国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造顕智坐像
ふりがな
:
もくぞうけんちざぞう
解説表示▶
員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
鎌倉
年代
:
延慶3年
西暦
:
1310
作者
:
円慶
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
像内に延慶三年八月、道恵、円慶等の銘がある
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
3531
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2006.06.09(平成18.06.09)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
栃木県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
専修寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
顕智(生没年不詳)の肖像彫刻。顕智は、親鸞の弟子真仏に師事し専修寺第三代となる。延慶3年(1310)7月4日、所在を失したといいこの日を命日とする。像内頭部に延慶三年八月二十四日の銘があり、命日といわれる日から51日目に当たるので、本像は七七忌日を意識してつくられたことが分かる。すなわち製作開始はまだ存命中だったと思われ、真宗肖像にあってきわめて稀な寿像である。円慶は仏師、道恵は絵仏師と考えられる。写実的面貌あるいは質素な袈裟などは、像主を前にして造立されたことを推定させる。顕智の師である真仏の像が専修寺内に併置されるので、これを附とする。
関連情報
(情報の有無)
附指定
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
顕智(生没年不詳)の肖像彫刻。顕智は、親鸞の弟子真仏に師事し専修寺第三代となる。延慶3年(1310)7月4日、所在を失したといいこの日を命日とする。像内頭部に延慶三年八月二十四日の銘があり、命日といわれる日から51日目に当たるので、本像は七七忌日を意識してつくられたことが分かる。すなわち製作開始はまだ存命中だったと思われ、真宗肖像にあってきわめて稀な寿像である。円慶は仏師、道恵は絵仏師と考えられる。写実的面貌あるいは質素な袈裟などは、像主を前にして造立されたことを推定させる。顕智の師である真仏の像が専修寺内に併置されるので、これを附とする。
詳細解説▶
詳細解説
栃木県専修寺【せんしゅうじ】開山堂(御影堂)脇壇に安置される痩身の老僧でやや背を前にかがめ、頭部も少し前に出し、法衣の上に環佩【かんぱい】のない簡素な袈裟を纏って坐す姿であらわされる等身大の僧侶の肖像で、専修寺第三世住職の顕智像と伝える。面貌はやや眉根を寄せて目を細める。左右の眼・皮膚の皺は左右対称にはならず自然に表現され、頸部も的確にあらわされる。躰部も安定感があり、衣皺も巧みにまとめられ、全体として堅実な作風を示している。 ヒノキとみられる針葉樹材の寄木造で、玉眼を嵌入する。頭躰根幹部は正中および耳半ばを通る線で前後左右に四材を矧ぐ。内刳のうえ躰部襟際で割り矧ぐ。像内は内刳を像底より約五センチメートルの高さに刳り残す。背面に左右三材、両肩外側部各前後二材を矧ぐ。両足部は両袖部を含み前後二材矧(内刳)、両足部前方材は裙先と共木。両袖部後方に各一材を矧ぐ。 顕智(生没年不詳)は、比叡山住山一〇年ののち下野高田に移り真仏に師事して、親鸞門下に入り、安貞二年(一二二八)に顕智と号したという。親鸞に常随し、大谷本廟の造営に尽力、各地で布教を行い、真仏没後にあとを継いで専修寺第三代となった。延慶三年(一三一〇)七月四日、所在を失したと伝え、この日が命日とされる。像内頭部に延慶三年八月二十四日の銘があり、命日といわれる日から五一日目に当たるので、本像は七七忌日(中陰)を意識して造られたことがわかる。当代における真宗僧侶の肖像彫刻は数例知られているが、製作年および像主名がわかる像は少なく、肖像彫刻としての意義も高い。 附の真仏像は、顕智の師の像であり一具として祀られるが、頭部内の墨書銘により文明十二年(一四八〇)に七条仏師と思われる仏師によって造られたものである。
関連情報
附指定
附木造真仏坐像
関連情報
附指定
附名称
:
附木造真仏坐像
附員数
:
1軀
附ト書
:
像内に文明十二年の銘がある