国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
絹本著色鯉魚跳龍門図〈熊斐筆/〉
ふりがな
:
けんぽんちゃくしょくりぎょちょうりゅうもんず ゆうひひつ
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員数
:
1幅
種別
:
絵画
国
:
日本
時代
:
江戸
年代
:
18世紀
西暦
:
作者
:
熊斐
寸法・重量
:
縦129.6 横53.1
品質・形状
:
絹本著色・掛幅装
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
繍江熊斐写「熊斐」(白文二重方印)「繍江」(朱文方印)/「遊於藝」(遊印・朱文長方印)
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2104
枝番
:
0
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2019.07.23(令和1.07.23)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
長崎県
所在地
:
長崎県長崎市立山1-1-1
保管施設の名称
:
長崎歴史文化博物館
所有者名
:
長崎市
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
熊斐(本姓神代)は、職業画工的な濃密描写と文人画、民画的要素の混ざりあった独特の画風で知られる長崎派の祖で、その後、日本全国にひろまることになる唐絵趣味の起点となった絵師。水しぶきと水中の鯉の描写に意を尽くした本図は、その代表作である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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解説文
熊斐(本姓神代)は、職業画工的な濃密描写と文人画、民画的要素の混ざりあった独特の画風で知られる長崎派の祖で、その後、日本全国にひろまることになる唐絵趣味の起点となった絵師。水しぶきと水中の鯉の描写に意を尽くした本図は、その代表作である。
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詳細解説
熊斐(一七一二~七二)は本姓を神代といい、長崎で来航唐人の通訳や在留唐人の取り締まりなどを行う、唐通事を本業とした。画ははじめ唐絵目利の渡辺家に学び、後に享保十六年(一七三一)に来航した清の画人・沈南蘋(一六八二~?)とその弟子・高乾(生没年不詳)に師事し、精緻な筆法と艶麗な彩色を特徴とする画風で一家を成した。同十八年に帰国した南蘋と交流した日本人絵師は数人に限られ、直接画を学んだのは熊斐のみとされる。描写力に秀でた南蘋の絵は我が国で大いに珍重されたが、熊斐の名声も長崎にとどまらず、尾張徳川家からの用命を受けるなど、全国区となった。こうして熊斐を慕う絵師が各地から長崎に集まることとなり、その画風は鶴亭(一七二二〜八五)や宋紫石(一七一五〜八六)らによって上方や江戸へと伝播する。熊斐の後にも熊斐の弟子たちが長崎で活躍していわゆる「長崎派」を形成して存在感を示し続けた。彼らによる濃厚な絵画表現は十八世紀後半の日本の画壇に多大な影響を及ぼし、瀟洒淡白に傾きがちであった画壇の活性化を促すこととなった。近年、熊斐を含む南蘋派(唐絵派)の研究が進み、南蘋風伝播の具体的様相と、その起点に位置する熊斐の重要性が明確となっている。 本図は、立身出世を象徴する登龍門の図に、多産を象徴する腹合わせの鯉の図像を重ね、さらに子孫繁栄を象徴する桃花を添えたもので、墨の濃淡と彩色の強弱で巧みに水の中と外を描き分けた、熊斐の代表作である。細部まで丁寧に写し取った鯉の描写や、それ自体が生物であるかのような波頭の形態、桃花の精緻な賦彩などに南蘋の影響を見て取ることができる。一方で登龍門の全体的な図像は少なくとも長崎では南蘋来航前から流布していたものであり、腹合わせの鯉も民間習俗に基づく図像である。さらに、その後の南蘋派に通底する、文人的あるいは非職業画工的と言うべきおおらかさも漂わせていることも注目されよう。南蘋の模倣に終わらず、唐人との直接の接点であった長崎ならではの独自の画境に達している点が、とくに高く評価されるところである。