国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
横山松三郎関係資料(高田家伝来)
ふりがな
:
よこやままつさぶろうかんけいしりょう(たかだけでんらい)
解説表示▶
員数
:
83点
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
江戸~明治時代
年代
:
西暦
:
19世紀
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
231
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
東京都
所在地
:
保管施設の名称
:
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
横山松三郎(1838~84)は幕末から明治時代前期にかけて活躍した職業写真家で、旧江戸城や壬申検査、ウィーン万国博覧会出品作品などの撮影を担ったことで知られる。
松三郎のもとにあった資料群は弟松蔵と養子の啓(慶)次郎に受け継がれた。本件は松蔵が晩年に身を寄せた高田家に伝来したもので、松三郎とその弟松蔵が撮影した写真ガラス原板を中心に、鶏卵紙写真、写真油絵類、写真石版、写真技術書などから構成される。幕末から明治時代初期にかけて活躍した職業写真家に関する資料がまとまって伝存するものは希有である。そのようななか本件は、松三郎の事績、習得した技術を明らかにし、写真史・科学技術史上に学術的価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
添付ファイル
なし
解説文
横山松三郎(1838~84)は幕末から明治時代前期にかけて活躍した職業写真家で、旧江戸城や壬申検査、ウィーン万国博覧会出品作品などの撮影を担ったことで知られる。 松三郎のもとにあった資料群は弟松蔵と養子の啓(慶)次郎に受け継がれた。本件は松蔵が晩年に身を寄せた高田家に伝来したもので、松三郎とその弟松蔵が撮影した写真ガラス原板を中心に、鶏卵紙写真、写真油絵類、写真石版、写真技術書などから構成される。幕末から明治時代初期にかけて活躍した職業写真家に関する資料がまとまって伝存するものは希有である。そのようななか本件は、松三郎の事績、習得した技術を明らかにし、写真史・科学技術史上に学術的価値が高い。
詳細解説▶
詳細解説
横山松三郎(1838~84)は幕末から明治時代前期にかけて活躍した職業写真家で、旧江戸城や壬申検査、ウィーン万国博覧会出品作品などの撮影を担ったことで知られる。 松三郎のもとにあった資料群は弟松蔵と養子の啓(慶)次郎に受け継がれた。本件は、松蔵が晩年に身を寄せたかつての主家で、実姉が嫁した高田家に伝来したもので、内容から6種類に分類される。 写真ガラス原板は72点あり、量的に本資料群の中核をなす。これらはすべてコロジオン湿板で、印画紙焼き付け用のネガ68点、アンブロタイプ4点を数える。被写体は人物が多く、とくに横山家と高田家関係の人物が23点と多い。戊辰戦争時の慶応4年(1868)閏4月に明治政府から箱館裁判所総督に任命されて箱館に入った清水谷公考の湿板ネガ「〔清水谷公考像〕」は、支持体のガラスが江戸(東京)で使用されたものより厚いことや、切断面に凹凸が残る点に特色がある。この点から、本原板は清水谷が箱館にいた限られた時期に松三郎により撮影されたものであることを窺わせ、松三郎の事績上にも注目される。一方、アンブロタイプは画像を薄めに仕上げた湿板ガラスネガの背景を黒くしてポジ画像にみせるものである。このなかに松三郎の母を写した「〔横山みや像〕」が含まれる。敷物の特徴などから、幕末から明治初年にかけて箱館で撮影された可能性が高い。松三郎が写真術を習得した動機は、母親の肖像を遺すためであったが、本写真は精巧な銅製飾り枠で装飾され、松三郎の母に対する思慕の念を想起させる。 鶏卵紙写真は、卵白を塩化銀の媒体として使用したものである。横山家・高田家の人物を撮影したものが2点残る。 写真油絵は、鶏卵紙写真に着彩したものである。松三郎は、鈴木真一(二代)がアメリカより持ち帰った写真油絵をみせられて研究を開始、その技法を考案・改良した。本資料群中には、完成品である「〔母子像〕(彩色)」と制作途中の「〔男性(三代目杉浦嘉七ヵ)像〕」など5点が伝わり、その制作過程を窺うことができる。すなわち、鶏卵紙写真の画像面をガラス板に貼り付け、裏面から画像が透けて見える状態まで鶏卵紙を削ったのちに、油絵の具で着彩している。写真油絵は、制作時に貼り付けたガラス面越しに鑑賞する場合と、ガラスから剥がして別の台紙に貼るなどして鑑賞する場合があった。 文書・記録類は、松三郎がカーボン印画について陸軍士官学校で取得した技術を記した「不朽無変色重宝墨写真術伝方」(明治10・11年頃)1冊がある。本書から松三郎が日本人としては早い段階にカーボン印画を研究していたことがわかる。また習得した技術を後世に伝えるために記録を残した松三郎の意思も窺わせる。「〔書簡〕(先生之事業功績につき)」(同17年)1通は、松三郎の死去直後、弟子たちが松三郎の履歴を作成した経緯が記された史料である。 幕末・明治時代前期に活躍した職業写真家の資料がまとまって伝存することは希有である。そのなか本件は高田家に伝来した貴重な資料群で、松三郎の事績、習得した技術を明らかにし、写真史・科学技術史上に学術的価値が高い。
関連情報
一つ書
一、写真ガラス原板
一、鶏卵紙写真
一、写真油絵類
一、写真石版
一、油絵
一、文書・記録類
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、写真ガラス原板
一つ書員数
:
72点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、鶏卵紙写真
一つ書員数
:
2点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、写真油絵類
一つ書員数
:
5点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、写真石版
一つ書員数
:
1点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、油絵
一つ書員数
:
1点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、文書・記録類
一つ書員数
:
2点
ト書
: