国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要伝統的建造物群保存地区
主情報
名称
:
津和野町津和野
ふりがな
:
つわのちょうつわの
津和野町津和野伝統的建造物群保存地区
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種別1
:
武家町
種別2
:
商家町
面積
:
11.1 ha
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
選定年月日
:
2013.08.07(平成25.08.07)
追加年月日
:
選定基準1
:
(二)伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの
選定基準2
:
選定基準3
:
所在地
:
島根県鹿足郡津和野町
津和野町津和野伝統的建造物群保存地区
解説文:
詳細解説
津和野町津和野伝統的建造物群保存地区は、江戸前期までに整備された津和野城下町のうち、上級家臣の居住地であった武家町及び旧山陰道を中心とした商家町からなり、近世からの地割はよく旧態を保持している。武家屋敷の一部や、江戸末期から昭和初期にかけて建築された町家等の伝統的建造物群が、各通り沿いに流れる水路等と一体となって特色ある歴史的風致を形成しており、我が国にとって価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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津和野町津和野伝統的建造物群保存地区
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津和野町津和野伝統的建造物群保存地区
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解説文
津和野町津和野伝統的建造物群保存地区は、江戸前期までに整備された津和野城下町のうち、上級家臣の居住地であった武家町及び旧山陰道を中心とした商家町からなり、近世からの地割はよく旧態を保持している。武家屋敷の一部や、江戸末期から昭和初期にかけて建築された町家等の伝統的建造物群が、各通り沿いに流れる水路等と一体となって特色ある歴史的風致を形成しており、我が国にとって価値が高い。
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詳細解説
津和野町は島根県の西端に位置する。町の中心部である旧城下町は、津和野町の南、周囲を山並みに囲まれた南北に細長い盆地にあって、中央に津和野川が流れる。 津和野城は吉見頼(よしみより)行(ゆき)による築城で、慶長5年(1600)に吉見氏が萩に移ると、翌年には坂崎(さかざき)直(なお)盛(もり)が入城したが、その後、断絶する。元和3年(1617)に亀井政矩(かめいまさのり)が封ぜられ、以後明治維新まで亀井氏が居城した。元禄年間(1688~1704)の絵図には、武家町、商家町、寺町の詳細な敷地割が描かれ、この頃には城下町として完成した。 保存地区は、東西約160メートル、南北約700メートル、面積約11.1ヘクタールの範囲で、旧城下町の北部に当たり、津和野川と西の山裾に挟まれた旧山陰道の両側に形成された武家町及び商家町からなる。 南半の殿町は旧の武家町で、筆頭家老の多胡(たご)家をはじめとした上級家臣の居住地であり、江戸末期は東半を藩校養老館(ようろうかん)の敷地が占めた。近代以降、鉄道の敷設や道路の整備があったが、水路や土塀が続く景観は、武家町の様相をよく伝えている。多胡家や養老館の一部が現在も残り、カトリック教会等の近代建築も町並みの点景となっている。 北半の商家町は、旧山陰道を中心とした各通り沿いに町家が連なる。旧山陰道に面した町家の規模は大きく、背面の通りまで一敷地として通すものもある。町家の主屋は、切妻(きりづま)造桟瓦(さんがわら)葺で、平入(ひらいり)とするのが一般的である。屋根は赤茶色の石州(せきしゅう)瓦を特徴とする。 城下町の形成に併せて整備された水路は、現在も地区内の各通り沿いに豊かな水の流れをみせる。 津和野町津和野伝統的建造物群保存地区は、江戸前期までに整備された津和野城下町のうち、上級家臣の居住地であった武家町及び旧山陰道を中心とした商家町からなり、近世からの地割はよく旧態を保持している。武家屋敷の一部や、江戸末期から昭和初期にかけて建築された町家等の伝統的建造物群が、各通り沿いに流れる水路等と一体となって特色ある歴史的風致を形成しており、我が国にとって価値が高い。