国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造浅間神像
ふりがな
:
もくぞうせんげんしんぞう
木造浅間神像1
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員数
:
1基
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
平安
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
3598
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2013.06.19(平成25.06.19)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
山梨県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
浅間神社
管理団体・管理責任者名
:
木造浅間神像1
解説文:
詳細解説
背中合わせに三方を向く女性像とその上方に如来形の半身を一材から彫出した像で、目鼻の彫りや胸の厚い体型などの特徴から11世紀の製作とみられる。古代の富士山信仰に関わる遺品としてのみならず特異な像形式をみせる神像として注目される。
関連情報
(情報の有無)
附指定
一つ書
なし
添付ファイル
なし
写真一覧
木造浅間神像1
木造浅間神像2
写真一覧
木造浅間神像1
写真一覧
木造浅間神像2
解説文
背中合わせに三方を向く女性像とその上方に如来形の半身を一材から彫出した像で、目鼻の彫りや胸の厚い体型などの特徴から11世紀の製作とみられる。古代の富士山信仰に関わる遺品としてのみならず特異な像形式をみせる神像として注目される。
詳細解説▶
詳細解説
俗体の女性像を背中合わせに三方に配し、それに囲まれた上方に如来の半身をあらわした神像で、富士山を望む江原浅間神社に御神体として伝来した。木心を正面前方に外した檜とみられる針葉樹の一材より全容を彫り出し、表面は著衣等に彩色を施している。 おのおのの女神は面貌を少しずつ違えてあらわされ、正面分は目尻を吊り上げ、左方分は穏やかに目を伏せ、右方分は目をやや見開いた表情になる。胸の厚く量感のある躰軀、鼻梁が付根から鼻先に向かい狭まる特徴や上唇の突き出した形、目鼻立ちや衣縁の稜を立てて刻み出す刀法などは一一世紀の地方彫像にままみられるもので、製作年代もその時期におくことができる。 富士山信仰としての浅間神社の創建は、甲斐国では貞観六年(八六四)に発生した大噴火を承けて翌年初めて八代郡に建立が許されたことに始まる。浅間神は女神とされ、このことについては古くは『本朝文粋【ほんちょうもんずい】』所収の「富士山記」にその萌芽が認められ、鎌倉時代末までに成立の『地蔵菩薩霊験記』には浅間神を女身と記されている。類例のない形状になる本像の尊名を明確にはしがたいが、伝承どおりこれを浅間神と称して差し支えないと考えられる。 如来形は髪が耳を覆い、襟・胸部までの半身像として表される。こうした形式は十一面観音の頂上仏面にしばしばみられ、加えて女神と如来形の配置は十一面観音の変化面と頂上仏面との関係を思わせることから、本像の図像は十一面観音の頭上面を参照して案出されたと考えられる。十一面観音の頂上仏面は玄奘【げんじょう】訳『十一面神呪心経』に疫病消除の効能が説かれており、長元元年(一〇二八)に五畿七道の国司に対して出された太政官府にも頂上仏面のこの効能への期待の文言が含まれていることから、このころに全国にこうした考えが広まっていたと推測される。一一世紀ころに富士山が頻繁に噴火を起こしており、『本朝世紀』長保元年(九九九)三月七日条によれば、噴火を神祇官と陰陽寮に占わせたところ兵乱や悪疫流行の前兆かとされている。本像に仏面をあらわしたのは、頻発する富士山の噴火を背景として疫病消除の効能への期待が込められていると想像することも可能である。 富士山信仰にかかわる神像としては現存最古の作例であり、極めて特異な形式を示す神像として貴重である。
関連情報
附指定
附 木造宮殿
関連情報
附指定
附名称
:
附 木造宮殿
附員数
:
2基
附ト書
: