国宝・重要文化財(美術工芸品)
 主情報
名称 木造阿弥陀如来立像
ふりがな もくぞうあみだにょらいりゅうぞう
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員数 1躯
種別 彫刻
日本
時代 鎌倉
年代 嘉禄3
西暦 1227
作者
寸法・重量
品質・形状
ト書
画賛・奥書・銘文等
伝来・その他参考となるべき事項
指定番号(登録番号) 03518
枝番 0
国宝・重文区分 重要文化財
重文指定年月日 2004.06.08(平成16.06.08)
国宝指定年月日
追加年月日
所在都道府県 京都府
所在地
保管施設の名称
所有者名 極楽寺
管理団体・管理責任者名

解説文:
 周三尺を測る来迎阿弥陀如来立像で、平成十一年に行われた解体修理の際に像内体部より文書三種および印仏一一枚が取り出され、そのうちの「現在過去帳」の裏書により仏師法橋行快【ぎょうかい】の作であることが判明した。行快は承久元年(一二一九)に快慶を補佐して長谷寺本尊十一面観音像の製作に携わったのを最初の事蹟として一三世紀半ばまでの活動が知られ、単独の遺作としてはこれまでに法眼【ほうげん】位に昇ってからの大報恩寺釈迦如来坐像(重文)、阿弥陀寺阿弥陀如来立像(重文、文暦二年〈一二三五〉)および妙法院千体千手観音立像(重文)のうち一躯が知られている。
 針葉樹(檜か)材の割矧造、錆下地漆箔、玉眼嵌入。その像容は師快慶に倣いながら、目尻が切れ上がりやや鋭い眼差しをもつ面貌や、正面髪際にうねりをつける形式、松葉状に枝分かれする衣文を多用した、師よりやや繁雑な衣褶の構成等に、他の二如来像と共通する行快の特色を示している。
 納入品中の「法花三十講経名帳」には本像造立のために行ったともみられる嘉禄三年(一二二七)七月から八月にかけての法花三十講の各日における奉加銭の施主および追善対象たる過去者の名が奉加額とともに記されるが、うち八月十二日の分に「過去法眼快慶」とあることから、快慶没年の下限が知られるに至った。前記「現在過去帳」裏書には「アン(梵字)阿弥陀仏/法眼行快造之」とあり、この記し方により本像は快慶が造り始めたとも推測されるが、この点についてはなお検討を要する。しかしいずれにせよ本像の造立に快慶追善の意が込められていることは確かであろう。その製作時期は嘉禄三年八月をほど経ぬころとみられる。納入品中の「過去訪名帳」の冒頭に安阿弥陀仏とともに記される了・円・忍阿弥陀仏および尼覚如房の名は快慶の無位時代作例の銘文中に登場し、安阿弥陀仏の左右下方にあたかも脇侍の如くそれらを記す形式まで共通するのは興味深い。また阿弥陀印仏【いんぶつ】は年代の明らかな印仏資料として注目される。
 本像は鎌倉中期の代表的仏師のひとり行快の現存する最初の作例として重要であり、また附指定とする納入品は快慶研究上重要であるのみならず、当代における結縁【けちえん】による造像の実態をうかがわせる好個の資料である。
関連情報
    (情報の有無)
  附指定
  一つ書 なし
  添付ファイル なし