国指定文化財等
データベース
・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造釈迦如来及迦葉阿難立像
ふりがな
:
もくぞうしゃかにょらいおよびかしょうあなんりゅうぞう
解説表示▶
員数
:
3躯
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
3553
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2008.07.10(平成20.07.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
東福寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
東福寺仏殿に本尊として安置される。釈迦如来像は2メートル60センチを越える大作で、迦葉・阿難像とともに中国・宋時代の仏像様式の影響が顕著である。もとは当寺に隣接していた三聖寺に伝来した可能性が高い。日本における宋風彫刻の展開や禅宗寺院における造像を考えていく上でも重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
東福寺仏殿に本尊として安置される。釈迦如来像は2メートル60センチを越える大作で、迦葉・阿難像とともに中国・宋時代の仏像様式の影響が顕著である。もとは当寺に隣接していた三聖寺に伝来した可能性が高い。日本における宋風彫刻の展開や禅宗寺院における造像を考えていく上でも重要である。
詳細解説▶
詳細解説
東福寺仏殿に本尊として安置されるが、大正五年(一九一六)刊行の『京都坊目誌』によると、もとは東福寺に隣接し、後に万寿寺に併合された三聖寺【さんしょうじ】の本尊であったことが知られる。三聖寺は沙弥行蓮【しゃみぎょうれん】によって創建されたが、文応元年(一二六〇)、行蓮から法然の門流に属する十地覚空【じゅっちかくくう】に、さらに文永四年(一二六七)には十地からその弟子の東山湛照【とうざんたんしょう】に譲られた。十地と東山は東福寺の開山円爾弁円【えんにべんねん】に帰依して禅宗に改宗するが、三聖寺も東山に譲与されて以降、禅寺となった。 三像の構造は不明な点が多いが、いずれも針葉樹材(檜か)の寄木造で、頭部と体幹部は別材とみられる。釈迦如来像は頭体ともに前後三材、左右二材矧、迦葉像は頭部の構造は不明で、体幹部は前後二材矧、阿難像は頭体ともに前後三材矧とする。 釈迦如来像は低平な肉髻の形、鉢の張った頭部、長く伸ばした手指の爪、印相、著衣形式、丸文を散らした衲衣の意匠など、中国・宋代の仏像様式を濃厚に伝える京都・戒光寺の本尊釈迦如来立像(重要文化財)と類似する。戒光寺像は、二度の入宋の経験をもつ曇照【どんしょう】が安貞二年(一二二八)から天福元年(一二三三)の間に同寺を創建した当初からの本尊と考えられる。戒光寺像が一種癖のある異国的な風貌を示すのに対して、本像では和らいだ表情を示しており、全体に和様化した印象が強く、製作時期は戒光寺像に遅れると考えられる。なお、戒光寺二世となる浄因【じょういん】が、正嘉二年(一二五八)ころ、一時期三聖寺に住んでいたことは、両像の類似性を考える上で留意される。 釈迦如来像の像内後頭部に木製の蓮弁が一枚打ち付けてあり、その上部中央に釈迦の種子、その下に梵字大日如来三身真言が墨書されている。さらに背中半ば辺り(腹部の位置)では、向かって右に金剛界五仏を中心とする諸尊、同左には胎蔵界の中台八葉院を中心とする諸尊の種子を墨書した木製の蓮弁が打ち付けられている(ファイバースコープによって確認。ただし、一部の種子は不明)。これらにより、本像と密教との関係が想定されるが、それは三聖寺を禅寺とした東山が、師である円爾より受け継いで禅と密教を兼修したことと関連するとも考えられる。以上から、本像の具体的な製作時期は三聖寺が東山に譲与されて禅寺となる文永四年を基準に考えるのが妥当と思われる。 迦葉像の眉が長く、口元を歪めた奇怪な表情、阿難像の後頭部が高く、目尻を上げた端正な顔立ちは、宋仏画に描かれた羅漢像にしばしばみられるが、いずれも表現が和らいでおり、宋風の継承において釈迦像と同じ傾向を示す。本二像は迦葉、阿難像の古例として、さらにその大作として評価できる。 京都の禅宗寺院における創建当初の本尊は現在ほとんど失われている中で、本三尊像は唯一の例といえる。また、戒光寺像の造像において典型的に受容された宋風が和様化していく様相を具体的に示す作例としてきわめて重要である。