国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
東寺御影堂牛玉宝印版木
ふりがな
:
とうじみえどうごおうほういんはんぎ
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員数
:
1枚
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
南北朝
年代
:
14世紀
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
縦31.9㎝ 横50.1㎝
品質・形状
:
木製陽刻
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
00171
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2012.09.06(平成24.09.06)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
京都府
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
宗教法人教王護国寺
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
本板木は、針葉樹とみられる板材を用い、「牛玉/御影堂/宝印」の文字を三行にわたり陽刻彫出したもので、御影堂牛玉宝印作成に使用されたものである。牛玉宝印は、寺社の修正会など初春の儀式にて作成され信者に配布されたもので、鎌倉時代以降には、寺社名等を墨書あるいは摺写した料紙に宝印を捺したものが多く作成された。主に護符として機能したほか、起請文の料紙に用いられ、中世および近世社会において諸階層に広く流布した。中世東寺では、四種の牛玉宝印が作成されたが(文字を摺写したものは御影堂のみ)、うち御影堂牛玉宝印は正月三日の御影堂修正会において作成されたことが判明する。「御影堂牛玉宝印」の文字を摺写した牛玉紙の遺例として、永和4年(1378)から天文23年(1554)にいたる、東寺寺僧・寺官、東寺領荘民等の起請文18通が伝存するが、これらは本板木を使用して作成されたと考えられることから、本板木は御影堂牛玉宝印作成に板木が導入された南北朝時代のものであり、以来現代にいたるまで断続的に使用されてきた板木と認められる。遺例の少ない中世に遡る牛玉宝印板木であり、記録類や伝来する起請文などによって牛玉紙作成状況や牛玉紙の使用例が知られる点も貴重で、文化史上に注目される。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
本板木は、針葉樹とみられる板材を用い、「牛玉/御影堂/宝印」の文字を三行にわたり陽刻彫出したもので、御影堂牛玉宝印作成に使用されたものである。牛玉宝印は、寺社の修正会など初春の儀式にて作成され信者に配布されたもので、鎌倉時代以降には、寺社名等を墨書あるいは摺写した料紙に宝印を捺したものが多く作成された。主に護符として機能したほか、起請文の料紙に用いられ、中世および近世社会において諸階層に広く流布した。中世東寺では、四種の牛玉宝印が作成されたが(文字を摺写したものは御影堂のみ)、うち御影堂牛玉宝印は正月三日の御影堂修正会において作成されたことが判明する。「御影堂牛玉宝印」の文字を摺写した牛玉紙の遺例として、永和4年(1378)から天文23年(1554)にいたる、東寺寺僧・寺官、東寺領荘民等の起請文18通が伝存するが、これらは本板木を使用して作成されたと考えられることから、本板木は御影堂牛玉宝印作成に板木が導入された南北朝時代のものであり、以来現代にいたるまで断続的に使用されてきた板木と認められる。遺例の少ない中世に遡る牛玉宝印板木であり、記録類や伝来する起請文などによって牛玉紙作成状況や牛玉紙の使用例が知られる点も貴重で、文化史上に注目される。
詳細解説▶
詳細解説
本板木は、針葉樹(ヒノキヵ)とみられる板材を用い、「牛玉/御影堂/宝印」の文字を三行にわたり陽刻彫出したもので、東寺御影堂牛玉宝印摺写に用いられた板木である。牛玉宝印は、寺社の修正会・修二会などの初春の儀式において作成され信者に配付されたものであり、主に護符として用いられ中世以降全国の広い階層に普及した。また、鎌倉時代中期以降より牛玉宝印料紙(牛玉紙)を翻して起請文料紙として用いることが同様に広く普及し、その結果今日伝存する江戸時代以前の牛玉紙の大半は起請文料紙として伝来する。最古の遺品は文永3年(1266)12月付東大寺世親講衆連署起請文(「東大寺文書」)に使用される「二月堂牛玉宝印」および「那智滝宝印」の牛玉紙である。これらの遺品からは、宝印の多くは宝珠や各寺社の本尊・本地仏の種子をあらわし、これに宝印の作成主体となる寺社堂舎名を墨書するものや、「二月堂牛玉宝印」や著名な「熊野牛玉宝印」のように社寺堂舎名を摺写するものなどが見られるが、江戸時代には摺写のものが大いに広まった。このような歴史から、牛玉宝印板木は全国的に遺存するものの、大半が江戸時代の板木で中世に遡るものは稀少である。東寺においては、南北朝時代以降、御影堂・夜叉神・教王護国寺・千手堂の四種の牛玉宝印が、それぞれ御影堂修正会(正月3日)、夜叉神修正会(正月10日)、講堂修正会(正月28日)、千手堂(食堂)修正会(2月3日)にて作成され、寺僧・寺官・下人など寺内の関係者に配布された。作成枚数は一般に数枚から数十枚であり、応永11年(1404)の「御影堂牛玉宝印」(摺写)の60枚が最多となっている(『東寺執行日記』など)。 中世東寺にて作成された牛玉紙を利用した起請文は39通が伝来し、うち「御影堂牛玉宝印」料紙が34通と大半を占めている。これらは南北朝時代から室町時代前期を中心に、寺内組織運営、庄園経営に関する誓文に使用されたもので、発行主体や牛玉紙の質などからみても、先述の四種のうちで「御影堂牛玉宝印」がもっとも尊重されていた。 御影堂牛玉紙の遺品は、延文5年(1360)3月5日付若狭国太良庄公文等連署起請文を最古のものとし、「東寺百合文書」および「教王護国寺文書」中に34通が伝来する。貞治6年(1367)12月15日付若狭国太良庄公文連署起請文までの11通が「御影堂牛玉宝印」の文字を書写したもので、永和4年(1377)5月22日付性実起請文から天文23年(1554)正月晦日付宝厳院祐重起請文に至る23通が「御影堂牛玉宝印」の文字を摺写したものへと変化する。このことから、貞治6年から永和4年の間に御影堂牛玉宝印板木が制作されたと考えられる。この23通の牛玉紙を観察すると、版の大きさおよび文字上の木目が板木と一致することから、本板木は先述の年代に開板されたものと認められる。