国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
紙本金地著色南蛮人渡来図〈/六曲屛風〉
ふりがな
:
しほんきんじちゃくしょくなんばんじんとらいず〈/ろっきょくびょうぶ〉
解説表示▶
員数
:
一双
種別
:
絵画
国
:
時代
:
桃山時代
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
(各)縦150.8センチ 横334.2センチ
品質・形状
:
紙本著色 屛風装
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
2119
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
国(文化庁保管)
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
左隻に財宝を満載して日本の港に来航した西洋風の大型帆船、右隻に上陸したカピタン一行が市中を行進して教会を訪れる様子を描いた、いわゆる「南蛮屛風」の一例である。慶長14年(1609)に徳川家康が駿府に創設した来迎院英長寺に家康寄進の品として伝来した。絵師は明確ではないものの、桃山時代特有のおおらかな雰囲気を伝えており、後続の作例に与えた影響も大きい。近世の南蛮屛風の中でも初期作のひとつに数えられる重要な作例である。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
なし
添付ファイル
なし
解説文
左隻に財宝を満載して日本の港に来航した西洋風の大型帆船、右隻に上陸したカピタン一行が市中を行進して教会を訪れる様子を描いた、いわゆる「南蛮屛風」の一例である。慶長14年(1609)に徳川家康が駿府に創設した来迎院英長寺に家康寄進の品として伝来した。絵師は明確ではないものの、桃山時代特有のおおらかな雰囲気を伝えており、後続の作例に与えた影響も大きい。近世の南蛮屛風の中でも初期作のひとつに数えられる重要な作例である。
詳細解説▶
詳細解説
左隻に日本の港に停泊する南蛮船と舶載された品々が荷揚げされる様子、右隻に日本に上陸したカピタン一行が市中の教会を訪れる様子を描く。南蛮人渡来図は、西欧諸国との交流を背景に16世紀後半に登場した画題で、狩野派の有力な画家のみならず様々な立場の絵師が手がけ、現存作例は90点超に及ぶ。現存する南蛮人渡来図では、本作と同様の構成をとるものが多く、南蛮人渡来図の成立を考える上で注目すべき作例である。 本作には各所に写し崩れが見られるのに加え、南蛮人の面貌表現や、鳥や弓の描写、そして画面構成に、16世紀後半から17世紀初頭の狩野派による韃靼人主題の絵画作例の影響が認められることから、桃山時代の狩野派の画家によって本作の祖本が制作された可能性が提示されている。一方で、本作の金雲や松の形状は正系狩野派のものとは大きく異なり、一概に祖本からの写し崩れとは説明できないことから、複数の先行作を部分的に援用しながら本作の図様が構成された可能性も残される。 制作時期については、本作における日本人の腰を捻る、あるいは突き出すように立つ姿態は慶長期(1596~1615)の遊楽図の人物表現に通じ、金箔の大きさも慶長期の金地屛風と同等であるため、この頃と考えられる。本作と両隻の構図のみならず、船の形や人物の面貌および装束表現の特徴を共有する寛永期の作例が複数現存しており、南蛮人渡来図の展開を考える上でも本作は重要な位置を占めることが理解される。 なお本作は、徳川家康が慶長14年(1609)に駿府に創建した来迎院英長寺(浄土宗)に家康寄進の品として伝来し、明治22年(1889)に、静岡県知事関口隆吉の斡旋で、徳川家達に献上され、のち同家より皇室に献上された。 寛永期の作例が多い南蛮人渡来図のなかにあって、本作は慶長期に位置づけ得る貴重な初期作であり、後続の作例に与えた影響も大きい。既指定の南蛮人渡来図とともに、その展開を考究する上で欠かせない遺品である。