国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造足利尊氏坐像
ふりがな
:
もくぞうあしかがたかうじざぞう
木造足利尊氏坐像
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員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
南北朝
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
3594
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2012.09.06(平成24.09.06)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
大分県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
安国寺
管理団体・管理責任者名
:
木造足利尊氏坐像
解説文:
詳細解説
室町幕府初代将軍足利尊氏の肖像で、京都東山にあった東岩藏寺に旧在、応仁文明の乱後に山科地蔵寺に移され、明治期に安国寺にもたらされた。製作時期は南北朝期に遡るとみられ、その作者には構造技法から足利将軍家に重用された院派仏師が推定される。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
木造足利尊氏坐像
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木造足利尊氏坐像
解説文
室町幕府初代将軍足利尊氏の肖像で、京都東山にあった東岩藏寺に旧在、応仁文明の乱後に山科地蔵寺に移され、明治期に安国寺にもたらされた。製作時期は南北朝期に遡るとみられ、その作者には構造技法から足利将軍家に重用された院派仏師が推定される。
詳細解説▶
詳細解説
室町幕府初代将軍・足利尊氏(一三〇五~五八)の等身、束帯姿の肖像彫刻である。明治期に大分・安国寺に移されたもので、『蔭涼軒日録【いんりょうけんにちろく】』の記事より、応仁文明の乱(一四六七~七七)以前は京都東山の東岩蔵寺【ひがしいわくらでら】に尊氏の遺骨とともに安置されていたことが知られる。 その像容は垂れ目の穏やかな面貌が特徴的で、像主の面影を伝えているかと想像される。躰軀は通例の束帯像と同様に単純化された面を組み合わせて表される。その造形は全体に形式化し概念的になっているが、安定感のある身体構成により像主の威厳の表出に成功している。構造はいわゆる箱組式で内部に空間ができるように細い材を組み合わせて造られ、躰幹材正面に像心束を下ろし、腰の高さで正面材と背面材の繫ぎを棒状に彫り残す(中間部亡失)が、これらの点は足利将軍家に重用されていた院派の作例にみられる特徴であり、同派の仏師が作者として想定される。頭部がほぼ同大の院隆作・応永二十五年(一四一八)の京都・大報恩寺傳大士【ふだいし】像(重要文化財)と比較すると、大報恩寺像のほうに眼・鼻・口の配置に間延びした印象があることから、安国寺像の製作時期はこれを遡り南北朝期に納まるものとみられる。 安国寺像が当初安置された東岩蔵寺は南北朝期以降に室町幕府の祈禱所となり、その位置は尊氏の居所に近く粟田口【あわたぐち】を見下ろす場所にあることから東国への通路を抑える機能が期待されたとも推定されている。こうした同寺の性格や、尊氏の遺骨とともに安置されていた状況から二代将軍義詮【よしあきら】(一三三〇~六七)によって寺に納められた可能性がある。 足利尊氏の肖像彫刻は記録上では尊氏一周忌に製作された等持院の束帯像が知られるが現存せず、現存作例中では安国寺像が伝来の確かさや製作年代が最も古いとみられる点で、最も像主に近い作品であると考えられる。わが国歴史上著名な人物の肖像彫刻中の重要作例として評価されよう。