国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(建造物)
各棟情報
名称
:
善光寺経蔵
ふりがな
:
ぜんこうじきょうぞう
棟名
:
棟名ふりがな
:
善光寺経蔵
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員数
:
1棟
種別
:
近世以前/寺院
時代
:
江戸後期
年代
:
宝暦9
西暦
:
1759
構造及び形式等
:
桁行五間、梁間五間、一重、宝形造、檜皮葺、八角輪蔵付
創建及び沿革
:
棟礼、墨書、その他参考となるべき事項
:
指定番号
:
01597
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
1965.05.29(昭和40.05.29)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
重文指定基準1
:
重文指定基準2
:
所在都道府県
:
長野県
所在地
:
長野県長野市大字長野元善町
保管施設の名称
:
所有者名
:
善光寺
所有者種別
:
管理団体・管理責任者名
:
善光寺経蔵
解説文:
詳細解説
善光寺は百済から伝来した阿弥陀如来を推古十年に秦巨勢大夫が信濃に移して、草堂を建てたのをはじめとすると伝える。 現在の経蔵は三門より四年後の宝暦4年(1754)着工、同9年に供養が行われた、方五間の大規模な輪蔵である。素木造であるが輪蔵は黒漆塗、組物等は極彩色が施されている。
経蔵は、本堂、三門とともに近世大寺院の伽藍にふさわしい規模を示すものとして貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
添付ファイル
なし
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善光寺経蔵
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善光寺経蔵
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解説文
善光寺は百済から伝来した阿弥陀如来を推古十年に秦巨勢大夫が信濃に移して、草堂を建てたのをはじめとすると伝える。 現在の経蔵は三門より四年後の宝暦4年(1754)着工、同9年に供養が行われた、方五間の大規模な輪蔵である。素木造であるが輪蔵は黒漆塗、組物等は極彩色が施されている。 経蔵は、本堂、三門とともに近世大寺院の伽藍にふさわしい規模を示すものとして貴重である。
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詳細解説
善光寺 二棟 三門、経蔵 善光寺は百済から伝来した阿弥陀如来を推古十年に秦巨勢大夫が信濃に移して、草堂を建てたのをはじめとすると伝える。その後、大同四年(八〇九)はじめての炎上から、元禄十三年(一七〇〇)の焼失までに十一回の回禄の災を受けたという。元禄の再建にあたっては寺地を旧位置より後方に移して寺観を整えた。本堂は元禄十六年(一七〇三)着工、宝永四年(一七〇七)落成した。設計は幕府大棟梁甲良豊前で、国宝に指定されている。 三門は延享元年(一七四四)工を起し寛延三年(一七五〇)入仏が行われた。この棟梁は善光寺大工宇右衞門であった。規模の大きい五間三戸の二階二重門で、両端前の間に花頭窓を構えて仁王像を安置し、通路には扉を設けない。二階は高欄付縁を回し、内部は中の間後方寄りを仏壇として文殊および四天王を祀る。正面中央三間は桟唐戸、両端および側面は連子窓とし、鏡天井を張る。組物は和様を基調とした三手先で、中備は初重に蟇股、二重には間斗束を配するが、初重の肘木が拳鼻化するなど絵様繰形の装飾が顕著である。屋根は当初こけら葺であったが昭和五年檜皮葺に改めた。 経蔵は三門より四年後の宝暦四年(一七五四)工を起し、同九年(一七五九)供養が行われた。筆頭棟梁は三門と同じく宇右衞門である。昭和五年三門とともに屋根は檜皮葺に改められた。方五間の大規模な輪蔵で石積基壇上に立ち、柱頂には粽を付し、地長押、内法長押、台輪を回らす。正面は中央三間桟唐戸、両端花頭窓、側面は中央間桟唐戸、脇間花頭窓とし、背面は中央に引違戸建の出入口を設け他は板壁とする。組物は二手先、中備には蟇股を配し、軒は二軒である。内部は四半石敷で、身舎の柱は天井上まで延ばして側柱とともに虹梁で固めるが、正面のみは中柱二本を抜いて大虹梁を架し大瓶束とする。中央の輪蔵は腰紐付の八角輪蔵で、高欄を回らし上部には菱欄間を入れる。組物などには禅宗様の手法が強い。経蔵は素木造であるが輪蔵は黒漆塗、組物等は極彩色が施されている。三門、経蔵は本堂とともに近世大寺院の伽藍にふさわしい規模を示すものとして貴重である。 【引用文献】 『新指定重要文化財11建造物Ⅰ』(毎日新聞社 一九八一年)