国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
櫻井家住宅(島根県仁多郡仁多町上阿井)
ふりがな
:
さくらいけじゅうたく
棟名
:
主屋
棟名ふりがな
:
おもや
櫻井家住宅 全景
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/民家
時代
:
江戸中期
年代
:
元文3
西暦
:
1738
構造及び形式等
:
居室部 桁行27.0m、梁間19.0m、一部二階、切妻造段違、南面庇付、
東面下屋附属、こけら葺、桟瓦葺及び鉄板葺、
東面突出部 桁行6.3m、梁間4.9m、切妻造、南面及び東面庇付、
北面下屋附属、鉄板葺
座敷部 桁行10.6m、梁間7.3m、切妻造、南面、北面及び東面庇付、
桟瓦葺及びこけら葺、
北面突出部 桁行6.6m、梁間4.4m、南面入母屋造、北面切妻造、
こけら葺、南面仕切塀及び外便所附属
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
02429
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2003.05.30(平成15.05.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
(一)意匠的に優秀なもの
重文指定基準2
:
(五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
所在都道府県
:
島根県
所在地
:
島根県仁多郡奥出雲町上阿井1655番地
保管施設の名称
:
所有者名
:
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
櫻井家住宅 全景
解説文:
詳細解説
櫻井家住宅は,島根県東部仁多町の南端部の山間にある。江戸前期に屋号を「可部屋」と称して鉄山業を営み,宝暦5年(1755)には鉄師株仲間の代表である鉄師頭取を松江藩より拝命し,鉄山業を取り仕切った。
主屋は元文3年(1738)の竣工,古蔵が少し前の享保20年(1735)の建設,その他の建物は主屋より遅れて順次建造された。主屋に接続する座敷は,藩主御成が行われるようになった19世紀初期の増築である。
櫻井家住宅は,近世におけるたたら製鉄の中心地奥出雲にあって,狭隘な谷間に鉄師頭取の屋敷構え全体を伝える遺構として貴重である。
主屋は,この地方の民家のなかでもひときわ大型で,上質なつくりになり,保存も良好である。御成の座敷は,江戸時代後期の数寄屋風書院の好例を示している。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
写真一覧
櫻井家住宅 全景
櫻井家住宅 主屋
櫻井家住宅 主屋 座敷部
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櫻井家住宅 全景
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櫻井家住宅 主屋
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櫻井家住宅 主屋 座敷部
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解説文
櫻井家住宅は,島根県東部仁多町の南端部の山間にある。江戸前期に屋号を「可部屋」と称して鉄山業を営み,宝暦5年(1755)には鉄師株仲間の代表である鉄師頭取を松江藩より拝命し,鉄山業を取り仕切った。 主屋は元文3年(1738)の竣工,古蔵が少し前の享保20年(1735)の建設,その他の建物は主屋より遅れて順次建造された。主屋に接続する座敷は,藩主御成が行われるようになった19世紀初期の増築である。 櫻井家住宅は,近世におけるたたら製鉄の中心地奥出雲にあって,狭隘な谷間に鉄師頭取の屋敷構え全体を伝える遺構として貴重である。 主屋は,この地方の民家のなかでもひときわ大型で,上質なつくりになり,保存も良好である。御成の座敷は,江戸時代後期の数寄屋風書院の好例を示している。
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詳細解説
櫻井家住宅(島根県仁多郡仁多町上阿井) 九棟 主屋、釜屋、後座敷、古蔵、東土蔵、南ノ新土蔵、西新土蔵、文久土蔵、厩 櫻井家住宅は、島根県東部仁多町の南端部、広島県境にほど近い山間の地にある。中国山地東端部の標高四一四メートルに位置し、周囲は一〇〇〇メートルを越える連峰に囲まれている。 櫻井家は、戦国武将塙團右衛門直之の末裔と伝え、三代直重が、正保元年(一六四四)、現在地に近い阿井村において「可部屋」を屋号として本格的に鉄山業を営むようになり、主に鉄砲地鉄を生産した。鉄山業の拡大にともない、享保から元文年間にかけて、五代利吉が現在地に本拠を移し事業を拡大するとともに、宝暦五年(一七五五)には鉄師株仲間の代表である鉄師頭取を松江藩より拝命し、広く鉄山業を取り仕切った。松江藩における製鉄地域は、仁多、飯石、神門、大原、能義の奥出雲五郡で、斐伊川水系を中心に存在する。奥出雲地方で製鉄業を営んだ家には、櫻井家のほか、田部、絲原、卜蔵などの各家が知られる。江戸時代後期以降しばしば藩主御成があり、当家が藩財政を支えた鉄山政策の拠点となっていたことが知られる。 櫻井家住宅は、斐伊川の支流、内谷川北岸の山林を背にして屋敷を構える。一段高く造成して主屋を配し、下手の西方には西新土蔵、文久土蔵、厩などが建ち並び、上手東方には池泉を穿ち小瀑布を配した庭園を築き、その奥に東土蔵が建つ。この南方谷側にも石垣を積んで狭い平地をつくり、古蔵や南ノ新土蔵などが並ぶ。このほか、櫻井家住宅には、離れ座敷(幕末)、前座敷(昭和一五年)、土蔵四棟(いずれも明治以降)、付属屋が残り、これら現存する建物全てと宅地が平成九年一二月島根県指定を受けている。なお、小瀑布は松江藩主七代松平治郷(不昧)が「岩浪」と命名した。 各建物の建築年代は、櫻井家所蔵の「系圖手鑑」、「舊記」、家相図等によると、古蔵が享保二〇年(一七三五)に建築され、主屋は元文三年(一七三八)に竣工した。その他の建物はこれより順次建造され、東土蔵が寛保元年(一七四一)、南ノ新土蔵が文政一二年(一八二九)、西新土蔵が安政三年(一八五六)、文久土蔵が文久年間に建造されている。このほか、主屋背後にある後座敷、釜屋、厩が幕末までに建築され、主屋南東に付属する座敷が、藩主御成が行われるようになった一九世紀初期に増築された。 主屋は、桁行二七・〇メートル、梁間一九・〇メートルを主体部とする大型の建物で、居室部の南東に座敷を接続する。居室部は一部二階を有し、この部分は屋根を一段高く切り上げる。室内は西半に広い土間を取り、東半床上部は二列に各三室づつ六室を配し、北東にオクナンドを突出させる。土間境には広い畳縁とナカイを取り、ナカイ奥に広大な板敷のダイドコロを配す。土間を挟んで下手にもカンジョウバ等の部屋を設ける。軸組は、土間と土間・床上部境に立つ四本の太い柱を大梁で繋いだ架構を中心に、要所を成の高い差鴨居で固め、小屋組は和小屋を組む。 南東に接続する座敷は、切妻造、桟瓦葺の身舎にこけら葺の庇を回した形式で、東方の池泉庭園に面して建つ。平面は上の間、次の間二室を中心に、南、東に矩ね折れに縁を回し、次の間南西に茶立所風の三畳間を付す。上の間に床、違棚、付書院、次の間に間口いっぱいに大床を構え格式を示すが、面皮柱や丸太の内法長押、天井竿縁、化粧垂木を多用し、数寄屋風意匠の粋を凝らす。上の間、次の間境の透かし彫り欄間及び茶立所吊棚は、不昧に重用された松江藩指物大工小林如泥の作と伝えられている。座敷北東には縁伝いに旧湯殿・上便所が連絡し、南面西端には仕切塀と外便所を付属して居室部前庭と庭園を仕切る。また、座敷南東には藩主専用の出入口である棟門形式、こけら葺の御成門を構える。 主屋のすぐ裏には、釜屋が独立して建つ。切妻造、桟瓦葺で、南面の出入口、窓以外は土台上半間毎に柱を立て真壁を塗る。内部は全面土間で、天井を張らず梁、小屋材、野地裏を塗り込める。 主屋ダイドコロ後方の一段高い位置には後座敷がある。二階建、切妻造、桟瓦葺で、一階東半と二階に座敷を配し、一階西半は板敷の納屋とする。北面及び西面に下屋を付属し、西下屋は土間の物入、北下屋には便所を設ける。簡素だが、二階南、東面には窓外に小縁・手摺を付けて飾る。 建築年代が最も遡る古蔵は、主屋の南方、道を挟んで北面して建つ。土蔵造、二階建、切妻造、妻入で、桟瓦葺の置屋根である。正面西寄りにこけら葺の庇を付け戸口を開き、外部は漆喰塗、腰回りは下見板張りで、正面庇取付部を水切のなまこ壁で飾る。内部は板床張りで、一、二階とも中央に太い柱を立て中引梁、地棟を受け、太い垂木を架ける。道具蔵で、当初の造り付けの棚も残る。 古蔵のすぐ西には南ノ新土蔵がある。土蔵造、二階建、切妻造、置屋根、桟瓦葺で石棟を置く。平入の正面中央に持送りでこけら葺小庇を付け戸口を開ける。外壁は漆喰塗りで、腰はなまこ壁とする。内部は一、二階とも壁際に戸棚を造り付け、二階は二部屋に分け、南東の一角には畳を敷く。 主屋西方、南西隅に東面して建つ西新土蔵は、土蔵造、二階建、切妻造、平入、置屋根、桟瓦葺で、正面中央戸口前にこけら葺の庇を付す。切石積基礎上に建ち、腰部をなまこ壁、軒に簡単な蛇腹を造り、戸口には鳥居形の装飾を付す。内部は一、二階とも桁行に太い中引梁、地棟を架け柱を省略し、広い一部屋とする。 西新土蔵北方の一段高い位置に建つ文久土蔵は、米蔵である。土蔵造、二階建、切妻造、置屋根、桟瓦葺で、東面南寄りに桟瓦葺庇を付け戸口を開く。一、二階とも板敷で、一階南西部を囲い、その前面の柱間全体に堰板を入れて米の貯蔵庫とする。二階は西面全面に戸棚を設けている。 東土蔵は、庭園の東、敷地東端部に位置する。土蔵造、二階建、切妻造、置屋根、桟瓦葺で、西面南寄り及び南面東寄りの二箇所に戸口を開く。外部は漆喰塗り、腰部下見板張りとし、内部は一、二階とも板敷で、中央に太い柱を立て中引梁、地棟を受け、広い一室とする。 厩は、主屋の南西に北面して建つ。二階建、切妻造、桟瓦葺で、正面に鉄板葺の庇を付す。現在は物置となっているが、もとは一階中央の土間を挟んで両脇に馬房を設けていた。 そのほか主屋裏山の中腹には、採鉱冶金の神を祀る金屋子神社がある。一間見世棚造、正面二軒、背面一軒繁垂木の小規模な社殿だが、随所に特徴ある彫物を付けて飾る。 櫻井家住宅は、近世におけるたたら製鉄の中心地奥出雲にあって、江戸時代の鉄師の屋敷構え全体を伝える例として貴重である。主屋は、この地方の民家のなかでもひときわ大型で、格段に上質であり、保存もよい。また藩主御成のための座敷は、厳選した材料を用い、巧緻な技術と端整な意匠になり、江戸時代後期の数寄屋風書院の好例を示す。狭隘な谷間に主屋を中心に土蔵群、付属屋が建ち並び、独特の風致をとどめている点も価値が高い。 【参考文献】 『櫻井家住宅調査報告書』(仁多町教育委員会 二〇〇二年)
関連情報
附指定
御成門
金屋小神社
家相図
関連情報
附指定
附名称
:
御成門
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
金屋小神社
附員数
:
1棟
関連情報
附指定
附名称
:
家相図
附員数
:
2枚