国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
美濃橋
ふりがな
:
みのはし
棟名
:
棟名ふりがな
:
美濃橋
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員数
:
1基
種別
:
近代/産業・交通・土木
時代
:
大正
年代
:
大正5
西暦
:
1916
構造及び形式等
:
鋼製補剛吊橋、橋長113.0m、幅員3.1m、コンクリート造アンカーレイジ2基
を含む
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02427
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2003.05.30(平成15.05.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(二)技術的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(三)歴史的価値の高いもの
所在都道府県
:
岐阜県
所在地
:
岐阜県美濃市曽代、同曽代地先、同前野
保管施設の名称
:
所有者名
:
美濃市
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
美濃橋
解説文:
詳細解説
美濃橋は,美濃市街地の北部,小倉山の西方を長良川が湾曲して流れる地点に架かる吊橋である。岐阜県技師戸谷亥名蔵を中心に建設が進められ,大正4年8月起工,同5年8月に竣工した。橋長113m,支間116m,幅員3.1mの単径間補剛吊橋である。
両岸に据えられたアンカーレイジに,鉄筋コンクリート造の主塔から吊るされた主ケーブルを碇着し,吊ケーブルで支持された橋桁を鉄骨トラスで補剛する。
美濃橋は,わが国に現存する最古の近代吊橋として,橋梁建設史上,高い価値がある。近代吊橋の要素を構造躯体全体に備え,建設当時わが国で最大級の支間を実現した,大正期を代表する吊橋として,重要といえる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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美濃橋
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美濃橋
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解説文
美濃橋は,美濃市街地の北部,小倉山の西方を長良川が湾曲して流れる地点に架かる吊橋である。岐阜県技師戸谷亥名蔵を中心に建設が進められ,大正4年8月起工,同5年8月に竣工した。橋長113m,支間116m,幅員3.1mの単径間補剛吊橋である。 両岸に据えられたアンカーレイジに,鉄筋コンクリート造の主塔から吊るされた主ケーブルを碇着し,吊ケーブルで支持された橋桁を鉄骨トラスで補剛する。 美濃橋は,わが国に現存する最古の近代吊橋として,橋梁建設史上,高い価値がある。近代吊橋の要素を構造躯体全体に備え,建設当時わが国で最大級の支間を実現した,大正期を代表する吊橋として,重要といえる。
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詳細解説
美濃橋 一基 美濃橋は、美濃市街地の北部に切り立つ小倉山の西方を、長良川が湾曲して流れる地点に架かる吊橋である。 美濃橋は、増水時などに対応しうる交通手段の確保を望む美濃町と対岸の安曽野村の申請を受けて、岐阜県の補助事業において建設が進められたもので、大正四年八月に起工、翌年八月に竣工した(起工年月は開通式に際して発行された美濃橋渡橋式の案内状(以下、案内状)、竣工年月は大正五年八月一八日発行の大阪朝日新聞による)。建設には、岐阜県技師戸谷亥名蔵(明治二一年帝国大学工科大学土木工学科卒)の他、岐阜県技手堀宇三郎(後、堀正義。明治四二年名古屋高等工業学校土木科卒)、武儀郡吏員の玉井義雄、が関与したことが当時の新聞等から知られる。建設後、美濃橋は長良川を横断する主要道路の一つとして機能したが、長良川に新美濃橋等の他橋梁が架設されていくのに伴い、次第に交通量を減らしていき、昭和四〇年代以降、歩行者用道路として利用されている。 美濃橋は、長良川に対してほぼ直角方向に架かる、橋長一一三メートル、支間一一六メートル、幅員三・一メートルの単径間補剛吊橋である。両岸に据えられたアンカーレイジに、主塔から吊るされた主ケーブルを碇着し、岸縁に配された二基の主塔間全体にわたり、吊ケーブルが主ケーブルと横桁を連結すると共に横桁が補剛桁に接合する。また、昭和五八年及び平成一一年に取り替えられている木製床版部分を除いて、建設当初の部材が今なお使用されている。 主塔は、高さ九・八メートル、鉄筋コンクリート造で、各塔頂部に鉄製の滑動支承を設け、基部は隅部を算木積風とした玉石積とする。下面を楕円形アーチ状とした主塔横梁の壁面陸地側には橋名を彫出し、右岸側主塔に「みのはし」、左岸側主塔に「美濃橋」と記す。 主ケーブルは一九本線六撚共心構造で、サグ比を一五分の一とする。吊ケーブルは三七本線六撚共心構造で、横桁との接続部分にターンバックルを連結する。 右岸側アンカーレイジは、側面を玉石張、頂部をモルタル洗出仕上げとしたコンクリート構造物に、引張調整用の鉄製ソケットと接続する七本のストランドロープを埋め込んだもので、右岸側主塔より北西方向に約四三メートル離れた位置に築かれる。左岸側アンカーレイジは、穿たれた岩盤に主ケーブルを碇着したものとし、前述の案内状によると、小倉山に穿たれた隧道に主ケーブルを引入れて碇着する構造としており、内部にはコンクリートが充填されている。 補剛桁は、アングル材とT型鋼を鋲結したダブルワーレントラスで、主塔基部を橋台とし、三格間毎に上弦材と横桁を斜材で繋ぐ対傾構を設ける。補剛桁左岸側に付けられた銘板より、「製作名古屋鐵工所」及び「大正五年七月竣工」であることがわかる。 美濃橋は、わが国に現存する最古の近代吊橋として、橋梁建設史上価値が高い。また、近代吊橋の要素を構造躯体全体に備え、建設当時わが国で最大級の支間を実現した、大正期を代表する吊橋として重要である。 【参考文献】 『岐阜県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』(岐阜県教育委員会 一九九六年) 『日本の近代土木遺産』(土木学会 二〇〇一年)