国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
紙本墨画淡彩哦松図
ふりがな
:
しほんぼくがたんさいがしょうず
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員数
:
1幅
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
室町
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
文明四年五月瑞谿周鳳の賛がある
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2036
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2010.06.29(平成22.06.29)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府京都市上京区下長者町通新町西入藪之内町85番4
保管施設の名称
:
国(文化庁)
所有者名
:
国(文化庁)
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
本図は、図上に詩文を書く室町時代の詩画軸の優品であり、当時の画壇に指導的役割を果たした阿弥派の中枢にある画家の作と考えられる。作風は芸阿弥(1431~1485)と共通し、遺品が少ない阿弥派の輪郭を把握する上で重要な作品である。
また、図上の賛に、東福寺の斯立光幢(不明~1474)が入明した際に、張楷という寧波の文人から「哦松」の斎扁を与えられた経緯が記されており、15世紀の日中交流資料としても貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
本図は、図上に詩文を書く室町時代の詩画軸の優品であり、当時の画壇に指導的役割を果たした阿弥派の中枢にある画家の作と考えられる。作風は芸阿弥(1431~1485)と共通し、遺品が少ない阿弥派の輪郭を把握する上で重要な作品である。 また、図上の賛に、東福寺の斯立光幢(不明~1474)が入明した際に、張楷という寧波の文人から「哦松」の斎扁を与えられた経緯が記されており、15世紀の日中交流資料としても貴重である。
詳細解説▶
詳細解説
図上に書された瑞𧮾周鳳(一三九一~一四七三)の賛によれば、哦松の二字は東福寺の斯立光幢(?~一四七四)が入明した折に寧波の文人張楷(一三九八~一四六〇)から書斎の扁として授けられたもので、斯立は帰国後住したところに必ずこれを掲げた。このたび二篆字の下に崔氏哦松の故事を描かせ、瑞谿周鳳に賛を求めてきたので、図の上の余白に書したという。 崔氏哦松とは、唐の貞元(七八五~八〇四)の進士で字を斯立という崔氏が、元和のころに藍田県の丞となって赴任し、庭に松を二株植えて日々その間で詩を吟じたという韓愈の散文に基づく。 瑞谿の着賛は文明四年(一四七二)の年記を伴うが、瑞谿は翌五年、斯立光幢は六年に寂しており、本図は両者の最晩年の交流を証する資料である。 絵の作者は不明であるが、岩の形態、皴法、設色等が芸阿弥(一四三一~八五)、相阿弥(?~一五二五)の作例と共通する特色を有しており、阿弥派に属する画家と考えうる。しかも、文明四年という着賛の年は能阿弥(一三九七~一四七一)が没した翌年にあたる。阿弥派の遺品は非常に限られており、制作年が明らかな本図は非常に貴重である。 国手、国工と讃えられた芸阿弥唯一の確かな遺品である「観瀑図」(重要文化財、根津美術館)は文明十二年の制作で、本図より八年後の作である。両者は岩の形態、皴法、賦彩等によく共通するものを示すが、本図には観瀑図にみる筆致の鋭さはなく、むしろ穏やかな筆致は、相阿弥画と共通する。とはいえ、相阿弥の観瀑図、あるいは芸阿弥の弟子祥啓の山水図と比較すると、岩皴等に重ねる細筆、微妙な墨の濃淡等、より繊細な筆墨の味わいを追求しており、高い画格を示す点で時代が遡ることを物語る。 哦松の二字を斯立に与えた張楷は、斯立が入明した宝徳度の遺明船(一四五三年寧波到着)以降、日本側の資料に現れ、当時入明した日本人が多く傾倒し、彼の著作や送別詩が少なからず日本に舶載されたことが指摘されているが、今日遺存するものは少ない。本図の題字も張楷その人の筆跡とは考え難いが、斯立光幢と張楷の交流を示しており、一五世紀における日中交流資料としても貴重である。斯立光幢は大友氏との関係が深く、第一一次宝徳度遺明船の大友氏が立てた第六号船で入明し、帰国後東福寺内に宝勝院を創建している。本図は平成十九年度に文化庁が購入したものである。