国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
メートル条約並度量衡法関係原器
ふりがな
:
めーとるじょうやくならびにどりょうこうほうかんけいげんき
メートル条約並度量衡法関係原器
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員数
:
4本・4個
種別
:
歴史資料
国
:
フランス
時代
:
明治
年代
:
19世紀
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
(メートル原器・メートル副原器)長さ102.0㎝ 縦・横2.0㎝、(尺原器)長さ32.4㎝ 縦・横2.0㎝ 、(キログラム原器・キログラム副原器)高さ及び直径3.9㎝、質量1.0㎏(貫原器)高さ及び直径6.1㎝、質量3.75㎏
品質・形状
:
白金イリジウム合金
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00167
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2012.09.06(平成24.09.06)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
2022.03.22(令和4.03.22)
所在都道府県
:
茨城県
所在地
:
茨城県つくば市梅園1-1-1
保管施設の名称
:
独立行政法人産業技術総合研究所計量標準総合センター
所有者名
:
独立行政法人産業技術総合研究所
管理団体・管理責任者名
:
メートル条約並度量衡法関係原器
解説文:
詳細解説
明治18年(1885)、我が国はメートル条約に加盟した。1888年、国際度量衡委員会は、イギリス製の白金・イリジウム合金地金を用いたメートル原器30本のうちの一本(No.6)を国際メートル原器とし、翌年にはそれ以外を条約加盟各国に抽選により分配し、我が国は原器(No.22)と、同時に製作されたキログラム原器40個のうちの一個(No.6)を受領した。明治24年(1891)3月、我が国は度量衡法を公布したが、「度量ハ尺、衡ハ貫ヲ以テ基本トス」とされ、尺はメートル原器の33分の10、貫はキログラム原器の4分の15と規定された。これによりメートル原器を基準とする尺貫法が制定された。このため新たに尺原器、貫原器が必要となったため、その製作を国際度量衡委員会事務局に依頼し明治31年これらを受領した。我が国従来の複雑かつ多様な度量衡制度を国際的な基準に則った体系的なものとした原器類であり、社会、経済、学術等の幅広い分野に決定的な影響を与えたもので、日本の近代における度量衡の原点に位置する根本資料であり、歴史的・学術的価値が高いものである。
令和元年(2019)5月20日,キログラムの定義が改定され,キロラム原器が原器としての役割を終えたことを契機として,キログラム原器その他質量に関する原器類の追加指定を行った。
関連情報
(情報の有無)
附指定
一つ書
添付ファイル
なし
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メートル条約並度量衡法関係原器
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メートル条約並度量衡法関係原器
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解説文
明治18年(1885)、我が国はメートル条約に加盟した。1888年、国際度量衡委員会は、イギリス製の白金・イリジウム合金地金を用いたメートル原器30本のうちの一本(No.6)を国際メートル原器とし、翌年にはそれ以外を条約加盟各国に抽選により分配し、我が国は原器(No.22)と、同時に製作されたキログラム原器40個のうちの一個(No.6)を受領した。明治24年(1891)3月、我が国は度量衡法を公布したが、「度量ハ尺、衡ハ貫ヲ以テ基本トス」とされ、尺はメートル原器の33分の10、貫はキログラム原器の4分の15と規定された。これによりメートル原器を基準とする尺貫法が制定された。このため新たに尺原器、貫原器が必要となったため、その製作を国際度量衡委員会事務局に依頼し明治31年これらを受領した。我が国従来の複雑かつ多様な度量衡制度を国際的な基準に則った体系的なものとした原器類であり、社会、経済、学術等の幅広い分野に決定的な影響を与えたもので、日本の近代における度量衡の原点に位置する根本資料であり、歴史的・学術的価値が高いものである。 令和元年(2019)5月20日,キログラムの定義が改定され,キロラム原器が原器としての役割を終えたことを契機として,キログラム原器その他質量に関する原器類の追加指定を行った。
詳細解説▶
詳細解説
我が国の度量衡を初めて国際的な基準に準拠する体系的なものとした原器類のうち、長さにかかる原器。1875年、フランスが主導するメートル条約が、ヨーロッパを中心とする17カ国により締結された。この条約では、メートルは極点から赤道に至る子午線の長さの一千万分の一と定義され、すでに同じ定義によりフランスが作成し、同国の共和国公文書館に保管されていた白金製のメートル原器(保管場所の名に因みアルシーブのメートル原器と呼ばれる)がその具体的な長さの基準とされた。また、可能な限りアルシーブの原器に近い国際原器と各国に配布する原器の作成が決定された。この条約の締結を受けてフランス政府は未加盟各国へメートル条約への加盟を呼びかけ、我が国もこれに応じ、明治18(1885)10月に加盟手続きを完了した。これは1889年に開催が予定される第一回国際度量衡委員会総会での加盟各国への原器配布に間に合わせたものとされる。1888年、慎重な準備と試験を重ねた国際度量衡委員会は、フランス部会製の地金(1874年製)よりも良好な試験結果を得たイギリスのジョンソン・マッセイ(Johnson Matthey)社製造の白金90%、イリジウム10%の合金地金を採用した。この合金は、硬く変形し難い、熱膨張係数が小さい、目盛線を引くのに適した光沢面の研磨が可能などの利点があった。発案者の名を冠してトレスカ断面と呼ばれる20ミリメートル角のX字形断面を有する加工済地金棒に目盛線を刻んだメートル原器30本が作成され、このうちの一本(№6)を国際原器とした。翌年の第一回国際度量衡委員会総会で抽選が行われ、国際原器を除く29本の原器が加盟各国に分配された。我が国は№22の原器を受領し、翌明治23年(1890)4月、原器は日本に到着した。この原器が今次提案に含まれるメートル原器である。一方、明治新政府は維新直後には、旧来の座制に基づく度量衡制度をそのままに引き継いだ。明治8年には度量衡取締条例が公布され、新たな度量衡制度が成立したが、折衷尺という日本独自の長さを基本としたために、西洋化が急速に進むと様々な分野で支障が生じた。同15年、内務省は気象観測に、陸軍は陸地測量にメートル法の導入を決定した。こうしてメートル法が徐々に浸透するなか、同24年3月、度量衡法が公布された。この法律では「度量ハ尺、衡ハ貫ヲ以テ基本トス」「度量衡ノ原器ハ白金イリジウム合金製ノ棒及分銅トス、其棒ノ面ニ記シタル標線間ノ摂氏〇、一五度ニ於ケル長サ三三分ノ一〇ヲ尺トシ、分銅ノ質量四分ノ一五ヲ貫トス」と規定された。この「白金イリジウム合金製ノ棒及分銅」とは日本が受領し、前年に到着していたメートル原器№22とキログラム原器№6である。また、「摂氏〇、一五度ニ於ケル長サ」とは、日本のメートル原器が国際メートル原器に対して摂氏〇度で「-1.3μ±0.1μ」の誤差を有するため、これを熱膨張により補正して正しい長さとする温度が摂氏0.15度であることを示している。この誤差の値と、その補正のための熱膨張係数は、原器に付属する「メートル原器校正証明書」に記載される数値が用いられている。この時の温度は、同じく原器に付属するトンヌロー温度計による値である。この度量衡法により、尺貫を基本とするものではあるが、メートル体系に則った尺貫法が制定され、我が国の度量衡が初めて国際的な基準に準拠する体系的なものとなった。ートル原器は、X字形の断面を有する長さ102センチメートルの白金イリジウム合金製の棒である。原器には、上面左端に「A.22」「SIP GENEVE-1958」、上面右端に「B.22」と刻印される。「A」「B」はそれぞれ原器の始端、終端の向きを、これに続く数字は配布時の各国原器番号を示す。「SIP GENEVE-1958」は、現状の目盛線が、ジュネーブの「Société Genevoise \'Instruments de Physique」によ1958年に刻まれたことを示す。これは1954年の第一〇回国際度量衡委員会総会で「各国原器の目盛線引き直し」が決議され、日本のメートル原器が56年に国際度量衡局に送られ、五八年に引き直され、61年に返還された間の事情を反映するものである。このため現状は、X字形の上面の溝が全面にわたり研磨され、光沢面となっており、ここに一ミリメートル間隔の目盛線、10ミリ毎に基線からの長さ(センチメートル)を示すアラビア数字が刻まれる。当初の目盛は、上面の溝の両端から一センチメートルほど内側に楕円形光沢面二面を作り、各面に0.5ミリ間隔の3本ずつの目盛線とこれと直交する〇・二ミリ間隔の補助平行線2本を引いたもので、両端それぞれ3本の目盛線の中央の目盛線間(補助平行線内)の長さが1メートルを表すものであった。この当初の姿は、目盛線の引き直し対象外であったメートル副原器に比較的良好に保たれている。 度量衡法の成立にともない、新たにメートル原器2本、尺原器2本およびキログラム原器、貫原器などの原器類が必要となり、その製作を国際度量衡局に依頼した。この結果、明治27年にメートル副原器№10C、同31年に尺原器二本、翌年にメートル副原器№20Cを入手した。メートル副原器、尺原器は、いずれも1874年のフランス部会製の地金によるものであり、尺原器はフランスで№14cを切断して作成された。このうちメートル副原器№10Cは、第二次世界大戦後、朝鮮の独立にあたり同国へ輸出するよう連合国総司令部から求められ、キログラム副原器一箇(№39)とともに昭和22年4月に輸出され、現在は国内に存在しない。 なおメートル原器は、木製の内ケースに収められ、さらに真鍮製円筒容器に収納されるが、このケースは当初のものである。また、メートル原器には、原器校正用に国際度量衡委員会から受け取った水銀棒温度計であるトンヌロー温度計(№4301, №4302)2本が付属する。 メートル原器類の所管の変遷については次の通りである。当初、度量衡を所管した農商務省が保管。明治36年に農商務省中央度量衡器検定所(のちに中央度量衡検定所と改称)が設立され同所で保管。ただし、度量衡法の規定により、メートル副原器一本(№20C)は文部省がこれを保管(昭和26年からは通商産業省が保管)。その後、大正14年の農商務省の廃止にともない商工省へ、戦争末期に農商省を経て、戦後再び商工省へ中央度量衡検定所組織とともに移管された。昭和24年に商工省が通商産業省と改組され、その所管となる。同27年、中央度量衡検定所は、中央計量検定所と改称。平成13年、独立行政法人産業技術総合研究所に移行し、計量標準総合センターと改称されて現在に至っている。 令和元年(2019)5月20日,キログラムの定義が改定され,キロラム原器が原器としての役割を終えたことを契機として,キログラム原器その他質量に関する原器類の追加指定を行った。
関連情報
附指定
トンヌロー温度計
メートル原器校正証明書
キログラム原器校正証明書
関連情報
一つ書
メートル原器
メートル副原器
尺原器
キログラム原器
キログラム副原器
貫原器
関連情報
附指定
附名称
:
トンヌロー温度計
附員数
:
2本
附ト書
:
関連情報
附指定
附名称
:
メートル原器校正証明書
附員数
:
1通
附ト書
:
関連情報
附指定
附名称
:
キログラム原器校正証明書
附員数
:
1通
附ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
メートル原器
一つ書員数
:
1本
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
メートル副原器
一つ書員数
:
1本
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
尺原器
一つ書員数
:
2本
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
キログラム原器
一つ書員数
:
1個
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
キログラム副原器
一つ書員数
:
1個
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
貫原器
一つ書員数
:
2個
ト書
: