国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
太山寺本堂
ふりがな
:
たいさんじほんどう
棟名
:
棟名ふりがな
:
太山寺本堂
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
鎌倉後期
年代
:
嘉元3
西暦
:
1305
構造及び形式等
:
桁行七間、梁間九間、一重、入母屋造、本瓦葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00185
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1904.08.29(明治37.08.29)
国宝指定年月日
:
1956.06.28(昭和31.06.28)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
愛媛県
所在地
:
愛媛県松山市太山寺町
保管施設の名称
:
所有者名
:
太山寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
太山寺本堂
解説文:
詳細解説
太山寺は真言宗寺院で、草創が不明だが、本尊等は平安時代の作である。本堂は蟇股の墨書銘より、嘉元3年(1305)の建立と判る。中世には全国各地にこうした床張の仏堂が数多く建てられたが、この本堂は内陣を二重の外陣・脇陣・後陣で囲んだ雄大な規模を持ち、内陣の厨子も含め、和様でまとめられた意匠も優秀である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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太山寺本堂
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太山寺本堂
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解説文
太山寺は真言宗寺院で、草創が不明だが、本尊等は平安時代の作である。本堂は蟇股の墨書銘より、嘉元3年(1305)の建立と判る。中世には全国各地にこうした床張の仏堂が数多く建てられたが、この本堂は内陣を二重の外陣・脇陣・後陣で囲んだ雄大な規模を持ち、内陣の厨子も含め、和様でまとめられた意匠も優秀である。
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詳細解説
太山寺本堂 一棟 太山寺は真野長者が一夜にして建立したといい、その後聖武天皇の勅によって行基(六六八~七四九)が本尊を彫造したとされる。康平五年(一〇六二)今の地に移り、その後天仁元年(一一〇八)火災にあったと伝えている。現在の堂基壇には焼土層が認められたから、現本堂建立以前にかつて罹災したことがあるのは確かである。現本堂の建立年代は、従来文明十七年(一四八五)の年紀のある寺蔵記録に嘉元三年(一三四〇)供養とあるのに依っていたが、昭和三十年の修理にあたり、厨子の中央蟇股裏面に嘉元三年十二月、内外陣境の正面中央蟇股裏面に嘉元四年四月の墨書が発見されたので、年代が確定した。建立後応永二十八年(一四二一)、文明十七年(一四八五)、慶長十七~十九年(一六一二~一四)、明暦元~二年(一六五五~五六)、宝暦七年(一七五七)、享和三年(一八〇三)、文化二年(一八〇五)などにそれぞれ修理があったが、昭和修理にあたり、屋根以外は旧規に復された。 堂は桁行七間、梁間九間のやや奥行の深い平面であるが、正背面各二間通り、両側面各一間通りは庇であって、その内部の方五間が堂の中心部となり、長押一段だけ高くなっている。この中心部のうち後方の三間四方は正堂にあたり、土間床となっており、前方三間に二間は礼堂である。正堂と礼堂間の間仕切りには格子戸、菱欄間を造って、密教式の平面を形作っている。全体として様式は和様からなるが、一部には大仏様の繰形もみられる。正面、内外陣境の柱間の中備には蟇股を入れ、その彫刻は華麗である。厨子も本堂と同時のもので、蟇股も同様の意匠になる。鎌倉時代和様の密教本堂のうち、規模が大きく、かつ特異な構成をもつ堂である。 【引用文献】 『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)