国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要伝統的建造物群保存地区
主情報
名称
:
安芸市土居廓中
ふりがな
:
あきしどいかちゅう
南町の町並み
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種別1
:
武家町
種別2
:
面積
:
9.2 ha
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
選定年月日
:
2012.07.09(平成24.07.09)
追加年月日
:
選定基準1
:
(二)伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの
選定基準2
:
選定基準3
:
所在地
:
高知県安芸市
南町の町並み
解説文:
詳細解説
安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区は、武家屋敷が整然と並ぶ町割とともに、江戸時代末期から昭和戦前期にかけての主屋や附属屋が残り、狭い通りに沿って生垣や塀等が連なる武家地特有の歴史的風致を今日に良く伝え、我が国にとって価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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南町の町並み
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解説文
安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区は、武家屋敷が整然と並ぶ町割とともに、江戸時代末期から昭和戦前期にかけての主屋や附属屋が残り、狭い通りに沿って生垣や塀等が連なる武家地特有の歴史的風致を今日に良く伝え、我が国にとって価値が高い。
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詳細解説
安芸市は、高知県東部に位置する。保存地区である土居廓中は、海岸部から北に約2キロメートル離れた安芸平野中央部、安芸川の西岸に位置する。 慶長(けいちょう)5年(1600)土佐に入封した山内一豊は、重臣の五藤(ごとう)為(ため)重(しげ)を安芸に配し、土佐藩東部の政治拠点とした。 五藤氏は堀に囲まれた土居に屋敷を配し、その東西南面に家臣の武家地を配した。武家地の町割は、戦国期のものに由来しつつ、遅くとも正徳(しょうとく)4年(1714)までに成立していたと考えられる。延享(えんきょう)2年(1745)に地割が再編され、南町に上級家臣の大規模な屋敷、西町、四ツ辻通、北町南半がこれに次ぎ、北町北半では小規模な屋敷が配された。 明治2年に土居が廃止されると、この頃より土居と武家地を合わせた範囲が、土居廓中と称され始めたとみられる。家臣団の転出による武家屋敷の除却も一部あったが、武家地の地割は保たれている。 安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区は、東西約410メートル、南北約360メートル、面積約9.2ヘクタールの範囲で、江戸時代の土居と武家地の全域を含む。 地割は、大手から離れるに従って小規模になり、間口が広いものは方形、狭いものは短冊形となる。敷地への出入口は、通りに面した敷地辺の中央に開き、間口の狭いものは端に寄せて開く。通り沿いには、生垣や塀を巡らし、出入口には薬医門(やくいもん)や腕木門(うでぎもん)を建てるが、門を建てずに生垣の切目を出入口とするものもある。生垣には主にドヨウダケやウバメガシ等が植えられ、四ツ辻周辺では、往時の石溝が残る狭い通りに沿って生垣が連続し、藩政期の武家地の景観を良く伝えている。 安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区は、武家屋敷が整然と並ぶ町割とともに、江戸時代末期から昭和戦前期にかけての主屋や附属屋が残り、狭い通りに沿って生垣や塀等が連なる武家地特有の歴史的風致を今日に良く伝え、我が国にとって価値が高い。