国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
青井阿蘇神社
ふりがな
:
あおいあそじんじゃ
棟名
:
本殿
棟名ふりがな
:
ほんでん
青井阿蘇神社 本殿
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/神社
時代
:
桃山
年代
:
慶長15
西暦
:
1610
構造及び形式等
:
三間社流造、銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
00225
国宝・重文区分
:
国宝
重文指定年月日
:
1933.01.23(昭和8.01.23)
国宝指定年月日
:
2008.06.09(平成20.06.09)
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
熊本県
所在地
:
熊本県人吉市上青井町
保管施設の名称
:
所有者名
:
青井阿蘇神社
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
青井阿蘇神社 本殿
解説文:
詳細解説
青井阿蘇神社は、中世以降、領主相良氏の崇敬を受けた。現在の社殿は慶長15年(1610)より同18年に建てられ、境内の奥に本殿から拝殿が連続して建ち、前方に楼門が建つ。社殿は黒漆塗を基本とし、本殿と幣殿は、随所に優れた彫刻や錺金具などが配される。また楼門は本格的な禅宗様式である。
青井阿蘇神社の社殿は、中世球磨地方に展開した独自性の強い意匠を継承しつつ、桃山期の華やかな意匠を機敏に摂取しており、完成度も高く、近世球磨地方における社寺造営の規範となっている。
また、彫刻技法や特異な幣拝殿形式などは、広く南九州地方にその影響が認められるもので、わが国の近世神社建築の発展において重要な位置を占め、文化史上、深い意義をもつ社殿である。
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(情報の有無)
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なし
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青井阿蘇神社 本殿
青井阿蘇神社 境内俯瞰
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青井阿蘇神社 本殿
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青井阿蘇神社 境内俯瞰
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解説文
青井阿蘇神社は、中世以降、領主相良氏の崇敬を受けた。現在の社殿は慶長15年(1610)より同18年に建てられ、境内の奥に本殿から拝殿が連続して建ち、前方に楼門が建つ。社殿は黒漆塗を基本とし、本殿と幣殿は、随所に優れた彫刻や錺金具などが配される。また楼門は本格的な禅宗様式である。 青井阿蘇神社の社殿は、中世球磨地方に展開した独自性の強い意匠を継承しつつ、桃山期の華やかな意匠を機敏に摂取しており、完成度も高く、近世球磨地方における社寺造営の規範となっている。 また、彫刻技法や特異な幣拝殿形式などは、広く南九州地方にその影響が認められるもので、わが国の近世神社建築の発展において重要な位置を占め、文化史上、深い意義をもつ社殿である。
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詳細解説
青井阿蘇神社 五棟 本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門 青井阿蘇神社は、人吉市街を西流する球磨川の北側に所在し、大同元年(八〇六)、阿蘇神社の分霊を勧請して創建されたと伝える。 建久九年(一一九八)に、遠州から相良長頼が下向して球磨地方を治め、以後相良氏代々の氏神として崇敬を受けた。 現在の社殿は、慶長一五年(一六一〇)以降、相良氏により整備されたものである。境内の奥に本殿が南面し、その前に廊、幣殿、拝殿が連続し、前方に楼門が建つ。また本殿周囲に大神宮内宮及び外宮、稲荷社などの末社を配し、境内前面には蓮池を湛える。 本殿は棟札により慶長一五年の建立と判り、また墨書から、廊と幣殿も同年に建てられ、翌一六年に拝殿、同一八年に楼門が建てられたことが知られる。一連の造営は、窪田正市允と愛甲喜七郎が惣大工を務めた。 本殿は、三間社流造で、正側面に縁高欄を廻らし、軒は二軒繁垂木、銅板葺で、棟上に千木と勝男木を戴く。妻飾は虹梁大瓶束で、大瓶束は藤を浮き彫りにし、雲紋の笈形を付し、妻壁板に雲龍を彫り、また懸魚は桐花を象る。 軸部は、身舎では円柱を長押で固め、組物は二手先で中備に蟇股を配し、庇は角柱を虹梁で繋ぎ、柱上に三斗を組み、中備は蟇股である。 内部は一室で、内部柱を小屋まで延ばし、後方の祭壇中央に阿蘇三神を祀る。天井は舟底形の棹縁天井とする。 柱間装置は、正面中央間に板戸を開き、両脇間は亀甲組入格子の半蔀を吊る。東側面前間を板戸とし、他は板壁で、小壁に格狭間をつくる。 廊は、幣殿後方に接続し、桁行一間、梁間一間、切妻造、銅板葺である。本殿側の頭貫持送りに雲龍を彫り、頭貫上に三斗と蟇股をおいて虹梁大瓶束を受ける。 幣殿は、桁行五間、梁間三間、南面で拝殿と繋ぎ、東面落縁付き、軒は一軒疎垂木、寄棟造、茅葺である。角柱に長押を廻し、南北面中央に板戸を開き、両側面各間の窓に板戸を建てる。内外の小壁は、柱を越えて動植物の図柄を連続させた華やかな薄肉彫彫刻とする。特に内部では、花鳥の図柄で四季を優美に表現し、虹梁上には共命鳥と迦陵頻伽の透彫欄間をいれる。天井は格天井である。諸記録によれば、歴代藩主が、毎年大晦日から元旦にかけて、ここで「年籠」したことが知られる。 拝殿は、桁行七間、梁間三間、軒は出桁造、寄棟造、茅葺で、正面に、唐破風造、銅板葺の向拝を付ける。 平面は、前方一間を吹き放しとし、後方二間は、西側三間分を床を高めて「神楽殿」とし、東側の八畳を「神供所」とする。角柱を長押と貫で固め、周囲を板戸引違いとし、天井は棹縁天井である。 楼門は、三間一戸楼門、軒は二軒繁垂木、寄棟造、茅葺で、棟上に千木を置く。 一階は、両脇間周囲を柵で囲い、随神を祀り、二階は床板を張り、四周に縁高欄を廻らす。軸部は禅宗様を基調とし、円柱を地覆・貫・台輪で固める。腰組は二手先で、琵琶板は飛天や二十四孝などの透彫とする。二階組物は尾垂木付三手先で、隅部では隅木と隅尾垂木の間に鬼面を挟む。また一階天井は鏡天井で、各面を一体にして龍図を描く。小屋は、尾垂木尻で入側桁を受け、さらに垂木尻を押さえる扠首台上に扠首を組む。 各社殿は、急勾配の茅葺屋根、軒から下を黒漆塗としつつ組物や部材の面に赤漆塗を併用する技法、壁面の格狭間や襷、木鼻などの細部意匠に、球磨地方の社寺建築の特徴を色濃く示す。その一方で、錺金具の意匠は、植物紋様を基調とした繊細優美なもので、先進的技法も摂取している。 青井阿蘇神社社殿は、慶長期に一連で造営された社殿群で、統一的意匠になり、完成度も高い。 各社殿は、中世球磨地方に展開した独自性の強い意匠を継承しつつ、桃山期の華麗な装飾性も機敏に摂取しており、近世球磨地方における社寺造営の規範となっている。また、本殿前面の雲龍など要所を飾る秀麗な彫刻、特異な幣拝殿形式などは、広く南九州地方にその影響が認められ、南九州地方における近世神社建築の発展において、深い文化史的意義が認められる。 【参考文献】 『重要文化財青井阿蘇神社社殿等建造物調査報告書』(人吉市教育委員会 二〇〇七年) 『重要文化財青井阿蘇神社々殿修理工事報告書』(青井阿蘇神社修理工事委員会 一九五七年)
関連情報
附指定
棟札
銘札
関連情報
附指定
附名称
:
棟札
附員数
:
1枚
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附指定
附名称
:
銘札
附員数
:
5枚