国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
善光寺山門
ふりがな
:
ぜんこうじさんもん
棟名
:
棟名ふりがな
:
善光寺山門
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸後期
年代
:
明和4
西暦
:
1767
構造及び形式等
:
五間三戸楼門、入母屋造、銅板葺
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
01340
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1955.06.22(昭和30.06.22)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
山梨県
所在地
:
山梨県甲府市善光寺町
保管施設の名称
:
所有者名
:
善光寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
善光寺山門
解説文:
詳細解説
善光寺は川中島合戦で焼失した信濃善光寺の仏像・宝物を動座して、永禄元年(1558)に創建された。宝暦4年(1754)に焼失し、現在の山門は明和4年(1767)の上棟である。五間三戸の楼門で、下階の柱高は高く壮大である。
山梨善光寺の山門は、長野善光寺の三門と比べるとやや小さく、それだけに木割も細いが、内外の装飾性に富んで華麗であり、様式、手法も時代の特徴をよく示して江戸時代後期の代表的な大規模建築である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
添付ファイル
なし
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善光寺山門
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善光寺山門
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解説文
善光寺は川中島合戦で焼失した信濃善光寺の仏像・宝物を動座して、永禄元年(1558)に創建された。宝暦4年(1754)に焼失し、現在の山門は明和4年(1767)の上棟である。五間三戸の楼門で、下階の柱高は高く壮大である。 山梨善光寺の山門は、長野善光寺の三門と比べるとやや小さく、それだけに木割も細いが、内外の装飾性に富んで華麗であり、様式、手法も時代の特徴をよく示して江戸時代後期の代表的な大規模建築である。
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詳細解説
善光寺 二棟 本堂、山門 善光寺は川中島合戦で焼失した信濃善光寺の仏像・宝物を動座して、永禄元年(一五五八)に創建された。 伽藍の完成は武田家の滅亡もあって長年月を要し、山門の建立は万治二年(一六五九)であった。しかしこの伽藍も宝暦四年(一七五四)に付近民家からの出火で類焼し、山門は宝暦年間に再建に着手、明和四年(一七六七)に上棟した。 本堂の再建はその前年の明和三年にはじまり、天明五年上棟、寛政八年(一七九六)に完成している。 本堂・山門とも当初は屋根が檜皮葺であったが、本堂は明治以降に銅板や鉄板に変えられ、山門も明治二十四年に桟瓦葺に改められた。昭和三十二年本堂の解体修理に着手、工事中の昭和三十四年台風により山門が倒壊したため、翌年から山門の復旧工事も始め、昭和三十七年に修理竣工をみた。この工事で屋根は将来の保存上銅板葺に変更されている。 本堂は二重の屋根に撞木造にした奥行の深い壮大な仏堂で、前寄り二間を外陣、次一間中陣、次三間内陣、次四間内々陣、背後一間後陣とする。 組物は初重が禅宗様拳鼻付出組、二重が禅宗様尾垂木、拳鼻付二手先とし、中備に蟇股を入れる。妻入正面の向拝は三間で虹梁形頭貫の木鼻に獅子を飾り、組物間には彫刻を入れ華麗である。 正面妻飾も拝みと桁端の三か所とも鰭付の三花懸魚をつけ華やかさをみせる。内部も小壁や欄間に透彫の彫刻を入れ、内々陣の格天井の格間には天女、中陣の鏡天井には龍を彩画し装飾性を高めている。 山門は五間三戸の楼門で、下階の柱高は高く壮大である。組物は和様で上下とも二手先とするが、多少構成を変えている。中備は蟇股である。下階は正面両端間が金剛柵を回し金剛力士を安置し、裏は上階への上り口とする。上階は広い一室になり背面寄りに仏壇を設け羅漢を安置する。 山梨善光寺の本堂・山門は長野善光寺と比べるとやや小さく、それだけに木割も細いが、内外の装飾性に富んで華麗であり、様式、手法も時代の特徴をよく示して江戸時代後期の代表的な大規模建築である。 【引用文献】 『新指定重要文化財11建造物Ⅰ』(毎日新聞社 一九八一年)
関連情報
附指定
棟札
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附指定
附名称
:
棟札
附員数
:
1枚