国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
木造千手観音坐像
ふりがな
:
もくぞうせんじゅかんのんざぞう
解説表示▶
員数
:
1躯
種別
:
彫刻
国
:
時代
:
平安時代
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
像高100.6センチメートル
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
3632
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2017.09.15(平成29.09.15)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
宮城県
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
お薬師様文化財保存会
管理団体・管理責任者名
:
大崎市
解説文:
詳細解説
『日本往生極楽記』に名が見える小松寺の本尊として伝来した像。繊細、優美な姿で、中尊寺金色堂の奥州藤原三代に関わる諸像、殊に二代基衡のために造られた一群と共通する作風を示す。二重瞼の目や背面で吉祥天や女神のように処理する髪型が珍しい。
関連情報
(情報の有無)
附指定
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
『日本往生極楽記』に名が見える小松寺の本尊として伝来した像。繊細、優美な姿で、中尊寺金色堂の奥州藤原三代に関わる諸像、殊に二代基衡のために造られた一群と共通する作風を示す。二重瞼の目や背面で吉祥天や女神のように処理する髪型が珍しい。
詳細解説▶
詳細解説
等身の千手観音坐像で、ホオと鑑される材を用い、頭体幹部を通して左右二材を矧【は】ぐ構造になり漆箔仕上げとする。現在、神社の境内にある観音堂に安置されるが、明治初年までは隣接する小松寺【こまつじ】(退転)の本尊として祀られていた。小松寺は『日本往生極楽記【にほんおうじょうごくらくき】』に「陸奥国新田郡小松寺」とみえる寺院にあたるとみられ、『延喜式【えんぎしき】』神名帳【じんみょうちょう】に載る「新田郡小松神社」とともに奈良時代に設けられた城柵である新田柵【にいたのさく】に関連する宗教施設と推定される。 定朝様に依拠しながら繊細化の著しいその作風は、岩手を中心に宮城、福島など東北各地に分布する、奥州藤原【おうしゅうふじわら】氏の平泉における寺院造営に関連するとみられる一二世紀の中央風を示す作例に共通してうかがえるものである。極端ななで肩で細身の体型、瞼を広めにとり、やや淋しげな表情を示す面貌、脛【すね】の肉付けが扁平で、そこにさざなみのような浅い衣文を刻む点などは中尊寺金色堂安置の諸像(国宝)のうち、二代基衡【もとひら】のための壇に元来安置されていたとみられる現西北壇の阿弥陀如来像や西南壇の両脇侍像と通じる。平泉関連の諸像のうち末期の作例は総じて目鼻立ちが小づくりになり、一部に面長の傾向も現れ、また紐状の衣文を密に刻むものも出てくるが、本像にはそうした要素はみられず、基衡壇の造像年の目安となる同人死去の保元二年(一一五七)をさほど降らない一二世紀第三四半期の製作とみてよいであろう。 また本像は目を二重瞼に作ることや、背面で髪を上背部にかかるまで弛【たゆ】ませたうえ頂で結い上げる結髪形式が注目される。前者は平泉関連の作例ではほかに宮城高蔵寺の丈六【じょうろく】如来像(一二世紀)があり、他地方では島根清水寺阿弥陀如来像(重要文化財、一二世紀)がやはり二重瞼に表されている。平等院雲中供養菩薩像(国宝)の一部に二重瞼の像があり、さらに遡ると八~九世紀の檀像【だんぞう】の一部に用いられる。定朝がこれを復活させたかとみられるが、院政期にごく一部で行われたのみの珍しい形式がここで用いられていることが興味深い。後者も山形宝積院十一面観音像や大阪清泰寺二菩薩像(いずれも重要文化財)のごとき平安前期の檀像に使用される形式であるが、当代では女神像の髪型に通じ、福井八坂神社の十一面女神像(一二~一三世紀)のごとき作例との関連も考慮してよいかとも思われる。 その作行は入念かつ堅実であるが、天冠台【てんかんだい】の列弁の彫りが硬い点や使用樹種等から東北地方、おそらく平泉に設けられた造仏工房により作られたとみるべきであろう。頭上面が後補に替わるが脇手がほとんど当初で、表面の漆塗の過半が遺るなど保存状態は良好である。平泉関連の作例は少なくないが、本像はそのなかでも出来映えに加え特異な細部形式を有する点で特に注目される像といえる。
関連情報
附指定
木造不動明王毘沙門天立像
関連情報
附指定
附名称
:
木造不動明王毘沙門天立像
附員数
:
2躯
附ト書
: