国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要伝統的建造物群保存地区
主情報
名称
:
千曲市稲荷山
ふりがな
:
ちくましいなりやま
千曲市稲荷山伝統的建造物群保存地区
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種別1
:
商家町
種別2
:
面積
:
13.0 ha
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
選定年月日
:
2014.12.10(平成26.12.10)
追加年月日
:
選定基準1
:
(二)伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの
選定基準2
:
選定基準3
:
所在地
:
長野県千曲市
千曲市稲荷山伝統的建造物群保存地区
解説文:
詳細解説
稲荷山は天正(てんしょう)年間に城と町場が形成され,廃城後の慶長(けいちょう)年間に宿場町となった。19世紀初期以降は商業地化し,近世末期から近代にかけて,生糸や繊維製品の集散地として,当地方有数の商業地として繁栄した。近世以来の水路や地割(ちわり)を良く残し,街道に面して,中二階(ちゅうにかい)で二階を塗り込めた主屋や,高い二階で分厚い壁を軒まで塗り上げた重厚な主屋が並び,裏通りには土蔵が並ぶ。江戸時代に整備された町割りの上に,伝統的建造物を良く残し,近世から近代にかけて栄えた商家町の歴史的風致を良く伝える。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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千曲市稲荷山伝統的建造物群保存地区
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解説文
稲荷山は天正(てんしょう)年間に城と町場が形成され,廃城後の慶長(けいちょう)年間に宿場町となった。19世紀初期以降は商業地化し,近世末期から近代にかけて,生糸や繊維製品の集散地として,当地方有数の商業地として繁栄した。近世以来の水路や地割(ちわり)を良く残し,街道に面して,中二階(ちゅうにかい)で二階を塗り込めた主屋や,高い二階で分厚い壁を軒まで塗り上げた重厚な主屋が並び,裏通りには土蔵が並ぶ。江戸時代に整備された町割りの上に,伝統的建造物を良く残し,近世から近代にかけて栄えた商家町の歴史的風致を良く伝える。
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詳細解説
千曲市は長野県北部に位置し,長野市の南に接する。千曲市の北端,市を南北に貫通する千曲川の西岸に保存地区がある。 天正(てんしょう)10年(1582)頃に稲荷山城が築かれ,城の西側に,南北に延びる町が形成される。慶長(けいちょう)3年(1598)の廃城後,江戸時代には北国西往還(ほっこくにしおうかん)(通称,善光寺(ぜんこうじ)街道)の宿場町として機能し,19世紀初期以降,次第に商家町としての性格をもつようになる。弘化(こうか)4年(1847)の善光寺地震及び地震後に断続的に発生した火災により,町は壊滅的な被害を受けるが,震災復興後,近世末期から近代にかけて,生糸や繊維製品の集散地として,当地方有数の商業地として繁栄した。 千曲市稲荷山伝統的建造物群保存地区は,近世末期から近代にかけて商業地として栄えた東西約200メートル,南北約850メートル,面積約13.0ヘクタールの範囲とする。 町の中央を往還が南北に貫通し,中程に街道が屈折する「鍵(かぎ)の手(て)」をもつ。町の周囲に近世以来の水路や地割(ちわり)を良く残している。敷地は,街道に面して短冊形(たんざくがた)に割られ,街道に面して主屋(おもや)が建てられる。主屋の背後には土蔵(どぞう)や附属屋(ふぞくや)が建てられ,敷地背面が面する裏通りには土蔵が建ち並び,土蔵の間に門(もん)が構えられる。 現存する建物は,弘化4年の震災後の建物で,震災直後のものは,中二階(ちゅうにかい)で,二階の柱や軒裏を壁で塗り上げた形式としている。また,明治中期以降は,本二階で,分厚い壁を軒まで塗り上げた重厚な主屋も建てられるようになる。そのいっぽうで,町の中心部でも茅葺(かやぶ)きの建物が建てられ続け,さらには,茅葺きのような屋根勾配の強い瓦葺きの建物も建てられ,多様な形式の主屋が混在することが町並みの特徴となっている。 千曲市稲荷山伝統的建造物群保存地区は,近世以来の地割と共に,近世末期から近代にかけて建てられた主屋や土蔵などの伝統的建造物を良く残し,近世から近代にかけて栄えた商家町の歴史的風致を良く伝える。