国指定文化財等
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・・・国宝、重要文化財
国宝・重要文化財(美術工芸品)
主情報
名称
:
上江洲家関係資料
ふりがな
:
うえずけかんけいしりょう
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員数
:
1905点
種別
:
歴史資料
国
:
日本
時代
:
第二尚氏~昭和時代
年代
:
西暦
:
17~20世紀
作者
:
寸法・重量
:
品質・形状
:
ト書
:
画賛・奥書・銘文等
:
伝来・その他参考となるべき事項
:
指定番号(登録番号)
:
233
枝番
:
国宝・重文区分
:
重要文化財
重文指定年月日
:
2023.06.27(令和5.06.27)
国宝指定年月日
:
追加年月日
:
所在都道府県
:
沖縄県
所在地
:
沖縄県島尻郡久米島町嘉手苅542
保管施設の名称
:
久米島博物館
所有者名
:
管理団体・管理責任者名
:
解説文:
詳細解説
上江洲家は17世紀末以降に久米島の西半分にあたる具志川間切の地頭代を歴代務めた家である。本資料群は、同家伝来の一括資料で文書・記録類1589点、地図・絵図類31点、典籍類114点、書画類82点、器物類89点から構成される。
中心を占める文書・記録類は、琉球王府との関係を中心に同家の歴史を明らかにする家譜等がある。書画類は、久米島が清国との航路上の要衝にあったことから冊封使や琉球王国の使者が遺した書跡がまとまって伝来する。器物類は地頭代の功績を賞賛して王府から下賜された掛床が注目される。第二次世界大戦による被害のため、第二尚氏時代以来の家資料がまとまって伝存することは希有であるなか、本資料群は、琉球王国による離島支配のあり方、第二尚氏時代から昭和時代にいたる同家の家の経営や、生活文化などを伝え、政治経済史、文化史上に学術的価値が高い。
関連情報
(情報の有無)
附指定
なし
一つ書
添付ファイル
なし
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解説文
上江洲家は17世紀末以降に久米島の西半分にあたる具志川間切の地頭代を歴代務めた家である。本資料群は、同家伝来の一括資料で文書・記録類1589点、地図・絵図類31点、典籍類114点、書画類82点、器物類89点から構成される。 中心を占める文書・記録類は、琉球王府との関係を中心に同家の歴史を明らかにする家譜等がある。書画類は、久米島が清国との航路上の要衝にあったことから冊封使や琉球王国の使者が遺した書跡がまとまって伝来する。器物類は地頭代の功績を賞賛して王府から下賜された掛床が注目される。第二次世界大戦による被害のため、第二尚氏時代以来の家資料がまとまって伝存することは希有であるなか、本資料群は、琉球王国による離島支配のあり方、第二尚氏時代から昭和時代にいたる同家の家の経営や、生活文化などを伝え、政治経済史、文化史上に学術的価値が高い。
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詳細解説
上江洲家は17世紀末以降に久米島の西半分にあたる具志川間切の地頭代を歴代務めた家である。家譜によれば1世は西平親雲上智眞で、その系譜は16世紀まで遡る。 久米島は沖縄本島から西方に約98キロメートル進んだ海上にあり、琉球・中国間を航海する船舶にとって航海上の要衝に位置した。16世紀初頭に琉球国王尚真王が久米島を攻め、服属させた。近世以降、琉球王国は間切・離島支配において、主として首里にいる惣地頭を頂点に在番を現地に派遣するとともに、現地の有力な百姓を地頭代に任命し、間切内の村落行政にあたらせた。 本件は、第二尚氏時代、主として18世紀から昭和時代(戦前まで)にかけて同家に連綿と伝来した資料合計1905点を指定対象とする。 上江洲家では5世智源(1640~1709)が初めて地頭代に就任した。7代智英(1704~1762)は間切行政に大きく貢献し、琉球王府から讃えられた。10代智俊(1795~1873)は17年間地頭代を務めるなど王府への忠勤に励み、また茶の贈答などを通じて首里の有力者や知識人と親交をもった。 文書・記録類は、上江洲家の家譜関係、地頭代の職務に関するもの、上江洲家の家の経営や生活文化に関するものが残る。作成された時代が特定できる史料の員数についてみると、第二尚氏時代の18世紀以降が683点、明治時代(明治12年(1879)以降)が345点、大正時代が81点、昭和時代(戦前まで)が4点で、第二尚氏時代後半の史料がまとまって残る。なかでも「美済姓家譜」1冊は、琉球王府との関係を中心に上江洲家の系譜を明らかにする。また上江洲家の当主や家族の吉凶などを占った占文などが220点と多数残り、同家の生活文化の一端を窺わせて貴重である。 地図・絵図類は、第二尚氏時代の18世紀以降に作成されたものが10点残る。乾隆検地(乾隆11年(1746))以降の作成とみられる「〔大溝針図〕」は白瀬川から分流し、具志川間切を東から西へ蛇行しながら流れる用水を描いた絵図で、久米島における灌漑施設の有り様を示すものとして注目される。このほか「上江洲家御墓図」は同家の墓地の配置を描いた絵図で、墨書から道光11年(1831)に久米村の風水見の判断を上江洲家が仰いでいることが分かり、同家の信仰を窺わせる。明治~大正時代作成の21点はすべて久米島内の土地測量図である。 典籍類には、第二尚氏時代の18世紀以降に作成されたもの(和本含む)が85点含まれる。内容は儒学、教訓書や農書、暦書、養生書、琉歌関係が多い。儒学・教訓書・俳諧などの和書34点のほか儒学関係の漢籍8点も含まれ、日中双方からの教養文化が久米島に入っていることを窺わせる。明治時代の作成と特定されるものは14点で、儒学や教育関係である。 書画類は、絵画12点、書跡70点からなる。絵画のほとんどは第二尚氏時代の18世紀以降の作成とみられる。琉球王府の絵師の手になるとみられるもの、清国や朝鮮で制作されたものが含まれる。このほか19世紀以降久米島に西洋船が来航し、西洋人が測量を実施する様子を描いた「〔西洋船図〕」1幅が残る。書跡も制作時代の特定が可能なものはほとんどが第二尚氏時代の18世紀以降のものである。内容は和歌・漢詩が大半を占め、冊封使や琉球王国の使者が遺した和歌や漢詩がまとまって残る。「〔五言絶句〕(竹実鳳将至)」は嘉慶5年(1800)に琉球に来た冊封副使の李鼎元が書いた漢詩である。 器物類では、65点が第二尚氏時代の18世紀以降の制作とみられる。内訳では染織・装束品が81点と大半を占め、胴衣、上衣、袴などがまとまって残る。「黄冠」は親雲上の爵位を授与された者が使用した第二尚氏時代の冠である。また「久米島紬裂地」をはじめとする紬関係の資料が残される。漆工品では地頭代の功績を賞賛して琉球王府の評定所が乾隆14年(1749)に上江洲家に授けた掛床「世済其美」が注目される。このほか金工品・陶磁器が1点ずつ残る。 第二次世界大戦の戦禍により、第二尚氏時代以来の家資料がまとまって残ることは希有である中、本資料群は琉球王国による離島支配の在り方、第二尚氏時代から昭和時代に至る同家の家の経営や生活文化などを伝え、政治経済史、文化史上に学術的価値が高い。
関連情報
一つ書
一、文書・記録類
一、地図・絵図類
一、典籍類
一、書画類
一、器物類
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、文書・記録類
一つ書員数
:
1589点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、地図・絵図類
一つ書員数
:
31点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、典籍類
一つ書員数
:
114点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、書画類
一つ書員数
:
82点
ト書
:
関連情報
一つ書
一つ書主名称
:
一、器物類
一つ書員数
:
89点
ト書
: