国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
豊楽寺薬師堂
ふりがな
:
ぶらくじやくしどう
棟名
:
棟名ふりがな
:
豊楽寺薬師堂(正面)
写真一覧▶
地図表示▶
解説表示▶
員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
平安後期
年代
:
仁平元頃
西暦
:
1151頃
構造及び形式等
:
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、こけら葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00100
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1904.08.29(明治37.08.29)
国宝指定年月日
:
1952.11.22(昭和27.11.22)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
高知県
所在地
:
高知県長岡郡大豊町寺内
保管施設の名称
:
所有者名
:
豊楽寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
豊楽寺薬師堂(正面)
解説文:
詳細解説
豊樂寺は聖武天皇の勅願によって行基菩薩の開基と伝える。今の藥師堂の建立年次は明らかでないが、様式手法上より藤原時代の建立と思われる。変った平面を持っているが当初からこうした計画であったようである。
比較的太い疎垂木に大きい小舞の軒廻り、内陣の佛壇及び勾欄等よく時代の特徴を示している。
この堂は四国地方最古の建築として貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
豊楽寺薬師堂(正面)
豊楽寺薬師堂(後方から)
豊楽寺薬師堂(後方南側から)
豊楽寺薬師堂(後方北側から)
豊楽寺薬師堂(正面南側から)
豊楽寺薬師堂(正面北側から)
豊楽寺薬師堂(西面)
豊楽寺薬師堂(全景 北側から)
豊楽寺薬師堂(南面)
豊楽寺薬師堂(北面)
写真一覧
豊楽寺薬師堂(正面)
写真一覧
豊楽寺薬師堂(後方から)
写真一覧
豊楽寺薬師堂(後方南側から)
写真一覧
豊楽寺薬師堂(後方北側から)
写真一覧
豊楽寺薬師堂(正面南側から)
写真一覧
豊楽寺薬師堂(正面北側から)
写真一覧
豊楽寺薬師堂(西面)
写真一覧
豊楽寺薬師堂(全景 北側から)
写真一覧
豊楽寺薬師堂(南面)
写真一覧
豊楽寺薬師堂(北面)
Loading
Zeom Level
Zoom Mode
解説文
豊樂寺は聖武天皇の勅願によって行基菩薩の開基と伝える。今の藥師堂の建立年次は明らかでないが、様式手法上より藤原時代の建立と思われる。変った平面を持っているが当初からこうした計画であったようである。 比較的太い疎垂木に大きい小舞の軒廻り、内陣の佛壇及び勾欄等よく時代の特徴を示している。 この堂は四国地方最古の建築として貴重である。
詳細解説▶
詳細解説
豊楽寺薬師堂 一棟 豊楽寺の歴史は行基(六六八~七四九)の開基と伝えるのみで明らかでなく、今は薬師堂を残すだけである。薬師堂の建立年代についても、また明らかでないが、堂内安置の釈迦如来坐像(重要文化財)に仁平元年(一一五一)の胎内銘があるので、建築もまたこの頃の建立と思われる。堂は桁行、梁間とも五間、入母屋造であるが、その平面は特異である。すなわち中央の方三間を内陣とするが、外陣は後を狭く、前を広くしているので、側柱と内陣柱との柱列が通っていない。このため、もとは方三間の堂であって、周囲一間通りは建て増したものであるとする説もあるが、外陣も様式手法から内陣と同時の建立と考えられるので、当初からこのような平面計画であったのであろう。柱上に舟肘木を置き、軒は太い疎垂木で、全体に簡素な形式であるが、各部ともよく平安時代の特徴を示している。 【引用文献】 『国宝辞典(四)』(便利堂 二〇一九年)