国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
金銅密教法具
ふりがな
:
こんどうみっきょうほうぐ
解説表示▶
員数
:
五鈷杵 一口
種子五鈷鈴 二口
種別
:
工芸品
国
:
日本
時代
:
鎌倉
年代
:
西暦
:
五鈷杵 鎌倉時代(13世紀)、五鈷鈴(一)貞応3年(1224)、五鈷鈴(二)仁治2年(1241)
作者
:
寸法・重量
:
(五鈷杵)長17.4
(五鈷鈴一) 総高21.7 把長5.5 鈴身高10.2 鈴身口径7.4 重量1609g
(五鈷鈴二) 総高22.3 把長5.6 鈴身高10.4 鈴身口径7.1 重量一九四三g (重量以外㎝)
品質・形状
:
銅製鋳造鍍金で、要所に線刻を施す。
(五鈷杵)把部の中央を四条の紐で約し、把部両端には、八葉単弁の間弁付蓮弁飾りを表す。蓮弁飾りは、二重の紐帯で約す。蓮弁先にも二重の紐帯を廻らし、その先に中鈷を中心に四本の脇鈷を具える。脇鈷は大きく張りをもった湾曲をみせて、半ばに尖った節を設けて鈷先は鋭く、内側に匙面をとる。また、中鈷は半ばに尖った節を設けて鈷先はやや丸く、四面に匙面をとる。脇鈷の外面輪郭に沿って線刻が施されている。 中鈷の根元四方に一字宛て線刻で、一方に「善」「光」「寺」「如」、他方に「来」「前」「理」「阿」とある
(五鈷鈴(一) 貞応三年銘)把部から上部と鈴身とを別鋳し、鈴身上部の連珠文帯部分で組み合わせたものである。把部の中央には吽形の鬼面が四方に配される。上下に八葉三重の間弁付蓮弁飾りを配し、蓮弁飾りは子持ち連珠文帯で約している。鈷部は、中鈷を中心として四本の脇鈷を具える。脇鈷は獅噛口より出る形式とし、脇鈷外面には猪目様に変容した逆刺を表し、鈷の外縁および両縁を一段高く作り出して鎬を立てる。中鈷は半ばに節を設けて四面に匙面をとる。中鈷の四面および脇鈷の内側には、それぞれに線刻で筋彫が施される。鈴身は、総体に厚く、裾の蓮弁飾りで大きく外反させる。鈴身全体がやや楕円に歪んでいる。上端は把部の裾に連なる連珠文帯で約した八葉三重蓮弁に複葉蓮弁を重ね、蓮弁先には蕊を二段に表し、さらに紐帯三条で肩を区切って、鈴身の笠としている。側面には上段に独鈷杵帯と連珠文帯、下段に三鈷杵帯と連珠文帯を配して、内区を作る。内区には、蓮台上に種子を表した円相を四方に配し、宝相華文を廻らして魚々子地とする。鈴身下辺は双葉蓮弁を外反させて装飾する。内部に銅製八角の露玉形舌を吊る。鈴底の口辺に刻銘がある。
(五鈷鈴(二) 仁治二年銘) 総体の仕様は、貞応年銘のものに準じる。ただし、鈴身の胎が貞応年のものに比してやや厚い点、内区の花文唐草が宝相華を主文として、全体の表現が異なる点、種子が胎蔵界四仏ではあるが、字体が異なる様式である点などが認められる。鈴身内部には、銅製八角の露玉形舌を吊る。また、裾部の仕様は、(一)とやや異なり、中央に半円形の蘂を配した双葉蓮弁を廻らしている。鈴底の口辺に刻銘がある。
ト書
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画賛・奥書・銘文等
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伝来・その他参考となるべき事項
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指定番号(登録番号)
:
2703
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2020.09.30(令和2.09.30)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
山形県
所在地
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保管施設の名称
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所有者名
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管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
本作は、五鈷杵と五鈷鈴とを組み合わせたものである。上杉氏が越後より米沢に移転した際に、現在当寺に秘仏として安置される善光寺如来像とともにもたらされた。江戸時代には米沢城内本丸の謙信を祀った御堂に奉安されていた。明治時代、謙信の位牌を上杉家廟所に移転する際、廟所に隣接する現在の地に同じく遷座された当寺に移管された。
金剛杵は、やや古様かつ特異な造形を示しながらも、鎌倉時代初期の作風を示している。また、金剛鈴二口は、胎蔵界四仏を表した荘厳性の高い仕様で、先行する貞応年の鈴に、仁治年の鈴を追作するかたちで製作、善光寺に施入された後、一具とされたものと思われる。杵、鈴とともにいずれも鋳上りが良好で、重厚かつ峻険で巧緻な作風を湛えた鎌倉時代密教法具の優品である。特に、金剛鈴二口は、ともに年紀等の銘文があり、基準作としても貴重である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
本作は、五鈷杵と五鈷鈴とを組み合わせたものである。上杉氏が越後より米沢に移転した際に、現在当寺に秘仏として安置される善光寺如来像とともにもたらされた。江戸時代には米沢城内本丸の謙信を祀った御堂に奉安されていた。明治時代、謙信の位牌を上杉家廟所に移転する際、廟所に隣接する現在の地に同じく遷座された当寺に移管された。 金剛杵は、やや古様かつ特異な造形を示しながらも、鎌倉時代初期の作風を示している。また、金剛鈴二口は、胎蔵界四仏を表した荘厳性の高い仕様で、先行する貞応年の鈴に、仁治年の鈴を追作するかたちで製作、善光寺に施入された後、一具とされたものと思われる。杵、鈴とともにいずれも鋳上りが良好で、重厚かつ峻険で巧緻な作風を湛えた鎌倉時代密教法具の優品である。特に、金剛鈴二口は、ともに年紀等の銘文があり、基準作としても貴重である。
詳細解説▶
詳細解説
五鈷杵と五鈷鈴を組み合わせた密教法具の一具である。銅製鋳造鍍金で、要所に線刻や彫を施しており、いずれも重厚かつ堅実な造形で、鋳上りがよい。また、峻巧で精緻に仕上げられており、優秀な金工技術が遺憾なく発揮されている。 五鈷杵は、把中央と鈷部との径の差が大きく、力強い造形を呈している。また、脇鈷の鈷先は、鋭利であるが、やや大きく張り出して湾曲する輪郭を示し、鎌倉時代初期の製作にかかることが想定される。ただし、鬼目部を通例の鬼面や鬼目ではなく、紐帯で約す表現は、特異で他例をみない。中銛の根元四方には、各面一字宛て線刻で、「善」「光」「寺」「如」、「来」「前」「理」「阿」と表されている。 五鈷鈴は、総体に金剛杵の文様帯と宝相華唐草文で豪華に荘厳される。また、鈴身の中心に陽鋳で表された種子は、胎蔵界四仏を象徴する梵字で、東方「乾」(ア・宝幢如来)・南方「侃」(アー・開敷華王如来)・西方「姦」(アン・無量寿如来)・北方「漢」(アク・天鼓雷音如来)の胎蔵界四仏が表されている。このため、これらの法具は、胎蔵界修法に用いられたものと思われる。同様の例としては、国宝・金銅密教法具[広島・厳島神社蔵、鎌倉時代]をはじめ、重要文化財・金銅密教法具[千葉・小網寺蔵、鎌倉時代]、重要文化財・金銅五鈷鈴[京都・細見美術館蔵、鎌倉時代]、重要文化財・銅密教法具〔神奈川・極楽寺蔵、鎌倉時代〕など、主に鎌倉時代の遺品が知られている。いずれも把部の蓮弁表現や先端が鋭利な鈷部の形状などから、鎌倉時代前期の特徴が顕著で、この時代に特に盛行した様式の法具であることが推測される。 また、(一)の鈴身の底辺には「貞應三年 申(甲) 八月十八日比丘榮忍 工岡四郎」の銘が、(二)の底辺には、「仁治二 丑(辛) 八月三十日 橘未時作之」、「願主法橋禅智」、別筆で「善光寺」「奉寄進 中間(内陣) 覚尊」の線刻銘がある。 五鈷杵と五鈷鈴とからなるこれらの法具類は、線刻による「善光寺」の銘文がみられることから、おそらくは善光寺における法具として用いられていたものが、上杉家との関連深い寺にもたらされたものと思われる。その後、上杉氏が越後より米沢に移転した際に、現在当寺に秘仏として安置される善光寺如来像とともに移された。江戸時代には米沢城内本丸に建立されていた謙信を祀った御堂に如来像とともに保管されていたことが上杉家の記録に記されている。現在、本件を所蔵する法音寺は、明治時代、謙信の位牌を上杉家廟所に移転する際、廟所に隣接する現在の地に同じく遷座された。これらの法具類が当寺に移管されたのは、明治末になって如来像が上杉家管理から当寺に移譲され、安置されたことに伴うものである。 このように、五鈷杵は、様式が他の金剛杵の遺品に比してやや古様で鎌倉時代初期の作風を示す貴重な遺品である。一方、五鈷鈴は、ほぼ同じ構成要素ではあるが、細部は異なる部分が多いため、当初から一具として製作されたものではなく、先行する貞応年銘の鈴に、仁治年銘の鈴を追作するかたちで模作に近い仕様で製作され、一具として組み合わされたものと思われる。 本件は、五鈷杵、五鈷鈴いずれも鋳上りが良好で、製作技術が特に優秀であり、重厚かつ鋭角的な作風を湛えた鎌倉時代の密教法具を代表する遺品である。さらに、五鈷鈴には、それぞれに製作あるいは施入の紀年銘が記されていることから、資料的価値も高く、金剛鈴の基準作として重要である。