国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
重要伝統的建造物群保存地区
主情報
名称
:
高岡市吉久
ふりがな
:
たかおかしよしひさ
高岡市吉久
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種別1
:
在郷町
種別2
:
面積
:
4.1 ha
その他参考となるべき事項
:
告示番号
:
選定年月日
:
2020.12.23(令和2.12.23)
追加年月日
:
選定基準1
:
(二)伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの
選定基準2
:
選定基準3
:
所在地
:
富山県高岡市
高岡市吉久
解説文:
詳細解説
高岡市吉久は、江戸時代に小矢部川河口の吉久御蔵を中核として形成された在郷町で、明治時代に御蔵が失われて以降も米穀商を中心に栄えた。放生津往来沿いに、江戸時代後期までに形成された地割とともに、二階を物置とするために窓を設けず閉鎖的な表構えとするなど、江戸時代後期から近代に建てられた当地域独特の切妻造平入の町家が残り、高岡の小矢部川河口部に栄えた在郷町の歴史的風致を良く伝える伝統的建造物群保存地区。
関連情報
(情報の有無)
添付ファイル
なし
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高岡市吉久
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高岡市吉久
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解説文
高岡市吉久は、江戸時代に小矢部川河口の吉久御蔵を中核として形成された在郷町で、明治時代に御蔵が失われて以降も米穀商を中心に栄えた。放生津往来沿いに、江戸時代後期までに形成された地割とともに、二階を物置とするために窓を設けず閉鎖的な表構えとするなど、江戸時代後期から近代に建てられた当地域独特の切妻造平入の町家が残り、高岡の小矢部川河口部に栄えた在郷町の歴史的風致を良く伝える伝統的建造物群保存地区。
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詳細解説
高岡市は富山県北西部にあり、市街地は市域北部の射水平野に広がる。保存地区は、市域の北東部、小矢部川と庄川に挟まれた河口部に位置する。 高岡は慶長14年(1609)、前田利長が高岡城を築いたことに始まり、廃城後も、米や綿など射水・砺波郡の物資集散地として栄えた。加賀藩の年貢米は水運の便のある河川沿いや主要街道沿いに設置された「御蔵」と呼ばれた収納蔵に一時集積された。吉久新村は、伏木湊のやや上流に御蔵が設けられたことを契機に承応4年(1655)に形成された町である。 江戸時代の吉久新村は、御蔵に勤める役人とともに、農業を営みつつ御蔵の業務を兼業した人々が居住し、賑わいをみせた。近代に御蔵は廃止されたが、米穀商や倉庫業などが続けられ栄えた。その後、町並み周辺は開発されたが、往来沿いでは江戸時代後期までに形成された地割が良く残る。 保存地区は中央を南西から北東に緩やかに湾曲しながら通る放生津往来に沿って、江戸時代から昭和30年代までに建てられた切妻造平入の町家が残り、まとまりある町並みを形成している。主屋は、一階は通り土間を設けず、間口いっぱいに部屋を設けるものが多く、一部ではミセの床板を一時的に撤去し、脱穀等の作業場とするものがある。正面一階は厚板葺の腕木庇を付し、床上部は出格子構えとするものが多い。二階の壁は真壁造漆喰塗として柱と貫を現し、上部に長押を打つ形式を基本とする。二階表側の部屋を物置(アマ)として使用する場合は、壁面に窓を設けず、閉鎖的で独特な表構えとする。 高岡市吉久伝統的建造物群保存地区は、江戸時代に吉久御蔵を中核として形成された在郷町で、御蔵が失われて以降も米穀商を中心に栄えた。放生津往来沿いに、江戸時代後期までに形成された地割とともに、江戸時代後期から近代に建てられた当地域独特の切妻造平入の町家が残り、高岡の小矢部川河口部に栄えた在郷町の歴史的風致を良く伝える。