国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造持国天増長天立像
ふりがな
:
もくぞうじこくてんぞうちょうてんりゅうぞう
解説表示▶
員数
:
2躯
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
平安
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
3538
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2006.06.09(平成18.06.09)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
奈良県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
弘仁寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
真言密教の直系で空海から数代あとの聖宝(832~909)は、多くの造像に携わったことで知られる。本像を安置する弘仁寺は空海の創建と伝え、のちここに入った聖宝が二天像を造立したという。本提案の持国天・増長天像はこの二天像に相当するかと推定され、聖宝晩年の頃かあるいは造立が遅れたとして10世紀前半のものと考えられる。聖宝がかかわった造像の一例として重要である。後世、四天王とすべく加えられた広目天・多聞天像を附とする。
関連情報
(情報の有無)
附指定
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
真言密教の直系で空海から数代あとの聖宝(832~909)は、多くの造像に携わったことで知られる。本像を安置する弘仁寺は空海の創建と伝え、のちここに入った聖宝が二天像を造立したという。本提案の持国天・増長天像はこの二天像に相当するかと推定され、聖宝晩年の頃かあるいは造立が遅れたとして10世紀前半のものと考えられる。聖宝がかかわった造像の一例として重要である。後世、四天王とすべく加えられた広目天・多聞天像を附とする。
詳細解説▶
詳細解説
弘仁寺本堂須弥壇前に一列に配される四天王像のうちの持国天・増長天像である。持国天が左手を腰に当て、右手を上げて持物(宝剣)を執り、右足を上げるのに対し、増長天が左手を上げて持物(戟)を執り、右手を腰に当てて左足を上げる左右相称形をなす。 頭部から邪鬼にいたるまでカツラの一材から彫出し、白下地彩色する。激しい面貌と重量感ある躰軀に躍動的な動勢表現を示しながらまとまりある穏やかな像容となっているところから九世紀末から一〇世紀前半ころの平安時代中期ころの製作と考えられる。南北朝期の『東大寺縁起絵詞』は、聖宝が師真雅の譲りを受けてこの寺を管領し、二天像を造立したことを記す。聖宝の造像があった弘福寺(川原寺)に残る二天像(重文)に、頭部の小さいプロポーションはよく似ており、本像はこれより少し下る時期の製作と考えられることから、この記述は信憑性が高いものと思われる。後世一般的になる手の上げ下げが対称となる図像の早い例としても貴重である。 附の広目天多聞天の二像は、持国天増長天像とともに四天王として安置されているが、頭部がそれぞれ平安後期と鎌倉時代の作とみなされ、ともに躰部は江戸時代の補作になる。前述の『東大寺縁起絵詞』の記述を信じれば当初の二天像のあとから二像を加えて四天王像としたことも十分考えられよう。この二天像は広目天が巻子と筆を持ち、多聞天が宝塔と戟を執ることで、全体としていわゆる大仏殿様四天王像になっており、この形式の成立をうかがう点において重要となろう。
関連情報
附指定
附木造広目天多聞天立像
関連情報
附指定
附名称
:
附木造広目天多聞天立像
附員数
:
2軀
附ト書
: