国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造諸尊仏龕
ふりがな
:
もくぞうしょそんぶつがん
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員数
:
1基
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
唐
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
3552
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2008.07.10(平成20.07.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
奈良県
所在地
:
奈良県奈良市登大路町50
保管施設の名称
:
奈良国立博物館
所有者名
:
寂照寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
緻密な材に厨子とともに諸尊を細やかに彫出した龕像で、近年発見された。中国・唐時代の作例と考えられるが、諸尊の姿に中央アジアの仏像と共通する要素が多く、類例の少ない作例として注目される。仏龕背面に寛文(1661~1673)の年号をもつ朱書銘があり、本像はその頃弘法大師作と伝えられ、高野山と関係するものであったことが知られる。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
緻密な材に厨子とともに諸尊を細やかに彫出した龕像で、近年発見された。中国・唐時代の作例と考えられるが、諸尊の姿に中央アジアの仏像と共通する要素が多く、類例の少ない作例として注目される。仏龕背面に寛文(1661~1673)の年号をもつ朱書銘があり、本像はその頃弘法大師作と伝えられ、高野山と関係するものであったことが知られる。
詳細解説▶
詳細解説
細長い砲弾形の外形をもつ携行用龕像の遺品で、白檀とみられるブロックを三分割して主龕および左右龕とし、各内部に像群を浮彫する。主龕は四段に分かち、上より禅定仏三尊、仏涅槃像、楽人、男女供養者をそれぞれ配し、左右龕にはそれぞれ観音、弥勒かとみられる菩薩立像と、下方の男女供養者および一対の金剛力士像を配する。過去に火を受け全体に炭化し、右龕が上下三片に割れ離れる。 この種のいわゆる檀龕仏は唐代製作のものが日本に数例伝存しているが、本品はそれらといささか趣を異にしている。各像の頭が小さくのびやかなプロポーション、額が広く鉢が張った頭部に表わされる小づくりだがはっきりした眼鼻立ち、抑揚の強い肉付けなどの作風上の特徴や、菩薩の長くのばす髪形や頭上のターバン冠飾、各像の放射状の線を刻む光背、複弁で先の尖る蓮弁などの形式には、中央アジア出土の彫塑像や壁画との著しい類似が認められ、同地で製作されたとみるのが自然であろう。一方、各龕下部に配される男女の供養者たちは中国風の姿であり、頭光の輪郭が頂の尖る宝珠形である点にも中国化の跡をうかがうことが可能である。 西域において出土した木製仏龕としてホータン、カラシャール、ホッチョなどからの例が知られるが、その中で本品と最も近い作例として、大英博物館所蔵の仏伝をあらわす仏龕断片(カラシャール、ミン・オイの寺院址出土)が挙げられる。両者は丈高の龕形や界帯の意匠、左右龕の下部を左右に画して一方に合掌する唐風の服装の供養者二人を配する点が共通し、その製作環境が近いことを思わせる。製作年代の推定はいささか困難なものの、女性供養者の束ねた髪がたわんで後ろ襟にかかる髪形などの点より、唐が安西都護符【あんせいとごふ】を設置して以降の作かと考えられよう。 伝来については明徴を欠くが、主龕背面に記される、修理に伴ってのものと思われる寛文年間(一六六一~七三)の朱書銘によれば当時、高野山に存在していたようであり、入唐僧によって将来された可能性も否定できない。日本に遺る古渡【こわた】りの中央アジア彫刻はほかに知られておらず、日本への西域仏教美術の流入を物語るほとんど唯一の遺品としてその価値はきわめて高いと考えられる。