国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造観音菩薩立像
ふりがな
:
もくぞうかんのんぼさつりゅうぞう
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員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
平安
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
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画賛・奥書・銘文等
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伝来・その他参考となるべき事項
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指定番号(登録番号)
:
3555
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2008.07.10(平成20.07.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
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所在都道府県
:
岡山県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
明王寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
9世紀に遡る一木彫像で、肉身部にはたっぷりとした量感があり、衣文や装身具を細やかに彫出するなど、堂々とした優れた作風を示す。後世に改変されているが、当初は両足下の台座の一部まで本体と共木で造り出されていたと考えられ、一木造に対する強い意識が感じられる。明王寺は奈良時代の奈良の僧報恩大師(~795)草創の備前四十八ヶ寺の1つで、本像は平安時代前期における奈良と地方造像との関係を考える上でも重要である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
9世紀に遡る一木彫像で、肉身部にはたっぷりとした量感があり、衣文や装身具を細やかに彫出するなど、堂々とした優れた作風を示す。後世に改変されているが、当初は両足下の台座の一部まで本体と共木で造り出されていたと考えられ、一木造に対する強い意識が感じられる。明王寺は奈良時代の奈良の僧報恩大師(~795)草創の備前四十八ヶ寺の1つで、本像は平安時代前期における奈良と地方造像との関係を考える上でも重要である。
詳細解説▶
詳細解説
岡山市竹原に所在する明王寺の観音堂に安置されている。明王寺は天台宗寺院であるが、縁起によると、天平勝宝年中(七四九~七五七)に孝謙天皇の勅願により、報恩大師【ほうおんだいし】(?~七九五)が創建した備前四十八ヶ寺の一つと伝えられる。 裙裾部から脚部にかけて後世の修理による改変が加えられているが、当初は頭体幹部から足下の台座の一部までを含んで榧の一材から彫出していたと考えられる。両手も右手は手首まで、左手は上膊までを含んで本体と共木とするなど、一材から像のできるだけ多くの部分を彫出しようという意図が明瞭にうかがえる。装身具や複雑に折り畳む衣文を細やかに彫出していること、表面が素地を呈していること、日本では白檀の代用材として認識されていた榧を用いていることから、代用材による檀像として造立されたと考えられる。頬の張ったふくよかな顔立ちは京都・醍醐寺の観音菩薩立像(重要文化財)、裙の裾がめくれて足首を出す表現は三重・瀬古区の十一面観音立像(重要文化財)などいずれも檀像系統の像と類似している。天冠台上に廻らされたふくらみのある花弁の形、鬢髪の上でカールする髪の形、柔軟な起伏を示す胸や腹の括れの表現、臍の形、裙上縁の折り返しから石帯をのぞかせる表現などは唐風で、本像は中国・唐代の檀像をもとに造立されたと考えられる。八世紀後半から九世紀にかけて中国からもたらされた檀像の影響で奈良を中心に一木彫像が盛んに造立されるが、本像はまさにそうした動きを背景に製作されたと考えられ、地方に残る平安時代前期の一木彫像の優品として評価される。 本像の伝来は不明であるが、当寺が報恩大師草創の備前四十八ヶ寺の一つである点は留意される。報恩大師は興福寺の僧であったとみられるが、三〇歳で吉野山に入り修行を重ね、孝謙天皇や桓武天皇の病気平癒に功績があり、子嶋山寺を創建したことでも知られる。近年、備前四十八ヶ寺のうちの安住院(岡山市国富)と大賀島寺(瀬戸内市邑久町)から平安時代初期に遡る一木彫像が発見され注目されているが、本像もまた報恩伝承と関わる造像として再認識されている。平安時代前期における奈良と地方造像との関係を考えていくうえで、本像は重要な位置にあると考えられる。