国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
絹本著色賢聖障子〈狩野孝信筆〉
ふりがな
:
けんぽんちゃくしょくけんじょうのそうじ
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員数
:
20面
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
江戸
年代
:
西暦
:
作者
:
狩野孝信
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2042
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2010.06.29(平成22.06.29)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
京都府京都市東山区茶屋町527
保管施設の名称
:
京都国立博物館
所有者名
:
仁和寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
賢聖障子は内裏の正殿である紫宸殿に古代中国の聖人32名の立像を描き並べたもので、平安時代以来紫宸殿のみに描き継がれた。慶長19年(1614)製作の本図は現存最古の遺例である。狩野孝信(1571~1618)の数少ない基準作としても貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
賢聖障子は内裏の正殿である紫宸殿に古代中国の聖人32名の立像を描き並べたもので、平安時代以来紫宸殿のみに描き継がれた。慶長19年(1614)製作の本図は現存最古の遺例である。狩野孝信(1571~1618)の数少ない基準作としても貴重である。
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詳細解説
賢聖障子は、内裏において即位式の大典等が挙行される紫宸殿の母屋と北庇境の柱間に立てられる障子である。図様は、中央付近に魔除けの獅子、狛犬および負文亀を配し、その左右に中国三代から唐にいたる聖者、功臣等三二名の立像を色紙形とともに描き並べるもので、近世には松が描き加えられることもあった。 平安時代以降内裏の紫宸殿のみに連綿と描き継がれた賢聖障子は、その特殊性ゆえに遺作がほとんど伝わらない。仁和寺に伝わる作例は、慶長十六年(一六一一)に後水尾天皇の即位式の後に行われた徳川幕府による最初の御所造営の際に制作されたもので、寛永十八年(一六四一)に明正天皇の御所造営に伴い、紫宸殿、清涼殿、常御殿といった主要な殿舎が仁和寺に下賜されたことが知られている。紫宸殿は金堂として改装され、御殿から取り外された賢聖障子は一部は軸装されたが、ほとんどは捲りのままで現代に至った。昭和六十一年に京都市の指定となった際に保存処理が行われ、現状のような額装とされたものである。 現状の賢聖障子は二〇面であるが、慶長度造営紫宸殿では、柱間六間のうち、東側二間に賢聖一二名が、西側三間に賢聖二〇名が配され、東から三間目の柱間の両端に松図、中央の両開板扉に向かい合う形で獅子、狛犬が配されていたと考えられている。各柱間に嵌められた障子には縁裂が廻され、賢聖像の上部には色紙形が配され、獅子、狛犬の上方には負文亀図があったと思われるが、残念ながら現存しない。 慶長度造営御所の障壁画制作では、藤岡通夫『京都御所』所収の「女二宮様御指図」(宮内庁蔵)の書き込みに「はり付ハきぬ 御絵はせいじん 狩野右近仕候」とあることにより、賢聖障子を狩野右近孝信が担当したことがわかる。 この時期の狩野派は、兄で宗家を継いだ光信がすでに亡く、光信の長男貞信も一二歳と年少であったため、孝信が事実上の棟梁となっていた。また、より早くから土佐家に代わって孝信が宮廷の御用を勤めていた。さらには、慶長度内裏の障壁画は狩野孝信一門が全面的に担当した中で賢聖障子が特別な画題であり、最高位の画家が担当するにふさわしいことからも、十分信じうるものである。 賢聖障子は、具体的な図様の継承関係は遺品が伝わらないため不明であるものの、平安時代以来描き続けられた内裏障壁画の伝統的な画題として日本絵画史上に独自の位置をもつものであり、本図はその最古の遺品として、また、狩野孝信の数少ない基準作としても貴重である。