影響を強くうけた洋風建築が伝えられたが、豊平館は開拓使の手になる本格的洋風建築の遺構として貴重である。 【引用文献】 『新指定重要文化財13建造物Ⅲ』(毎日新聞社 一九八二年)