国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
三重県天白遺跡出土品
ふりがな
:
みえけんてんぱくいせきしゅつどひん
三重県天白遺跡出土品(土偶)
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員数
:
一括
種別
:
考古資料
国
:
日本
時代
:
縄文後期~晩期
年代
:
西暦
:
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
671
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
三重県
所在地
:
三重県多気郡明和町竹川503
保管施設の名称
:
三重県埋蔵文化財センター
所有者名
:
三重県
管理団体・管理責任者名
:
三重県天白遺跡出土品(土偶)
解説文:
詳細解説
遺跡は、松阪市嬉野町に所在する。この地は伊勢平野の西部、布引山系から東流する中村川の左岸段丘上にあたり、本件はこの地に構築された縄文時代後期中葉から晩期初頭にかけての大規模な配石遺構、及びその周辺から出土した遺物全163点で構成される。その内容は、多量の土器・土偶・土製品に加えて、敲石等の水銀朱(辰砂)精製用具、岩偶や石棒・石剣などの祭祀用具を含む多数の石器・石製品と多彩である。
特に土偶は、残欠を含めて42点が出土し、この数は西日本における土偶多出遺跡として奈良県橿原遺跡出土品(重要文化財)に次ぐ。土器は、一乗寺K式から滋賀里I・II式までの各型式に、東日本に分布の中心を置く賀曽利B式土器の影響が強い土器も伴う。
本件は、縄文時代における西日本と東日本との結節点としての当遺跡の性格を如実に示した出土品で、西日本における豊富な祭祀用具の組成を示す好例であり、その学術的価値はきわめて高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
添付ファイル
なし
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三重県天白遺跡出土品(土偶)
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三重県天白遺跡出土品(土偶)
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解説文
遺跡は、松阪市嬉野町に所在する。この地は伊勢平野の西部、布引山系から東流する中村川の左岸段丘上にあたり、本件はこの地に構築された縄文時代後期中葉から晩期初頭にかけての大規模な配石遺構、及びその周辺から出土した遺物全163点で構成される。その内容は、多量の土器・土偶・土製品に加えて、敲石等の水銀朱(辰砂)精製用具、岩偶や石棒・石剣などの祭祀用具を含む多数の石器・石製品と多彩である。 特に土偶は、残欠を含めて42点が出土し、この数は西日本における土偶多出遺跡として奈良県橿原遺跡出土品(重要文化財)に次ぐ。土器は、一乗寺K式から滋賀里I・II式までの各型式に、東日本に分布の中心を置く賀曽利B式土器の影響が強い土器も伴う。 本件は、縄文時代における西日本と東日本との結節点としての当遺跡の性格を如実に示した出土品で、西日本における豊富な祭祀用具の組成を示す好例であり、その学術的価値はきわめて高い。
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詳細解説
本件は、三重県松阪市嬉野釜生田町に所在する縄文時代後期中葉から晩期初頭の、祭祀の場とされる配石遺構群およびその周辺からの出土品一括である。 天白遺跡は、雲出川の支流である中村川の左岸段丘上、標高25から30mに立地する縄文時代および弥生時代を主とした複合遺跡であり、厚い河川堆積物の下層から縄文時代の遺構と遺物が確認された。 発掘調査は、県営ほ場整備事業に先立ち、平成2年度(1990年度)と同4年度(1992年度)に7地点、合計6,097㎡を対象として実施された。このうち平成4年度調査において、遺跡の東側に位置するA地区から多量の縄文土器・石器等とともに、配石遺構30基、埋設土器26基、焼土35基等の遺構が検出された。西日本では希有かつ大規模な配石遺構群を伴うことから、平成12年(2000年)にA地区を含む遺跡の東側14,226㎡が史跡に指定された。 本件は、この調査において出土した縄文時代の土偶42点、土器・土製品83点、石器・石製品38点、附とした辰砂鉱石1点で構成される。 土偶は、人体を具象的に表現したひとがた人形と、抽象的に表現したふんどうがた分銅形に大別される。人形は東日本に系譜を求めることができ、分銅形は西日本を中心に分布する。人形には、2本の棒状粘土で右半身と左半身を別々につくり、これらを繋ぎ合わせる分割塊製作法が確認できる。これは壊すことを前提とした製作法であることから、土偶を意図的に壊す祭祀を執行した可能性が考えられる。 土器・土製品は、近畿地方を中心に分布する一乗寺K式から宮滝式を主体としており、これに東日本の影響を受けた土器が伴う。主体となる土器は埋設土器が多く、注口土器や小形土器とともに祭祀との関わりが推測される。また、数量的に多くはないが東日本系の土器からは、広域な交流も窺える。 石器・石製品には、岩偶、石棒・石剣等の祭祀に関わる道具類が多く含まれる。特に、人体を抽象的に表現した岩偶は、分銅形の土偶に似るなど、一定の形態的な斉一性があり、かつ土偶と共存することが大きな特徴である。加えて、石棒・石剣はその出土量や形態的特徴から、東日本の文化的影響を強く受けたことが考えられる。 また、赤色顔料が付着した敲石・磨石、土器の存在は、中央構造線沿いに産出する辰砂を原料とする水銀朱を生産していたことを示し、辰砂鉱石も出土する。 以上、本遺跡の出土品は、土偶、岩偶、石棒・石剣、および辰砂鉱石、赤色顔料が付着した石器・土器の存在から、西日本を代表する縄文時代の祭祀、交易、および赤色顔料生産の実態を示す一括資料として貴重であり、その学術的価値はきわめて高い。 三重県松阪市嬉野釜生田町に所在する縄文時代後期中葉から晩期初頭の、祭祀の場とされる配石遺構群およびその周辺からの出土品である。遺跡は、雲出川の支流である中村川の左岸段丘上に立地する、縄文時代および弥生時代を主とした複合遺跡で、厚い堆積層の下層から縄文時代の遺構と遺物が確認された。平成4年度の発掘調査で、多量の縄文土器・石器等とともに、配石遺構30基、埋設土器26基、焼土35基等の遺構が検出された(平成12年史跡指定)。 本件は、この調査で出土した縄文時代の土偶42点、土器・土製品83点、石器・石製品38点、附とした辰砂鉱石1点の、総数163点で構成される。特に土偶は、人体を具象的に表現した人形と、抽象的に表現した分銅形に大別される。人形は東日本に系譜を求めることができ、分銅形は西日本を中心に分布する。人形には、二本の棒状粘土で右半身と左半身を別々につくり、これらを繋ぎ合わせる分割塊製作法が確認できる。 土器は、近畿地方を中心に分布する一乗寺K式から宮滝式を主体とし、これに数は少ないが東日本系の土器もあり、広域な交流も窺える。石器・石製品には、岩偶、石棒・石剣等の祭祀に関わる道具類が多く含まれる。 また、赤色顔料が付着した敲石・磨石、土器の存在は、中央構造線沿いに産出する辰砂を原料とする水銀朱を生産していたことを示し、辰砂の鉱石も含まれる。 以上、本遺跡の出土品は、西日本を代表する縄文時代の祭祀、交易、および赤色顔料生産の実態を示す一括資料として貴重であり、その学術的価値はきわめて高い。
関連情報
一つ書
一、土偶
一、土器・土製品
一、石器・石製品
附 辰砂鉱石
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、土偶
一つ書員数
:
42点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、土器・土製品
一つ書員数
:
83点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、石器・石製品
一つ書員数
:
38点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
附 辰砂鉱石
一つ書員数
:
1点
ト書
: