国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
五馬力誘導電動機〈/明治四十三年、久原鉱業所製〉
ふりがな
:
ごばりきゆうどうでんどうき
五馬力誘導電動機
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員数
:
1台
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
明治時代
年代
:
明治43年
西暦
:
1910
作者
:
久原鉱業所
寸法・重量
:
全高 45.0(約17.4)
軸高 22.8(約8.9)
外径 40.0(約17.3)
軸径〔直径〕2.8(約1.5)
コイル径〔直径〕約0.5
(記載にない法量単位はセンチメートル、括弧内はインチ)
品質・形状
:
本体 鋳鉄・鋼鉄・錬鉄・砲金・鍛鉄製
端子台 木製
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
229
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
茨城県
所在地
:
茨城県日立市大みか町6-19-22
保管施設の名称
:
日立オリジンパーク(小平記念館)
附 同上
所有者名
:
株式会社日立製作所
管理団体・管理責任者名
:
五馬力誘導電動機
解説文:
詳細解説
明治43年に久原鉱業所日立鉱山工作課長小平浪平(1874~1951)の指導のもとで製造された誘導電動機である。当時国内の鉱山では多くの外国製電気機械が使用されていたが、日立鉱山工作課(後の日立製作所)では国産の電気機械製作を企図し、本機を端緒として鉱山用に留まらない電気機械一般の製作を事業化するに至った。
本機は日本人により設計製造された誘導電動機としては現存最古で、電気機械国産化の礎を築いた機械として産業技術史上に学術的価値が高い。本機と同時期に作成され、本機の構造などを明らかにする設計図面類もともに保存されており、附としてあわせて保護を図る。
関連情報
(情報の有無)
附指定
一つ書
なし
添付ファイル
なし
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五馬力誘導電動機
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五馬力誘導電動機
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解説文
明治43年に久原鉱業所日立鉱山工作課長小平浪平(1874~1951)の指導のもとで製造された誘導電動機である。当時国内の鉱山では多くの外国製電気機械が使用されていたが、日立鉱山工作課(後の日立製作所)では国産の電気機械製作を企図し、本機を端緒として鉱山用に留まらない電気機械一般の製作を事業化するに至った。 本機は日本人により設計製造された誘導電動機としては現存最古で、電気機械国産化の礎を築いた機械として産業技術史上に学術的価値が高い。本機と同時期に作成され、本機の構造などを明らかにする設計図面類もともに保存されており、附としてあわせて保護を図る。
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詳細解説
明治43年に久原鉱業所日立鉱山工作課長小平浪平(1874~1951)の指導のもとに製造された五馬力誘導電動機で、日本人により設計・製造された現存最古の誘導電動機である。 小平浪平は明治33年7月に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業した後、藤田組小坂鉱山等を経て、同39年に茨城県多賀郡の久原鉱業所日立鉱山に入社した。小平は国産の電気機械製造を優先すべきであるという意見を持ち、日立鉱山工作課修理工場で変圧器の部品製作を試みる等の試行錯誤を重ねた後、職員で全ての設計と製図を行い、同43年3月には3台の五馬力誘導電動機を完成させた。本機は銘板に製造年「一九一〇」とともに製造番号「1」と刻まれており、この際製造された3台のうちの1台である可能性がある。設計・製図を担当したのは、同42年に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業して久原鉱業所に入社した高尾直三郎であった。 五馬力誘導電動機に続いて200馬力誘導電動機の製作に成功すると、小平は明治43年11月に日立町内の新工場で本格的に電気機械製作を開始した。事業は軌道に乗り、久原鉱業所は同45年1月にこの工場に日立製作所の名称を付与して日立鉱山工作課より分離させた。大正時代に入ると、第1次世界大戦の勃発等を契機として日立製作所は販路を拡大し、大正9年(1920)には久原鉱業株式会社(久原鉱業所の後身)より完全に独立するに至った。 誘導電動機は、磁場と電流の相互作用による力を利用して回転運動を起こす交流電動機で、本機のようなかご形電動機は始動回転速度が大きく回転速度の制御が容易である。銘板によれば本機は五馬力、440ボルト、60ヘルツ、4極、毎分1760回転の電動機である。五馬力誘導電動機は小型工作機械の動力として一般的によく用いられ、日立製作所が創業期に製作した誘導電動機の中でも多数を占めた。 本機が製造以後どの様に運用されてきたかは不明であるが、本機とその同型機は主に日立鉱山内の小型ポンプや送風機の動力等の用途に幅広く利用されたことが推測される。昭和31年(1956)に日立市に小平記念館が開館するに当たり、本機は同館の創業製品室において展示された。令和3年(2021)の日立オリジンパーク開場後は同施設に移管された。 所蔵者のもとには本型式の電動機に付随する設計図面5枚がともに保存されている。いずれもトレーシングクロース(蝋引きの絹布)に墨で描写されており、コンパス孔が見られる。「トレース原図」として日立製作所内で厳重に保管されてきた。本型式の製造時のありようをうかがうことのできる貴重な設計図面、かつ日立鉱山工作課で製作された最初期の設計図面であり、附として併せて保存を図る。 本機は我が国に現存する最古の国産誘導電動機である。現在に至るまで、国産の産業用誘導電動機は小型化・軽量化・高効率化を目指した製品開発が続けられており、本機はその原点に位置づけることができる。電気機械の国産化の礎を築いた機械として、電気機械工学史、産業技術史上に貴重である。
関連情報
附指定
設計図面
関連情報
附指定
附名称
:
設計図面
附員数
:
五枚
附ト書
: