国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要伝統的建造物群保存地区
主情報
名称
:
豊田市足助
ふりがな
:
とよたしあすけ
豊田市足助
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種別1
:
商家町
種別2
:
面積
:
21.5 ha
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
選定年月日
:
2011.06.20(平成23.06.20)
追加年月日
:
選定基準1
:
(一)伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの
選定基準2
:
選定基準3
:
所在地
:
愛知県豊田市
豊田市足助
解説文:
詳細解説
豊田市足助伝統的建造物群保存地区は、江戸時代以来の重厚な町家を多く残し、平入と妻入の入り交じる街道沿いと、離れ座敷の建ち並ぶ川沿いに変化に富んだ景観を残す。物資の流通によって近世から近代にかけて栄え、山間部に成立した商家町の姿を良く伝え、我が国にとって価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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豊田市足助
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豊田市足助
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解説文
豊田市足助伝統的建造物群保存地区は、江戸時代以来の重厚な町家を多く残し、平入と妻入の入り交じる街道沿いと、離れ座敷の建ち並ぶ川沿いに変化に富んだ景観を残す。物資の流通によって近世から近代にかけて栄え、山間部に成立した商家町の姿を良く伝え、我が国にとって価値が高い。
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詳細解説
豊田市は愛知県の三河地方西北部に位置し、足助は尾張、三河と南信濃を結ぶ伊那(いな)街道の道筋に当たり、古くから海と山を結ぶ物資の中継点として重要な位置を占めた。 足助の町の起源は明らかではないが、室町時代後期に現在の足助市街地を見下ろす真弓山に足助城が築かれ、この頃に原形となる町場が形成されたとみられる。 江戸時代の足助は、複雑に折れ曲がる伊那街道に沿って、田町(たまち)、東町(ひがしまち)、新町(しんまち)、西町(にしまち)があり、北側の山麓に社寺や陣屋が立地していた。安永4年(1775)に町並みの大半を焼く大火があったが、その後も、街道沿いの商家町として発展し、近代になっても地域の中心として栄えた。 明治中期には新町と田町で、江戸時代の街路構成の一部が改変を受けたが、これらの道沿いにも町家が建ち、現在見る景観ができた。 保存地区は、東西約1,240メートル、南北約750メートル、面積約21.5ヘクタールの範囲で、伊那街道に沿った近世の足助の町と、近代になってできた町筋、街道北側の陣屋や社寺があった地域を含む。 町家は、ほとんどが安永の大火以降のもので、江戸時代のものが多く残る。主屋は塗籠(ぬりごめ)で平入(ひらいり)と妻入(つまいり)が混在し、近世後期から近代のものでは、間口の大きな一戸建を分け、長屋に改造したものもある。川沿いでは護岸上に二階建や三階建の離れ座敷が建ち並ぶ特徴的な景観も見られる。 豊田市足助伝統的建造物群保存地区は、江戸時代以来の重厚な町家を多く残し、平入と妻入の入り交じる街道沿いと、離れ座敷の建ち並ぶ川沿いに変化に富んだ景観を残す。物資の流通によって近世から近代にかけて栄え、山間部に成立した商家町の姿を良く伝え、我が国にとって価値が高い。