国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
長谷寺
ふりがな
:
はせでら
棟名
:
本堂
棟名ふりがな
:
ほんどう
長谷寺本堂
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸前期
年代
:
慶安3
西暦
:
1650
構造及び形式等
:
正堂 桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、正面及び側面もこし付
相の間及び礼堂 懸造、桁行四間、梁間九間、一重、入母屋造、妻入、背面正堂に接続、両側面千鳥破風付、正面舞台附属
本瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00223
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1913.04.14(大正2.04.14)
国宝指定年月日
:
2004.12.10(平成16.12.10)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
奈良県
所在地
:
奈良県桜井市大字初瀬
保管施設の名称
:
所有者名
:
長谷寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
長谷寺本堂
解説文:
詳細解説
長谷寺は真言宗豊山派の総本山で,西国三十三ヶ所観音霊場の第八番札所である。本堂は,慶安3年(1650)の竣工で,繋廊,鐘楼なども本堂と同時期に建設されたものが残る。
近年,本堂屋根修理に伴って行われた各種調査で,本堂完成のときの棟札,慶安元年(1648)の銘がある平瓦,さらに帳簿や図面などの資料が確認,整理された。
これらは,長谷寺の諸建築の建立年代や,建設の経緯を示す貴重な資料であり,附指定として保存を図る。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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長谷寺本堂
長谷寺本堂
長谷寺本堂 内部
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長谷寺本堂
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長谷寺本堂
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長谷寺本堂 内部
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解説文
長谷寺は真言宗豊山派の総本山で,西国三十三ヶ所観音霊場の第八番札所である。本堂は,慶安3年(1650)の竣工で,繋廊,鐘楼なども本堂と同時期に建設されたものが残る。 近年,本堂屋根修理に伴って行われた各種調査で,本堂完成のときの棟札,慶安元年(1648)の銘がある平瓦,さらに帳簿や図面などの資料が確認,整理された。 これらは,長谷寺の諸建築の建立年代や,建設の経緯を示す貴重な資料であり,附指定として保存を図る。
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詳細解説
長谷寺本堂 一棟 附棟札一枚、平瓦一枚、建設関係文書三点 長谷寺は奈良県中央、伊勢と大和を繋ぐ古街道の北に所在する真言宗豊山派の総本山で、西国三十三ヶ所観音霊場の第八番札所である。 創建は諸説あって明確でないが、奈良時代後期には伽藍が整備されていたとみられる。観音霊場として古代から信仰を集め、一〇世紀後半以降、公家による長谷詣が頻繁に行われ、鎌倉期には武家や僧侶、庶民に広まり、室町期に入って庶民を中心とした長谷参りが盛んとなった。 伽藍は初瀬山の山麓から中腹に広がり、東南を向いて仁王門を構え、それより登廊が続き、本堂へ到達する。登廊両側には蔵王堂や水屋、三百餘社、子院群が建つ。本堂は南面し、その東西に大黒堂、開山堂、鐘楼、愛染堂、三社権現社など、西方の小高い位置に本長谷寺や一切経蔵、五重塔がある。 本堂は、縁起によれば天平七年(七三五)上棟、同一九年の落慶を端緒として、天文五年(一五三六)まで七度焼失した。天文焼失後は豊臣秀長の援助を受け、天正一六年(一五八八)に落慶供養が行われた。寛永に入ると伽藍の造営について幕府に願い出て、同二〇年(一六四三)に徳川家光から造営料二万両が与えられ、中坊美作守時祐が作事奉行に任命された。正保二年(一六四五)より再建に着手し、慶安三年(一六五〇)に落慶したのが現在の本堂である。慶安三年六月御堂供養の記がある棟札〈附指定〉より、造営は大工中井大和守、小工今奥和泉守、今村河内守があたったことがわかる。その後、舞台はほぼ二〇年ごとに修復され、屋根瓦の刻銘から寛政年間に屋根修理があり、腰長押金具の「大和國 長谷寺 文政元年」という刻銘から、文政元年(一八一八)には部分修理が行われた。 本堂は間口九間、奥行九間に達する巨大な建築で、正堂と礼堂、相の間からなる。 外観は、入母屋造平入の正堂に、正面から左右千鳥破風付入母屋造妻入の礼堂大屋根が取り付き、正堂側面にもこしとして回り込み、全体として複雑な構成になる。正面には舞台を張り出し、礼堂とともに懸造とする。軸部は高さや太さの異なる円柱を立て、貫を多用して固め、組物は正堂を出組、礼堂ともこしを三斗組とし、中備に撥束を入れる。軒は二軒繁垂木、屋根は本瓦葺である。 平面は、桁行五間梁間四間の内陣を中央にして、東側に宰堂室とその物入、西側に曽我地蔵や位牌堂、集会所を配し、正面に奥行一間余の外陣を通す。外陣西端は玄関等に、東端は小間に間仕切られる。外陣前面には一間通りの相の間を介して奥行三間の礼堂が設けられ、礼堂の正・側面に高欄付の切目縁を廻す。 内陣はその中心を方二間規模で内々陣に間仕切り、像高一〇メートルを越える本尊を祀る。内々陣は四半石敷とし、切妻形の船底天井を張り、四天王像ほかの絵画や文様を描き、極彩色に飾る。内々陣正面には一段高く板床を張り、間口三間にわたる須彌壇とする。その両脇も一段高くし、仏壇を設け、脇侍である難陀龍王立像と赤精童子立像を宮殿風厨子内に安置する。内陣は小組格天井、四半石敷で、内陣東西の部屋は棹縁天井で、集会所と宰堂室を畳敷とする。外陣は板敷で、中央一間を化粧屋根裏、両脇各二間を小組格天井とする。相の間は化粧屋根裏で四半石敷、礼堂は床を一段高く張り、すべて化粧屋根裏で、相の間側中央の桁行五間に梁間二間を切妻形とする。 平面の一部や柱間装置などに後世の変更が確認できるが、全体としては当初の形態がよく保持されている。 長谷寺本堂は古代以来の観音信仰のもと、本尊を中心とする壮大な空間を作り上げるとともに、正堂と礼堂、相の間からなる複雑な空間構成を巧みな架構・意匠でまとめ上げ、高い完成度をもつ。近世初頭における江戸幕府による大規模な造営になる代表的な寺院本堂であるとともに、我が国で広く隆盛した観音信仰において中心的な役割を果たした建築として、文化史的意義においても特に高い価値を有している。 近年の本堂の屋根修理に伴い、本堂の建築的調査と造営関係の資料調査が行われた結果、附指定の黒漆塗の棟札と同形・同規模・同文の棟札、慶安元年の銘がある平瓦、普請関係の「平面図及び本堂建地割」、「長谷寺境内伽藍諸建物惣絵図」、『長谷寺御造営方諸色入用銀目録』等が確認された。 これらは、長谷寺の諸建築の年代や経緯等を示す貴重な資料であるので、附指定とする。 【参考文献】 『重要文化財 長谷寺本堂調査報告書』(奈良文化財研究所 二〇〇四年) 『長谷寺史の研究』(逵日出典著一九七九年)
関連情報
附指定
棟札(造立慶安3年庚寅6月供養)
平瓦(慶安元年5月9日)
平面図及び本堂建地割
長谷寺境内伽藍諸建物惣絵図
長谷寺御造営方諸色入用銀目録(慶安3年庚寅12月21日)
棟札
関連情報
附指定
附名称
:
棟札(造立慶安3年庚寅6月供養)
附員数
:
1枚
関連情報
附指定
附名称
:
平瓦(慶安元年5月9日)
附員数
:
1枚
関連情報
附指定
附名称
:
平面図及び本堂建地割
附員数
:
3枚
関連情報
附指定
附名称
:
長谷寺境内伽藍諸建物惣絵図
附員数
:
4枚
関連情報
附指定
附名称
:
長谷寺御造営方諸色入用銀目録(慶安3年庚寅12月21日)
附員数
:
1冊
関連情報
附指定
附名称
:
棟札
附員数
:
1枚