国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
紙本白描時代不同歌合絵
ふりがな
:
しほんはくびょうじだいふどううたあわせえ
紙本白描時代不同歌合絵
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員数
:
1帖
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2033
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2009.07.10(平成21.07.10)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
東京都台東区上野公園13-9
保管施設の名称
:
東京国立博物館
所有者名
:
独立行政法人国立文化財機構
管理団体・管理責任者名
:
紙本白描時代不同歌合絵
解説文:
詳細解説
時代不同歌合は後鳥羽院(1180~1239)が配流先の隠岐で撰した歌合で、万葉集・古今集・拾遺集などの古典的歌人を左方に、後拾遺集から新古今集までの比較的新しい歌人を右方として都合百人の歌人を選び、各3首ずつで150番歌合としたもの。後鳥羽院による時代不同歌合は歌人の姿を伴う絵巻であったと想像され、のちに数多くの転写本が描かれた。東博本はそれらの一本であるが、鎌倉時代にさかのぼる白描による作品で、前半の50人を含む。同種の他の作例が全て残欠本である中で、本作品は当初の前半部分が完存する唯一の遺例である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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紙本白描時代不同歌合絵
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紙本白描時代不同歌合絵
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解説文
時代不同歌合は後鳥羽院(1180~1239)が配流先の隠岐で撰した歌合で、万葉集・古今集・拾遺集などの古典的歌人を左方に、後拾遺集から新古今集までの比較的新しい歌人を右方として都合百人の歌人を選び、各3首ずつで150番歌合としたもの。後鳥羽院による時代不同歌合は歌人の姿を伴う絵巻であったと想像され、のちに数多くの転写本が描かれた。東博本はそれらの一本であるが、鎌倉時代にさかのぼる白描による作品で、前半の50人を含む。同種の他の作例が全て残欠本である中で、本作品は当初の前半部分が完存する唯一の遺例である。
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詳細解説
時代不動歌合とは、左方に古今集、後撰和歌集、拾遺和歌集の歌人を、右方に後拾遺和歌集、金葉集、詞花集、千載和歌集、新古今和歌集の歌人を配し、五〇組一〇〇人、各三番、都合一五〇番からなる歌合で、上下二巻構成をとる。後鳥羽上皇(一一八〇~一二三九)の歌に「愚詠」と記されることから、上皇自身によって撰集されたものと考えられる。承久の乱により隠岐に配流となった上皇が、いにしえの歌人らと比較的同時代の歌人とを取り合わせ、架空の歌合を創出したものといえる。歌人の組み合わせは、左方は概ね時代順に配列され、それに右方の歌人らを取り合わせているため、右方歌人の配列は時代順に依らない。時代不同歌合には成立後間もなく歌人の絵姿が添えられたと考えられる。現存する転写本・模本類に鑑みるに、時代不同歌合絵の原本は後鳥羽上皇周辺で製作されたとみられ、藤原信実を中心とする絵師による似絵の手法で描かれたことが想像される。また初期の転写本には白描の作品が多い。同時代の歌人のみでなく古典的歌人の姿も似絵的手法で描かれたこと、また歌人の姿が白描で描かれたことは、その後の歌仙絵・歌合絵の展開のうえで大きな意味をもったと考えられる。現在、鎌倉時代に遡る時代不同歌合絵としては数系統の伝本が伝わる。東京国立博物館保管の本作品はそれらのうちの一本で、本来巻子装であったものが現在は二五図に分断され画帖に貼り込まれている。一番から七五番まで、上巻のすべてが揃っており、当初の状況を復元的にうかがい知ることができる。各図は一対の歌人が向き合い、両者の間に三番ずつの和歌が二行書きを原則として墨書される。この和歌には各所に校訂が認められる。和歌の書風は自然な連綿の鎌倉時代に典型的に認められるものといえる。なお各図とも画面上部に淡墨の罫線が横切り、和歌書き付けの見当としている。 絵は彩色を一切用いない白描による。左方の人物の姿態は比較的変化に富んでおり、右方の人物は列座像のようにほぼ一定の姿で描かれる傾向にある。このことは左方歌人を描く際に先行図様を活用し、右方歌人は通常の似絵の手法を駆使した原本の性格を伝えていると判断される。着衣などの表現は一部写し崩れともいえる描写も含まれるが比較的おおらかな面を示し、歌人の面貌は概ね繊細な表現を見せ、その点では人物像の体部と面相部とを描き分ける似絵の手法を踏襲したものと評価できる。男性歌人の多くに認められる簡略化された耳の表現は「公家列影図」(重要文化財、京都国立博物館)と一致し、また大納言経信(第一図右方)や藤原清輔朝臣(第一〇図右方)、太宰大弐重家(第一五図右方)、源俊頼朝臣(第二〇図右方)らに見られる耳輪を表すために引く線の形体は、藤原信実筆と伝承される「後鳥羽天皇像」(国宝、大阪・水無瀬神宮)と同工のものである。いずれも原本に信実を中心とする似絵絵師が関与したことを想像させる特徴といえる。 なお鎌倉時代に遡る時代不同歌合絵の遺例としては、現在、藤田美術館や細見美術館などに分蔵される一群、および京都国立博物館、五島美術館、和泉市立久保惣記念美術館、出光美術館などが分蔵する一群などが知られている。このうち前者の一群は様式的・形式的特徴が書画ともに東博本と類似しており、残存する図がいずれも下巻に相当する箇所であることから、本図との関連が注目される。しかしそれらはいずれも分断された断簡としてしか伝わらない。 本作品は鎌倉時代に遡るものとしては上巻が完存する唯一の作品であり、白描歌合絵、似絵的歌合絵の展開を考察するうえできわめて重要な遺例として特に評価されるべきものである。